日本人は空気に向かって議論している #asacafestudy
おはようございます。
昨晩は花園神社の酉の市に行きました。すごい人出でした。
自分はあまり信心深い方ではないのですが、年に一度だけは、
商売の神様に感謝の気持ちを伝えに行っています。
そこで年に一度、新たにいただいてくる小さな熊手と稲穂のお守り。
うちの金庫の上の神様たちの一員です。(多神教www)
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「あ、なるほど。面白い観察だな」
今朝の朝カフェ次世代研究会、永井孝尚さんの講演中での思いでした。
タイトルは『TOEIC 900点でも欧米人とコミュニケーションできない理由』。
それは、「日本人は空気に向かって議論をする」傾向があるという概念でした。
会議などを実施する。その議論の矛先は相手ではない。
議論は共有している場、つまり空気に向けて行っていると。
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相手に対して議論を吹っ掛けたらその人への否定にもなる。
だから、直接反論するではなく、空気に向かって議論するというのです。
議論した結果のコンセンサスは、その場の空気から得られていくと。
ただし、それは暗黙知を共有した人たちの間でなければ成り立たないです。
あるいは、暗黙知が共有できる場であれば日本人に限ったことでは無いでしょう。
確かに、サンデーモーニングとかでよく出てくる論点の無いコメントたち。
あれらは明らかに空気に向かって議論していますよね。でもそれでは疲れる。
そこで張本さんらの「喝!」とか「あっぱれ!」がウケるのかも知れません。
最近タカ派の政治家がもてはやされるのも同じ理由でしょう。
面白い切り口です。
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永井さんは、多様性のある場では違う議論方法があると紹介されていました。
正論・反論とを論理的にファクトで並べて、最終的な合意に至る。
グローバル標準な議論方法です。この「正反合」は「ヘーゲルの弁証法」というそうです。
言われてみると、MBAでのケーススタディを通じた議論はまさにこれでした。
ケースから想定されるファクトを並べ、様々な意見を戦わせる。
そのプロセスを経て「第三の解」に気がつくようなことです。それが「合」。
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考えてみたら、e-Janでの議論は、このような議論になるように心がけていました。
「リーダーがこう言ったから実施する」が先にあるのではない。
リーダーを含めて平等に議論をして、その中で「第三の解」を追求します。
議論がされた後で、何をするのかを決めるのはリーダーです。そして、決まったことは実施する。
でもこれって、一般的な顔や役職を重んじる日本企業では通じないですね。
うちの会社しかしらない人たちは、ある意味不幸かも知れません。
世の中、理不尽な空気というものはいくらでもありますから。もう転職できませんね(笑)。
また、お客様とそのようなスタイルで議論ができるのはまだだいぶ先でしょう。
TPOを考えてスタイルを選ぶ。そのようなことも必要です。
やはり、早朝勉強会からは色々と新しい考え方や刺激をいただけます。
いつもありがとうございます。