「切腹要望癖」という日本人の矮小な癖がマスメディアをミスリードしている
おはようございます。
今日はまた竜巻系が予測されるとか!? お天気が激しい。
日本のマスメディアはどうしてか画一的かつ感情的な報道に偏るのかが不思議です。
今朝はそれについて思いついた仮説をどうぞ。
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先日のバスの防音壁についていくつかコメントをいただきました。引用します。
以下引用==>
朝メの「防音壁の設置位置」問題には同感です。事故現場を見て、まっ先にそう思いました。居眠りやハンドル操作ミスの結果、命を落としてしまうというのは、ミスの代償としては大きすぎる。運転手の問題から、早くそっちに論点が移らないかなあ。
<==以上引用終り
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以下引用==>
坂本さん
群馬のバス事故に関し、貴兄と同じことをズッと考えていました。連休中も新聞をチェックしていましたが、私の見た朝日と日経では、高速道路の設計、もしくは施工に疑問を感じている記事は見つかりませんでした。テレビでも同じ調子でした。マスコミは何故これほど表面的な報道しかしないのでしょうか?関係省庁から、口止めされているのでしょうか?そんな穿ったことを考えてしまいます。
今回「居眠り運転」が直接原因であることは明らかだとは思いますが、そのために高速道路では事故の被害を最小限に防ぐためにガードレールや側壁が設けられているはずです。運転手が心臓麻痺を起こしたりの最悪の場合でも「ガリガリガリっと」と側壁をこすりながら、下に転落しないで、被害を最小済ませるため装置のはずです。
今回はその防音壁が10.5mも正面からバスに食い込み死傷者の数を飛躍的に拡大したことは素人目にも明らかです。あの防音壁さえ飛び込まなかったら...
これを専門的に検証した新聞記事はまだ接していません。その様な調査を開始しているという記事も、「大きな疑問だ」と示唆している記事も今のところ見当たりません。関係者は設計か施工ミスで責任問題、賠償問題になることを恐れてだんまりを決め込んでいる様に思われます。これでは被害者も浮かばれないと考えます。(設備の問題だと判明したからと言ってプロの運転者と運行バス会社の責任が軽減される訳ではありませんが...)
そして、ここからは私の想像ですが、もし、静かにその責任問題が通過できたら、早速JH(昔の高速道路公団)がササっと自主的に改修・改良工事を始める様な気がします。ありそうなやり方です。
しかし、もちろん命はお金で換えられるものではありませんが、バス会社が満足な賠償をする前に倒産してしまう可能性もありますので、道路管理責任者や場合によっては国なども賠償対象として責任範囲に入れることが、被害者救済と再発防止の為には必要であり、マスコミはそれにいち早く触れるべきだと考えます。
この考え、いかがなものでしょうか?
(今日は新聞休刊日なので、そろそろこの問題も報道されるかな?とは思っています)<==以上引用終り
日本のマスメディアはどうしてか画一的かつ感情的な報道に偏るのかが不思議ですね。
原発事故にしても、あちらこちらに犯人を作りたがっていました。具体的には管前首相や東京電力を感情的に葬ることに腐心していました。それでいて、誰かを悪者に仕立てない限り、議論にメンタルブロックがかかります。
マスメディアは、それを見る人たちのレベルに合わせているわけなので、結局は個々の人たちのレベルが低いからこのようなことが発生するのでしょう。でも「レベルが低い」といきなり言われても直しようがないですよね。
その根本的な原因を考えていたのですが、ふと思いつきました。
今朝は一つ仮説を提言してみましょう。
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日本には問題を起こしたら「死んでお詫びする」ということが尊ばれる伝統があります。切腹という概念ですね。それで切腹をすると、「死んで詫るのなら仕方ないか」と怒っている側が怒りを静めるのです。
いつものマスメディアの感情論を見ていると、どうも「切腹させるのは誰?」と熱心に探しているような気がしてなりません。それで犯人に仕立て上げて「詫びるなら切腹しろ」という気持ちになるのです。
とにもかくにも問題が起きたときには、「誰かを悪者に仕立て上げて切腹させたい」。これが言葉にならない感情の欲求になっているのです。とても危険だと思います。日本人の隠れた強いメンタリティー、「切腹要望癖」とでも名づけましょうか。これがあります。
バス会社や東京電力の社長が謝ったところで納得しないのです。「頭下げられてもね」ということなのでしょう。なにせ「切腹要望癖」が満たされません。
現代社会においては切腹は無理だろうから、「ソーシャルデス」を求めるのでしょう。切腹させて秘かな満足を得る、そんな矮小な欲望による癖なのです。恥ずかしいことだと思います。
そしてこの癖の存在自体に気づいておくべきだと思います。気づけば癖は直ります。
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事故やミスが発生してしまったときには、事実に向かい迅速に論理的に対処する。対処と再発防止にプライオリティがあるのであって、犯人探しや責任追及はまずは必要ないことです。少なくとも「切腹願望壁」を満たすために行動をとってはいけません。
「切腹要望癖」に気がつかずにいると危ないです。まるで「正義の鉄拳」と勘違いしながら、犯人探しを熱心に感情的にし進めてしまいます。順番もプライオリティも逆です。
まさに「罪を憎んで人を憎まず」ですね。
自分も怒りが先に出ることがしょっちゅうありますが、「切腹要望癖」に取り付かれていないかどうか、自分の心の中を冷静に見る習慣にしたいと思いました。