美人が多い職場は足の引っ張り合いが少ない?
おはようございます。
昨日は時間の配分ができず、朝のエッセーを省略してしまいました。すみません。
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先週金曜日はオルタナブロガーの定例会がありました。
毎月第二金曜日に実施されるこの定例会、通常の連絡会以外にも、指名されたブロガーが1時間程のプレゼンをする場でもあります。またその後の懇親会も有意義です。
文字だけでなく、ブログを書いている生身のその人との会話ができます。文章とはまた異なる一面が見えたりするから人って面白いですね。
さて、今回のプレゼンターは、なんとこのブロガーたちを仕切る「ばんちょ~」さんことITメディアの鈴木麻紀さんでした。
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「わたしのことは『ばんちょ~』と呼んでください」
2年半前、ITメディアのオルタナブログ参加する前、鈴木さんとブログの内容について初対面で打ち合わせしたときのことです。ニコニコしながらまじめな顔でこう言われて、返す言葉に詰まったことを記憶しています。
「ん、なんで番長なの。どういう人?」
心の中の気持ちはちょっと引き気味でした。
名は体を表すと言います。
その後、250名とも280名とも言われるブロガーたちが、「ばんちょ~」さんを恐れながらお慕いし、自分を含めマゾ的に扱われて喜んでいる様子を見ると、ニックネームの意味が妙に納得できてしまいました。
閑話休題。
その「ばんちょ~」さんにプレゼンの順番が回ってきたのです。内容は前職での人材派遣ビジネスの生々しいお話です。詳細は極秘とのことなのでこの場では触れませんが、途中心に残った言葉がありました。
それは、『美人が多い職場は足の引っ張り合いが少ない』です。
確かに言われてみれば妙に納得できてしまったのです。今朝はそれがなぜだか考えてみましょう。
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美人さんは比較的ちやほやされながら育ちます。
故に、無理に自己主張したり、人を蹴落としたりする必要性が少ないのです。いわゆる「育ちがいい人」になっていくわけですね。
思い出してみれば美人とは限らず、「育ちがいい」人たちが集まった場は、無理やりな自己主張や蹴落としが少ないです。自己主張や蹴落とししなくても自分の存在が薄くなるという恐怖心が少ないからです。
外観ではなく、その人の持つトータルな雰囲気、あるいはオーラでしょうか。
一方、自分の存在が薄くなることへの恐れを持つ人もいます。
無理やりな自己主張や蹴落とし、あるいはトラブルやひがみなどで注目されようとします。もし、それがお互いに存在が自然と認め合える場の中にいるのであれば、それは実にもったいない動きです。結局自分を卑下してしまう。
人はいつも変わるもの。
自分を含め、いい雰囲気と下卑た雰囲気とは一緒に存在しているものです。つまり、個人的には美人のように優雅に自信を持っている面を多く出せばいいのです。そうすればいずれそれが習慣となって、美人オーラが身についてくる。
先日、お店のカウンターでお昼を食べていたときのことです。
横の方にいたある女性がもう一人の女性に社内の愚痴と散々言っていました。顔も見ずに聞こえていたのですが、かなりひどい内容で気分が悪くなるくらいでした。そして、去り際に顔を見ると、やはりそういった残念な外観でした。
気持ちの持ち方、その出し方は、いずれは外観もそのようにしてしまうというのは事実だと思います。
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これは職場でも同様です。
世界中の企業での人材採用が、美人や育ちのいい人、つまり第一印象がいい人に偏るのは、理由があるからかも知れないです。優雅で自信を持った人たちがしっかりと仕事をすれば、会社が優雅で自信のある一流の存在になるわけですから。
優雅で自信を持った雰囲気。是非身に付けるといいと思います。
「自分はしっかりと認めてもらえる」
そういうことに裏づけされた人たちで構成される組織。
それは自分の目指す「理想組織」の一つの要素だと考えています。そしてそれには、お互いに見ることを、忠告することを、お互いに徹底するということが必須だと思うのです。
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ところで、もしかして、ばんちょ~さん。
「美人が多い職場」とは、自分のことを含めて、ということを言いたかったのかな!?
はい。確かに、ばんちょ~さんこと鈴木さんには優雅で自信を持った雰囲気がありますよ。