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スペイン対パラグアイ:スペインリーグにいた日本人末裔のサムライ審判

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パラグアイ:「超」親日国という知られざる一面 』では、Twitterを始め、いろいろな方からご感想をいただきました。ありがとうございます。

パラグアイでの日本大使であった父、その外交官キャリアで大使を務めた国にスペインもあります。1995年より1998年まで3年半日本国大使をしていました。そして明日未明に迎えるワールドカップの対戦カードがスペイン対パラグアイです。

両国ともに日本大使として勤めた父に、どちらを応援するかと聞いてみました。すると「パラグアイかなぁ、あまりにも貧乏な国だからね」と。そんな中から聞けたお話です。

今日はスペインについての豆知識をご紹介します。

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スペインは王国、人口4700万人弱、国土は日本の1.3倍程です。7割が平地であり、さらに高地でも人が住める場所です。日本の7割が山で人が住めないという国土とは対照的です。スペインの印象は、太陽が強く、乾燥していて、山でも人が住んでいて空間が広い。そんなところです。

スペイン王室と日本の皇室との間では緊密な交流があります。天皇陛下は4回、皇太子殿下は5回訪西、またスペイン国王王妃両陛下は7回、フェリペ皇太子殿下は3回訪日されているとのことです。

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スペイン人は良く飲み、良く食べ、よく遊ぶ。そのためなら睡眠時間の犠牲もいとわないといいます。通常、日本人の2倍近くを食べて飲みます。「腹八分」などとは言わず、「腹一杯」飲食するのです。

その割には平均寿命が長く、世界最長の日本人との差はわずかに2年です。幼児死亡率の高さを勘案すると、これはまさに世界の驚異と言われています。彼ら曰く、

「健康食品の、ワインとオリーブオイルのおかげさ!」と。

夏休みは、あらゆる職種の人がまる1ヶ月休みます。さらに、土日と祝祭日が重なれば月曜日は当然お休み。あるいは、火曜または木曜が祝祭日になると、Puente(プエンテ)、つまり「橋」と称して間の月曜日と金曜日がお休みになります。

天才的ユーモアのセンス、人の良い面を見てほめ合い、物事を常に楽観的に考え、祭りを好む人たちの住んでいる国です。見習いたいですね。

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さて、そのスペイン王国、日本とは460年の歴史があると言います。

古くは1549年にフランシスコ・ザビエルが到来し日本にキリスト教を始め多くの科学技術などの知識を残してくれました。以来、テンプラ、カステラ、パン、カッパ、タバコ、シャボン、カルタなど、スペインあるいはポルトガルから入った言葉が今でも100ほどあると言われています。イベリア文化の影響を大いに受けているわけですね。

1584年には天正遣欧使節団がフェリペ2世に、1615年には伊達政宗の命を受けて支倉(はせくら)常長がフェリペ3世に謁見しています。伊達政宗はスペインと貿易をしたいと親書を支倉常長に託したのです。

支倉常長は180名の人たちを連れてメキシコ経由でスペインを目指します。ところが、メキシコに大半の人が残ってしまい、スペインに着いたのはスペイン人5名を含めて30名ほどだったと言われています。

一行はスペインで大歓迎を受け、フェリペ3世自ら、彼の洗礼式に出席したそうです。支倉らはコリアデリオに1年ほど滞在した後にフィリピンに渡ります。そのときに4-5名の日本人がスペインに残ったと言います。

Hasekura

★支倉常長のローマで描かれたという肖像画です。Wikipediaより引用。

※こちらにも参考情報があります。
http://www.ayto-coriadelrio.es/opencms/opencms/coria/municipio/Historia/apelljapon.html

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その残った日本人の末裔がコリアデリオ(Coriadelrio)という小さな漁村に固まっているそうです。人口が約2万人のところで、600人ほどのスペイン人がハポン(Japon)という苗字です。近くのセビリア(Sevilla)という大きな町にも400名程のハポンさんがいて、合計1000名を超すスペイン人がハポンという苗字なのです。

「自分たちは日本のサムライの末裔である」と、誇りを持って言っているそうです。父は1996年、ハポンさんらを招いたパーティーを企画し、現地に行き、300名ほどの予定が650名も集まり、大パーティーになったそうです。

父は続けます。

「そう、サッカーと言えば、スペインの一部リーグに名物審判いたなぁ。
 『サムライ審判』と呼ばれていた。
 その人の名前もホセ・ハポン・セビリア(Jose Japon Sevilla) 。」

サムライ審判は厳しい判定を出すことで有名だったそうです。イエローカードをよく出す。スポーツ新聞には『おまえみたいな厳しいやつは日本へ帰れ!』という見出しもよく載っていたそうです。

ホセさんに父が質問したそうです。

「サッカーの審判にとって、何が一番大切なのでしょうか?」

ホセ 「そうですね。後ろに向かって走ることでしょうか。
 ボールから目を離さないように後ろ向きで走る。
 そのために毎日練習していますよ。」

サムライ審判、リーグ審判定年の42歳でリタイアしましたが、銀行員である中、休暇を取って審判をしていたそうです。今も元気で銀行にお勤めなのでしょうか。

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スペインにもいろいろな日本とのつながりがありますね。こんな豆知識を片隅にスペインのサッカーを観戦するというのも楽しいのではないでしょうか。

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ところで、ハポンさんのパーティーは現地でもかなり話題になり、父はテレビ局の依頼を受けてインタビューを受けることになったとのことです。ところがその直前、チェリーのヘタで差し歯が抜けてしまい、ポンと飛んでしまったと。

これを聞いた妻がひと言。

「それがホントの歯ポンさん。」

一同大笑い。

※20100703 19:25 脅威→脅威、など間違いを修正しました。

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