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MSDN 「コードレシピ」で公開されたサンプルの案内です。

[XAML/VB] Windows Phone の加速度センサーから取得した値​を表示する (Silverlight/Wi​ndows Phone)

サンプルと記事は、こちら

Windows Phone 7 の端末には、3軸加速度センサーが内蔵されています。エミュレーターでも開発はできますが、実機(au から発売されているIS12T)で試したほうが分かりやすいです。

Accelerometersample1

取得した加速度を角度に変える方法は、こちらを参照してください。

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Sei

この記事は、メルマガ「デジタル・クリエイターズ」に月1回連載中の「データ・デザインの地平」からの転載です。

連載「データ・デザインの地平」
第15回 「芸術家、大量発生の時代

(2012年2月13日配信分)

前回の記事(第14回「技術進化が促す、人類総デザイナー化」では、技術進化により、エンド・ユーザー自らがモノを作る「人類総デザイナー化」時代が到来すると述べました。
今回は、その変化が芸術に波及する問題を取り上げます。

デザインは、芸術へと向かう

人類総デザイナー化時代には、次のように、デザイン業界の常識や制約が解き放たれます。

1) ターゲットが変わる ~特定グループから個人へ~

通常、デザインでは、年齢や職業や関心の範囲など類似の属性を持つグループに対して、表現を計画します。
ところが今後は、このターゲット(訴求対象)が、グループではなく個人になっていきます。前回記事のカーテンのデザインの例のように、自分自身になるのです。
これは実に理にかなった話です。なぜなら色や形の認識には個体差があるからです。感覚器官から入力された情報が処理される工程の一部に(脳内に)、小さなバグが忍び込んでいるだけで、処理結果は異なってきます。バグ、というと良い印象の言葉ではありませんが、ヒトにはそれが必要です。バグは多様性の母体です。
バグはさまざまな表現を生み出します。色や形の情報の一部が省略され、抽象化されているヒトの脳内処理の状況は、現時点では、他者であるデザイナーからはうかがい知ることができません。自分をターゲットに自分で作る方が的確です。

2) 表現対象が変わる ~対象よりも自己を表現~

デザイナーの仕事は、企画書で規定される「ヒトやモノや概念」といった対象の情報が、ターゲットに伝わるよう、的確に表現することです。その対象を「自分自身」とし、自分を表現してしまったなら、それはデザインではなく芸術になってしまいます。ですから、デザイナーは自身を無にして対象に対峙します。
ところが、個人が自身のためにデザインする場合、対象は自分自身となります。自身の内面や嗜好や考えを反映することになります。

3) クオリティが変わる ~下限も上限も基準もない評価~

クオリティをどこまで高めるかについては、100人いれば100通りの基準があるでしょう。
「1ピクセル」のズレを「100ピクセル」にも相当する大きな違いと捉える人もいれば、全く気付かずスルーする人もいます。
たとえば、白いテーブルに置かれた、白い陶器のクリーマーの中の白いミルク、白い砂糖は、どれも同じ白ではありませんが、そのような違いを「全く異なる白」と感じる人もいれば「どのみち同じ白」と感じる人もいます。
同程度の痛みでもより強く受信する病気があるように、もとのデータが同じであっても、その受け取り方には個体差があります
プロのデザイナーは色や形の微妙な差にこだわりますが、個人が自分のためにデザインする時代には、当人が良しとするなら、それが基準となります。

4) 完成度が変わる

個人が自発的に創るものには、納期がなく、費用対効果や結果責任をシビアに考える必要がありません。
クオリティを高める努力をしなければならない社会的要請はありません。プレゼンテーションを勝ち抜く精度はもとめられません。
そうなると、必ずしも練り上げられてはいない結果が散見されるようになります。

5) 評価基準が変わる

「人類総デザイナー化」時代には、デザイナーと顧客とエンド・ユーザーという三者の区別はなくなります。表現する側も、それを評価する側も、同じ個人という立場です。
「ヘタうま」ではなく「ヘタへた」が、むしろユニークという点で評価を得られることもあるでしょう。長く傍にとどめておきたい落ち着いたデザインよりも、見た瞬間にインパクトを感じる派手な色で動きの多い、にぎやかなデザインが溢れるでしょう。

以上のように、デザインはきわめて個人的な体験となり、その結果、デザインと芸術の境界は失せ、芸術色が強まっていくと考えられます。

「デザイン≒芸術」の役割は、驚きの提供

では、デザインの芸術化傾向は、デザインと芸術をどのように変えていくのでしょうか。

筆者は、芸術の役割には3つあると考えています。

A) 生き辛さの軽減
B) 社会のバランス維持
C) 驚きの提供

A) は、癒し、慰め、共感を誘い、人々の精神をマイナスからゼロへと近付けるというものです。
英詩人Housemanは、詩の職能を「"to harmonize the sadness of the world"(この世の悲哀を受容可能な形に和らげること」(*1)と述べています。芸術には、この世界に生きる苦痛をやわらげる効能があります。

B) は、リアルとは真逆のイメージ―――社会が平穏な時には闇を、社会が苦痛に満ちている時は明かり―――を提供し、社会の精神性のバランスを維持するというものです。イメージトレーニングのように、実体験でなくとも、イメージはヒトの精神と言動に影響を及ぼ役割を果たします。
この芸術を提供する者は、リアル社会の逆を生きる者であり、社会ではマイノリティです普通を切望しながら普通になれないアウトサイダーたちが、社会の調整弁としての芸術を生み出します。

C) は、意表をつく表現を提供し、ドーパミンを放出させ、鑑賞者の脳を覚醒させるものです。
ヒトはすべからく驚きをもとめます。(たとえば感覚遮断実験のような)刺激のない状況では、脳は誤動作し、幻覚すら生み出すほどだと言われています。
ところが驚きには耐性があります。数十年前には茶の間で東京オリンピックに沸いていた人々も、いまやリビングでくつろぎながら、被害者への共感はそこそこに犯人を推理し、暴力や殺人のシーンを見つめます。そのうち子供も観賞する美術展に葬体芸術のインスタレーションが出展されても問題視すらされなくなるかもしれません。飽きやすく倦みやすいヒトには、驚きが提供され続けなければならないのでしょう。

A) の役割は、悲しみの受容や足踏みを停滞と捉えられる現在では、風前のともしびです。
B) の役割も、すでに終わっているのではないでしょうか。社会の中に暴力化傾向が強まっているときでも、より暴力的な映像が作られているのですから

いずれにせよ、生き辛さを抱えている人が、あまりに増えました。
いまや、昭和の文士が描く不幸はそこかしこにあり、自殺さえも文豪の範疇ではありません。過去のアウトサイダーたちの苦闘は、明るく開かれたメンタルクリニックの投薬対象となっています。
我々は、あたたかいホームドラマの中に「ごく普通の家庭、ごく普通の人々、貧困や病気であろうと、家族や隣人のために泣き笑い苦しみ、愛(=自身の人生の時間)を提供し合う人々、そういった人々こそがマジョリティである」という幻想を見ていただけなのでしょうか?
いや、そうではないでしょう。
毎日のように流れる、悲惨な事件や事故のニュース。人生の苦闘が無差別に降りかかり、ごく普通の人々のこころを破壊しているのではないでしょうか。
生き辛さを抱えるアウトサイダーの方が増えてしまうという、マジョリティとマイノリティの逆転現象が起こりつつあるのかもしれません。

A) と B) が衰退する一方で、C) の役割は大きくなっています。
データ爆発の中にあって注目されるには、新規性とタイミングが重要であり、意図して驚きを提供する表現が増えることは否めません。そして、評価されると露出が増え、類似の傾向の作品も増えるというサイクルができ上がります。誰もが自分自身の基準を持つため、表現の拡大を止める手段はありません

報酬系の変化が、短期サイクル化を招く

さらに、大量の芸術寄りのデザインが短期サイクルで現れる傾向に拍車をかけるものがあります。それは、「報酬系」の短期化です。
報酬系は、ヒトの言動に大きく影響します(※2)。短期報酬系の人が増えれば、サイクルはより短くなります
短期報酬系の人々にとって、「(作る側としては)カタチある作品を矢次早に生み出したい」「(鑑賞者としては)新しいものをもとめ続けたい」という意思を、行動に移さないように抑制することは困難だからです。

筆者は、脳に生じたバグが、ヒトの生来の「報酬系」をより短い方向へとシフトさせているような気がしてなりません。

なにしろ、バグを引き起こす原因が増えています。
まず、豊かな食生活は、脳血管障害による高次脳機能障害を引き起こす可能性を高めます。
また、事故や化学物質や虐待は、直接的な脳損傷やPTSDを引き起こす可能性を高めます。我々は、ニュースの「生命に別条はない」という決まり文句に、慣れてしまってはなりません。「あ、助かったのか、よかった」だけで済ませてはならないのです。「一命はとりとめても後遺症がのこる」可能性があるかもしれないこと、その快復のために被害者が苦闘するかもしれない時間に思いを馳せる必要があります。
それらのバグは、発生する箇所によっては、生来の報酬系を変えてしまうこともあるでしょう。

さらに、昨今のように社会不安が高まり、標準報酬系の人々が将来不安から子孫を遺すことをためらうと、結果的に、短期報酬系の人の方の割合が増えるのではないでしょうか
この報酬系は脳内物質に左右されているという研究があり(科学技術振興機構報 第87号 「理性と衝動性のメカニズムの解明へ一歩」 )、遺伝の可能性がゼロであるとは言いきれないでしょうから、世代を追うごとに、その割合は増えるかもしれません。もし、短期報酬系の人から、他の報酬系の子が生まれたとしても、小鳥の雛が親鳥の歌を覚えてしまうように、生育環境によって、短期報酬系の言動を学習してしまう可能性もあります。今後、報酬系は加速的に短くなっていくと考えられます。

しかしながら、これは、必然的な現象なのです。
混迷の時代には、短期報酬系の人が必要です。未曽有の状況に、考えるよりも先に行動し、結果的に吉と出る(かもしれない)道を切り開くことは、長期報酬系や標準報酬系の者にはできないからです。宇宙に出て、人類の可能性を拡げる責務は、短期報酬系の次世代の双肩にかかっていると筆者は考えます(*3)。
社会危機を乗り切るための生命の戦略、人類が生き残っていくための当然の帰結かもしれません。

短期報酬系の増える社会に適応せよ

社会の維持には、短期・標準・長期、それぞれの報酬系の人が必要です。ただし、ある人口比のもとに構築された社会システムは、その人口比が変わると、維持が困難になります。その時には、システムの方を変更するか、それが無理なら、構成員のひとりひとりが生き方を変えて適応するしかありません。
複雑化きわまりない力関係のうえに成立している社会システムの変更は不可能です。ならば、デザイナーたちが、生き方を変える必要があります。

まず、すでに「その白は、"#FFFFFFFF"ではない」ことが、「1ピクセル"も"、ズレている」ことが、重要ではない時代が始まっていることに気付かなければなりません。デザイナーにとって重要なことは、たいして重要ではなくなるのです。そのクオリティはもとめられないのです。経験を積むなかで蓄積してきたことも、その職種を守るための方便でしかなくなります。スタイルの確立に邁進しても、固定化したスタイルはすぐに飽きられてしまいます。

経験を白紙に戻すことに抵抗感があるでしょうか?
どのみち、その先には、表現というワンクッションを必要としない世界が到来し、「私」のイメージは「あなた」のイメージになるというのに。
感情を物理的に変える安全な薬剤が認可された暁には、感動の喚起は、医療の役割になるかもしれないというのに。

これからは、自ら作り発表することによって糧を得るのではなく、自ら作りたい人々の行為を「手伝わせていただく(≠プロデュースしてあげる)」方向にシフトしするのが賢明でしょう。
コンテンツを作り発表するより、それを発表するためのツールやプラットフォームを開発して、使い方とノウハウを伝えるのです。ゲームを作って与えるより、ゲームを作る方法を教えるのです。ヒトが、電気や化石燃料を使う代わりに自分の身体を動かし、他者に考えてもらう代わりに自分の頭で考える、そのことを、面倒だ億劫だと思わず、楽しめるようになる方法を伝えるのです。

そして、自ら作る場合は、作り方を教えた人々と同じ土俵に立ち、プロではなく一個人として自分のためにデザインをすればよいのです。

*1 出典:石井正之助著「英詩の世界」大修館書店

*2 日経IT Pro連載「Webプランニングから始めよう!」(PROJECT KySS名義、筆者単独執筆)「第15回 異なる時間認識タイプの協力が,問題解決を速くする! 2007年2月掲載」

*3 筆者は超長期報酬系であって標準ではなく、逆方向のマイノリティです。このような混迷の時代を生き抜くには、もっとも適していないタイプでしょう。最期のときまで地球の一箇所におとなしく留まっていることにします。

3月24日、松山市で開催されるカンファレンスで、Windows Phone アプリ開発の手順を解説します。都会のセミナーに参加する機会を作れない方、この機会にPhoneアプリ開発を始めてみませんか!

「データ・デザインの地平」バックナンバー

≪ 第1回 UXデザインは、どこへ向かうのか? (2010/12/20)
≪ 第2回 そのデータは誰のもの? (2011/01/24)
≪ 第3回 子ノード化する脳 (2011/02/20)
≪ 第4回 多重CRUDの脅威(2011/03/14)
≪ 第5回 震災は予知できなかったのか(2011/04/18)
≪ 第6回 永代使用ポータル、クラウドがつなぐ生者と死者の世界(2011/05/16)
≪ 第7回 脳活動センシングの進化が、作曲を変える(2011/06/13)
≪ 第8回 死にゆく者の意思は守られるか (2011/07/11)
≪ 第9回 Windows Phone 7.5 に見る"ヒトとコミュニケーションの形"(2011/08/29)
≪ 第10回 データ設計者は、ヒトを知れ、脳を知れ(2011/09/26)
≪ 第11回 設計者であるための、日々の心得(2011/10/24)
≪ 第12回 センサーの進化がユーザー・インタフェースを変える
≪ 第13回 プログラマ or デザイナから、"デベロッパー"へ(2011/12/05)
≪ 第14回 技術進化が促す、人類総デザイナー化(2011/01/16)

Sei

この記事は、メルマガ「デジタル・クリエイターズ」に月1回連載中の「データ・デザインの地平」からの転載です。

連載「データ・デザインの地平」
第14回 「
「技術進化が促す、人類総デザイナー化」
(2012年1月16日配信分)

この連載を書き始めて1年が過ぎました。タイトルは「データ・デザイン」のまま据え置き、今年はデータ設計からさらに枠を拡げて語っていきます。

ノンデザイナーのデザイナー化が進行中

前回の記事「プログラマ or デザイナから、"デベロッパー"へ」で述べたように、「プログラマ」や「デザイナー」という5文字のテキストには、職業上の利便性以上の意味はなく、デザインを理解できるかどうかは、職業名には関係ありません。
RIA開発の現場では、純プログラマなどのノンデザイナーが、自らデザインを手がけるケースが増えつつあります。

彼らノンデザイナーは、企画立案からラフを作成してプレゼンを行うまでの、いわゆる業界特有の作業の進め方や慣例からは自由です。そのような人たちのデザイナーに占める割合が増えるにつれ、常識も慣例も変わりつつあります。

アプリケーションのタイトルロゴのデザインひとつとっても、ノンデザイナーの多くは、C.I.マニュアル(※1)で規定されるような制約にはとらわれません。
なにしろPCからスマホまで、複数の異なるデバイスでの利用を想定しなければなりませんし、仮に一機種に限定したところで、複数の条件を想定しなければならないのですから、当然です。
たとえばWindows Phoneアプリでは、ひとつのタイトルロゴを、62pxのアイコンから200pxのタイルまで、4種類のサイズに展開する必要があり、同じデザインであっても、大きなタイルには広告の役割が、アイコンにはピクトグラムとしての役割がもとめられます。そのうえ背景色はユーザーの設定次第です。想定可能なすべての条件に利用規定を設けるなど現実的ではありません。

ノンデザイナーたちは、アイコンを自動生成するソフトを用いて、ひとつのタイトルロゴを指定サイズへと展開します。その際、サイズ別に、用途に応じたデザインの調整を行うことはありません。旧来のデザイナーから見れば、これは理解できないことでしょう。が、それでも、問題はないのです。プログラムが正常に動作し、審査を通過すれば、それはれっきとした商品なのですから。

そしてもし、アプリを気に入ったユーザーが、旧来のデザイナーなら立腹するようなデフォルメしたロゴを利用してブログなどで宣伝したとしても、ノンデザイナーの開発者が野暮な指摘をすることは、まずないでしょう。

デザインを手がける人が「プロでなければならない」理由は何もありません。そして、常識が永遠に固定でなければならない理由もありません。
誰もが「デザインをしたい」とは思わないかもしれませんが、誰もが「デザインをしてよい」土壌は、既に整っているのです。

技術進化が促す、エンド・ユーザーのデザイナー化

ノンデザイナーのデザイナー化は、RIA開発者にとどまらず、エンド・ユーザーにも及んでいます。

コンテンツ分野では、すでにプロの制作者ではないエンド・ユーザーが動画サイトに投稿していますし、カメラ女子も増えています。さいきんでは、クリプトン・フューチャー・メディア株式会社による「KarenT」や作品投稿サイト「ピアプロ」に、ノンデザイナの熱気を見ることができます。これまで受け手だったエンド・ユーザーが、自らイラストを描き、CGを作り、撮影し、編集し、デザインしているのです。

このような状況に加え、以前の記事(第12回「センサーの進化がユーザー・インタフェースを変える」)で紹介したように、技術はすさまじい勢いで進化しています。

先に述べた、Windows Phone のタイトルロゴのデザインについても、すぐに3Dのデザインを要求される時代がくるでしょう(もっとも、2次元の方が珍しくなる時代を見越して、「あえて平面的」なデザインをするのも一手です)。

近い将来、画面サイズの制約が消え、カードを持ち運ぶだけでどこでもディスプレイとなり、動けばKinect(※2)が意図通りの処理を実現してくれるようになります。さらには、(これまでの連載で述べたように)「存在のデバイス化」時代には、カードすらなくなり、思考をセンサーが取得して処理を実行するようになります。
それらの技術は、エンド・ユーザーのデザインを強力に支援するでしょう。新しい技術は、人類総デザイナー時代を推し進めます。

こうした「プロでなくとも作り手になれる」状況は、著作権などの厄介な問題を引き起こすだけだと思われるでしょうか?否、過去記事で何度か触れているように、センサが進化すれば、著作権の範囲はあいまいになります。常識は変わります。それは、さほど遠い未来のできごとではありません。

日常生活の中の、エンド・ユーザーのデザイン

では、これからの技術が支援するエンド・ユーザーのデザインとは、どのようなものでしょうか。
一例をあげてみます。

たとえば、あるユーザーが新居に移転して、カーテンを買うとします。
近未来、もはやネットショップで、どのデザインをチョイスするか、ひどく迷う必要はありません。
機能性の充実した白いカーテンを1点購入すれば、エンド・ユーザー自身が図柄をデザインできるからです。考案したデザインを、生地に投影したり、クリアしたりというと試行錯誤のすえに決定したデザインを、指定した期間、生地に定着させることができるのです。

エンド・ユーザーは、吊られている白いカーテンにカメラを向け、部屋の壁に投影されている画面のうえに、1個のミカンをかざします。画面上にカーテンが撮り込まれ、その上にミカンの画像が浮かび上がります。ユーザーが、画面の中のカーテンの、ミカンの絵をいくつかレイアウトしたい部分にタッチしていくと、そこにはミカンの画像が表示され、タッチする度にミカンの画像が増えていきます。タッチの強度により、画像の大きさが決まり、標準的なペイントツールのように、透過したり、線を加えたり、パターン化して、デザインを仕上げていきます。

デザインが決まり、設定を保存すると、カーテンという「モノ」は白いままであるにもかかわらず、即座に柄が反映され、オレンジの模様に彩られた、華やかな部屋が出現します。その柄はいつでも変更することができるので、ユーザーは、明日は朝庭に咲くはずの花の柄に変えよう、などと考えるかもしれません(※3)。

それがカーテンではなく衣料品なら、デザイナーのデザインした服を買うのではなく、自らテキスタイルデザインを実践して、その結果をまとう、デジタル衣装が実現するでしょう。

デザインにとどめて、モノを作らないという選択

エンド・ユーザー自らがデザインをするようになると、デザイナー人口が増え、それに比例して蓄積されるデータも増えます。データを格納するハードウェアとそれを維持する電気も必要になります。作り手の食指を動かすハードウェアが次々と発売され、その製造には、いっそう資源が使われることになります。
そのうえ、デザインしたものを次々製造してしまうと、いくら資源があっても足りません。

人類総デザイナー化が直面する最初の問題は、省資源と真っ向から対立するということです。

我が国では、高度経済成長期以前は、誰もが生活の中で、デザインに関わってきました。食事にせよ被服にせよ、生活必需品は、1点ずつ、手作りしていた時代がありました。
今でも、生活の中で、何がしかのデザインをしている人は多くいます。
キャラ弁を作ったり、日曜大工に汗を流したり、家庭菜園やガーデニングに取り組んだり、さらには時間をかけて布を織ったり、1点ものの服作りやパッチワークや刺繍やアクセサリー制作に凝ってみたり、膨大な人手をかけて田畑に絵画を描いてみたり。それらのすべてにデザインという工程があります。

これほど賢明な行為があるでしょうか!生活に必要なものをデザインの対象とし、ヒトが自らの頭で考え、考えることにできるだけ多くの時間を費やし、人力でモノの形にし、作られたものを自然に返す行為こそが、最も省資源です。

しかし、かつて我々は、大量生産大量消費の道を選びました。
結果、"製造や廃棄の工程で資源を消費し、人体に悪影響を及ぼす物質を排出する"モノがあふれています。季節がめぐる度、作られ、捨てられるモノの往来を、我々は受け入れています。そのうえに、どんどんデザインし、データを蓄積し、それを次々形にするのでは、我々は過去から何も学ばないことになってしまいます。

デザインの結果はデータの状態にとどめ、むやみに形にしないという選択をしなければなりません。
50点のデザインを考えたなら、50点のデータを作って終わりとすればいいのです。50個のモノを作ってはならないのです。それがどうしても生活に必要ならば、モノの形にするのは1個だけにとどめるべきです。

人類総デザイナー化が良い結果に帰結するために必要なこと、それはエンド・ユーザーが、形ある結果を得て満足するのではなく、デザインの過程を楽しむ能力を獲得することに尽きるでしょう。

人類総デザイナー化の行く末

さいごに、人類総デザイナー化の先に待っているものを、すこし覗いておきましょう。

インテリアが精神が影響し、デザインされたテーブルウェアに盛り付けられた食事が脳を育くみ、それが人となりに影響するように、モノのデザインは、ライフスタイルの一部を形作ります。モノのデザインに慣れたヒトは、次のデザインの対象を、ライフスタイルに定めます。

さらに、デザインの対象は、自分自身のライフスタイルから、他者のそれへと移ります。ヒトは、生き方をデザインすることを望み、人生を完全に制御しようと試みます(※4)。
そして「私は、どのようにデザインされた社会の中で、どのようなデザインとして存在したいか」と考え始め、社会にコミットし、その限界を知ると、今度は自分自身を「物理的に」再構築しようとするでしょう。

しかしながら、社会が変わっても、自分が変わっても、世界が変わるわけではなく、ヒトは、私という「存在のデザイン」について問いを発するしかなくなるのです。

※1 カラーの場合/モノクロの場合/白地の場合/黒地の場合を想定して色を決定し、各種サイズについて、ロゴのバリエーションや用途を規定した資料。

※2 Kinect for Windows

※3 脳内イメージをそのまま出力して図柄とする技術も登場するでしょうが、ノンデザイナーのエンド・ユーザーが鮮明なイメージを出力することには、技術以外のハードルがあるでしょう。

※4 「自分の人生は自分の意思通りにデザインされるべきだ」という考えは、生命倫理や脳神経倫理の問題につながります。

「データ・デザインの地平」バックナンバー

≪ 第1回 UXデザインは、どこへ向かうのか? (2010/12/20)
≪ 第2回 そのデータは誰のもの? (2011/01/24)
≪ 第3回 子ノード化する脳 (2011/02/20)
≪ 第4回 多重CRUDの脅威(2011/03/14)
≪ 第5回 震災は予知できなかったのか(2011/04/18)
≪ 第6回 永代使用ポータル、クラウドがつなぐ生者と死者の世界(2011/05/16)
≪ 第7回 脳活動センシングの進化が、作曲を変える(2011/06/13)
≪ 第8回 死にゆく者の意思は守られるか (2011/07/11)
≪ 第9回 Windows Phone 7.5 に見る"ヒトとコミュニケーションの形"(2011/08/29)
≪ 第10回 データ設計者は、ヒトを知れ、脳を知れ(2011/09/26)
≪ 第11回 設計者であるための、日々の心得(2011/10/24)
≪ 第12回 センサーの進化がユーザー・インタフェースを変える
≪ 第13回 プログラマ or デザイナから、"デベロッパー"へ(2011/12/05)

Windows Phone アプリ公開中。俳句・川柳を、ローカル保存、facebook投稿対応。英語俳句作成支援、季語検索、月別ソート表示機能付き。月別XMLファイルで登録俳句の再利用可能。句数制限なし(365句詠んでも数百KB。Phoneのディスク空き容量次第)。字数制限、行数制限なし。

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この記事は、メルマガ「デジタル・クリエイターズ」に月1回連載中の「データ・デザインの地平」からの転載です。

連載「データ・デザインの地平」
第13回 「
「プログラマ or デザイナから、"デベロッパー"へ」
(2011年12月5日配信分)

RIA開発では、プログラミングとデザインは相互に強く関わり合っています。開発ツールは分業を可能とする方向に進み、作業そのものは分担しやすくなりましたが、アプリケーションのクオリティを高めようとすると、双方の仕事への理解がもとめられます。
今回は、RIAデザインについて、思うところを述べてみます。

ヴィジュアルデザインは、それ単独では成立しない

RIA開発におけるデザインの実作業は、三層構造になっています。
すべての基盤となる「企画」の上に、デザインがあります。一層目は機能設計、二層目は操作設計、三層目が表現設計です。おおまかに言えば、一層目と二層目はユーザーインタフェースデザインで、三層目がヴィジュアルデザインです。

これら三層の作業は深く関わり合っています。上の層の作業は、下の層から独立しているのではなく、下の層の上に重なっています。三層目のヴィジュアルデザインは、一層目と二層目の上に構築されるものであり、それ単独では成立しません。上の層を下の層から切り離すことは、非常に困難です。
それは、プログラミングにおいて、技術仕様が固まっていない状態で詳細設計を進めたり、データベース設計が固まっていない状態でデータ処理のコードを記述するのに似ています。下の層が固まっていない状態で、上の層の作業を進めると、トラブルが発生しやすくなります。
また、下の層をないがしろにして、表層の作業だけにこだわっても、クオリティを根本から高められるわけではありません。
これは、プログラミングにおいて、名前付けにこだわっても、プログラムの本質的なクオリティが向上するわけではないのと同じです。

もうすこし具体的な説明を試みましょう。
たとえば特定のユーザー層をターゲットとするために、1ページに盛り込む要素を最小限に抑えた方が良いUIである、アプリケーションがあるとします。
1ページに多数の機能を盛り込んだプロトタイプに対して、一画面上の色やレイアウトを変えたところで、それは表面を取り繕ったことにしかなりません。
デザインのクオリティを高めるには、搭載機能や手順を見直すか、省略できる機能も手順もないならば、複数のページに分割したり、フリックして次のアイテムを表示するなど他の方法はないかを検討し、一層目と二層目の設計を見直さなければなりません。
大量の塩と砂糖を入れたスープをユーザーが食べられるようにするには、美しい食器に盛り付けてもだめで、調味する前の状態に戻す必要があります。

部品の配置、色やフォントの設定といった、ビジュアルプロパティにかかわる作業を、一層目や二層目の根拠なく行っても、それは表現の調整であって、表現の設計ではなく、もとよりUIデザインではありません。
さらに言うなら、デザインの実作業自体は3層ですが、技術進化を鑑みると、その下の「企画」もデザインに含める方が妥当です。デザインとは、その言葉の本来の意味通り「設計」です。ことRIAデザインに関しては、プランニングとアートディレクションも含む一連の作業を「デザイン」として捉えた方がよいと思います。

もし、プログラマの皆さんが協業相手のデザイナーの作業をかいま見た時、またデザイナー自身が自分に問いかけた時、表面的な美しさだけを取り繕ってお茶を濁してしまっているのではないか?と感じたなら、その根底にある、一層目と二層目、その下に横たわる企画について言及する必要があります。
その姿勢は、必ず、UIのクオリティを高めてくれます。

自分のゴールデンルールは、ユーザーのそれではない

小規模アプリケーション開発の現場では、すでに開発形態そのものが大きく変わりつつあります。とくに、スマホアプリではその傾向が顕著です。
プロデューサー不在でプログラミングとデザインの両方を理解した者同士がコラボレーションし、開発テーマに応じて分担方法を変更したり、両者を一人で兼ねるケースも目立ちます。

プログラマがデザイナを兼務するには、デザイナーの視点をあわせ持つことが必要でしょう。
デザイナーには、「自分対それ以外」という感覚をもって、対象を外から眺める傾向があるように思います(全員がそうだというわけではありません)。外から、世界を、社会を、人々を観察するのです。「自分を含む社会」という視点では、自分のゴールデンルールと他者(主にユーザー)のそれを混同してしまうからです。
技術力のあるプログラマほど、この視点が必要です。

技術に明るくガジェットに慣れているプログラマは、新しいインタフェースのアプリケーションが目の前に現れても、興味深く感じて触ってみます。使えるようになるまでの過程を楽しむ人すらいます。
もし、対象とするユーザーが同じ技術レベルの人々ならば、プログラマが自分のゴールデンルールとユーザーのそれを同一視しても問題はありません。
しかし、ユーザー層によっては、新規なものに触れること自体が苦痛だという人々も、少なからずいます。
ユーザーの利便性を考えて新しい技術を使ったところが、新技術の使用それ自体を目的化しているように受け取られる可能性もあります。
「自分ができるからユーザーもできる」とは限りません。「自分が気にならないからユーザーも気にならない」とは限りません。
「使うことができる」と「使いやすい」は違いますし、「使いやすい」と「使ってみたい」は違います。さらにいえば、「使ってみたい」と「対価を払ってでも使おうとする」は異なります(これが非常に厄介なのですが)。

外からの視点を持ってデザインにのぞまなければ、ともすれば、頭の中に蜘蛛の巣が張りそうな画面遷移や、ヘルプを読まなければ手順を推測しにくいレイアウト、ナビゲートするメッセージの多用を、スルーしがちになります。
デザインの基本は、機能も、操作も、表現も、すべての層において、引き算です。機能を絞り込み、操作手順の無駄を省き、色の数やフォントの数を絞り込むことから始めなければなりません。

デザイナーを兼務するなら、配色の知識を学んで表現設計に没頭するよりも、まずは、プログラマであることの利点、処理を理解してい強みを生かし、機能設計、操作設計に注力する方がよいと思います。それらが優れていれば、色なんぞは、白バックにモノトーンでまとめ、彩度の高い色を一つ決めて、その色をポイントとしてあしらう程度でもかまわないのです(むしろ、下手に色を使いすぎると、良い設計が台無しになります)。その方が、配色やフォントに凝っただけのデザインより、何倍も良いデザインになるでしょう。

問題は職種ではなく、「世界をまなざす感性」

プログラマから見れば、デザインは、ずいぶん性質の異なる職業のように思われるかもしれません。しかし、プログラミングとデザインは決して離れてはいません。その隔たりは微々たるものです。

たとえば、真っ赤な紅葉の1枚を日にかざすとき、美しいその色その形は、三層目の表現設計にあたります。
どのタイミングで芽吹き、色付き、枝から切り離され、朽ちていくかという流れは、二層目の操作設計にあたります。
1本の樹木の生涯の機能を決定付けているのが、一層目の機能設計です。
そして、その下の層に、紅葉が紅葉として成立するための、世界の企画があります。

筆者は―――そして多くの人々が―――紅葉を美しいと感じます。その表面の色だけが美しいのでしょうか。それが美しいのは、その企画が、なにか「エレガントな概念」に基いてデザインされ、計算されて、我々の眼前に現れているからではないでしょうか。

デザインとは、この世界を成立させている「エレガントな概念」に基づく着想を、この社会の中に、この日常生活の中に、他者に伝わる信号に変換して出力する仕事だと、筆者は思います。デザインがプログラミングと異なるのは、その変換形式が、計算機に与えるコードではなく、色や形だということです。

「プログラマ」や「デザイナー」という5文字のテキストには、職業上の利便性以上の意味はなく、デザインを理解できるかどうかは、職業名には関係ありません。職務経験にすら関係ありません。それはひとえに、エレガントな概念への気付きを得るための、「世界をまなざす感性」にかかっています。
その概念にもっとも近い位置にあるのは数学(あるいは物理学や、メタ哲学ではない哲学)であり、そう考えれば、むしろ、デザイナーよりも、プログラマの方が、気付きやすい近い位置にいるはずです。

この世界のあらゆる情報を、より深く、強く、受けとめる感性を持てば、職業に関わらず、デザインを分かるようになります。その感性は、物理的に地理上の広い範囲の多くの現象を五感で受信するという経験ではなく、時間的に遠い範囲を見渡して深く概念を突き詰める経験によって磨かれるようです(もちろん前者は、職務スキルやコミュニケーションスキルを磨く上で非常に重要な経験です)
ただし、それは自ずと磨かれるものであって、自分で意図して磨こうとすると、逆に擦り減ってしまうので、厄介ですが。

デザインを分かるうえでは、この感性が磨かれるような生活をおくることの方が、セオリーに関する知識を蓄積することよりも、表現手法を磨くことよりも、はるかに重要です。
そんな悠長な、そんなことのために人生の多大な時間を費やしてしまい、デザインが形にならないまま一生を終えてしまったら元も子もないではないか?と思われるかもしれません。が、それはそれでいいのではないでしょうか。世界に対する見方が変わらないまま、場数だけこなしても、器用さが身に付くだけで、逆にデザインから遠ざかってしまいますから。この世界は既にデザインされており、我々の最小限の生のために追加した方がいいものなど、実のところ、さほど多くはないでしょうから。

プログラミングとデザインの両方の最新情報をチェックしたり、人生の物理的な時間制限のあるなかで一人で二人分の作業をこなすことは不可能です。それ以前に、プログラミング環境とデザイン環境の両方を揃えた日には、グレードアップ貧乏になってしまうかもしれません。
しかし、世界をまなざす感性が磨かれたなら、一人二役で開発する際に、自分自身の中での対話が可能になります。

これからは、プログラマやデザイナーではなく、一人の「デベロッパー」を名乗るべき時代なのかもしれません。
「プログラミングに軸足を置くデベロッパー」か「デザインに軸足を置くデベロッパー」のいずれかです。
そのどちらに軸足を置くにせよ、今、デベロッパーは、世界に対する感度を高め、デザインという言葉の本来の意味を問いただす地点に立っています。

「データ・デザインの地平」バックナンバー

≪ 第1回 UXデザインは、どこへ向かうのか? (2010/12/20)
≪ 第2回 そのデータは誰のもの? (2011/01/24)
≪ 第3回 子ノード化する脳 (2011/02/20)
≪ 第4回 多重CRUDの脅威(2011/03/14)
≪ 第5回 震災は予知できなかったのか(2011/04/18)
≪ 第6回 永代使用ポータル、クラウドがつなぐ生者と死者の世界(2011/05/16)
≪ 第7回 脳活動センシングの進化が、作曲を変える(2011/06/13)
≪ 第8回 死にゆく者の意思は守られるか (2011/07/11)
≪ 第9回 Windows Phone 7.5 に見る"ヒトとコミュニケーションの形"(2011/08/29)
≪ 第10回 データ設計者は、ヒトを知れ、脳を知れ(2011/09/26)
≪ 第11回 設計者であるための、日々の心得(2011/10/24)
≪ 第12回 センサーの進化がユーザー・インタフェースを変える(2011/11/14)

Windows Phone アプリ公開中。俳句・川柳を、ローカル保存、facebook投稿対応。英語俳句作成支援、季語検索、月別ソート表示機能付き。月別XMLファイルで登録俳句の再利用可能。句数制限なし(365句詠んでも数百KB。Phoneのディスク空き容量次第)。字数制限、行数制限なし。

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Sei

先般紹介した縦書き俳句アプリ「一日一句 Ver.0.8」に、機能を追加した、「一日一句 投稿対応版 Ver.1.0」を公開しました。
川柳にも使用可能です。
字数を制限していないので、和歌にも使えるかもしれません。

ダウンロード先

http://www.windowsphone.com/ja-JP/apps/df7d0863-ee51-4010-91d8-6a5673f128af

今回のアプリは横書きですが、facebookへの投稿に対応しています。

搭載機能

・詠んだ俳句の、Windows Phone 実機内への保存(XML形式、月別ファイル)。
・bing翻訳による、英語俳句作成の支援。
・bingでの月別季語検索。
・facebookへの投稿。投稿機能のオン/オフ設定あり。
・月別の一覧表示。日時の昇順降順ソート。
・月別ファイルの削除。

使いかた

次のような手順で使います。

facebookへの投稿設定

トップページの「設定」ボタンをタップして表示される設定ページで、facebookに投稿する場合の、タイトルと、リンク先(ブログやTwitterや句会のWebサイトなどのURI)を入力し、「設定保存」ボタンをタップします。
応募作品を練るなどのために、投稿したくない場合は、「投稿不要」ボタンで、投稿機能を利用しないように設定できます。

1_dailyhaiku_in_jajp_main

2_dailyhaiku_in_jajp_fb

作成・保存・投稿

俳句入力ボックスの中に、改行しながら日本語の俳句を入力します(必須)。必要であれば、コメント欄に、ルビや注釈などを入力しておきます。この内容は覚え書きであり、ファイルには記録されますが、本アプリ上では表示されません。

日本語俳句が入力された状態で「英語」への翻訳ボタンをタップします。翻訳された言葉を参考にしながら、英語俳句を作ります(必須ではありません)。この翻訳機能は、辞書を引く手間を省くためのものであり、自動的に句を生成するものではありません。編集と創作が必要です。

3_dailyhaiku_in_jajp_compose

虫眼鏡の形の「季語検索」ボタンをタップすると、季語を検索できます。

7_dailyhaiku_in_jajp03_kigo

「保存」ボタンをタップすると、月別ファイルに保存されます。facebookへの投稿設定を行っている場合、引き続き、投稿ボタンをタップするだけで投稿できます。

一覧表示

俳句が記録されていると「一覧」ボタンが利用可能になり、これをタップすると、入力画面の上に、ファイル・リストのウィンドウが開きます(年月以外の部分をタップすると、ファイル・リストのウィンドウは閉じます)。俳句を表示したい年月を選択すると、その月に詠んだ俳句が表示されます。
「▼」ボタンと「▲」ボタンでソートできます。

4_dailyhaiku_in_jajp_show

5_dailyhaiku_in_jajp_show2

削除

俳句が記録されていると、トップページの「削除」ボタンが利用可能になります。俳句を表示したい月を選択すると、削除できます。

6_dailyhaiku_in_jajp03_delete

俳句ファイルの再利用

詠んだ俳句は、「○年○月.xml」というファイルに記録され、Windows Phone 実機の指定フォルダ内に保存されます。

句集の編集や、応募作の絞り込みなどのために、俳句ファイルを再利用したい場合は、CodePrex からダウンロードできる、「Windows Phone Power Tools 」を用いて、Windows Phone 実機の指定フォルダ内に保存されている俳句ファイルを、PC上にコピーしてください。

再利用可能なXML形式ですから、Microsoft Excelやメモ帳など、XML対応のアプリケーションであればそのまま開けます。

(1) 実機をPCに接続します。Zuneが起動します。実機の電源をオンにしておきます。

(2) Windows Phone Power Tools を起動します。

Powertools1

Powertools2

(3) 「CONNECT」をクリックします。

Powertools3

(4) 「file browser」をクリックします。

Powertools4

(5) ファイルブラウザが開きます。アプリの入っているフォルダを展開して、指定フォルダの中の、再利用したいデータファイルをクリックして選択状態にして、「GET」をクリックします。

Powertools5

(6) ファイルを取得する先のフォルダを指定します。図ではデスクトップを指定しています。

Powertools6

(7) デスクトップに、選択したファイル(図では2012年1月のファイル)を取得できました。

Powertools7

あとは、Excelやメモ帳など、使いなれたソフトで開くだけです。

Powertools8

先般紹介した、旅の出会いを記録するアプリ「道友日本」や、四国遍路での出会いを記録するアプリ「道友」で作成されたファイルも、同様の手順で、再利用できます。

Sei

Windows Phone アプリのサンプルデータ用に、いくつかの俳句が必要になり、ひねり出しました。詩は書くものの、俳句は馴染みがなく(それでも松山人か)、決まりごともよく分かっていません。
先に英語で詠んでから、五七五に落とし込んで、日本語句を作ったら、なんだか舌足らずになってしまいました。

My sight in the ocean
The crystal of Tsugaru
deepens blue to blue

海の中
津軽びいどろ
青の青

以前にも書きましたが、私は海辺育ちで、毎日海を見ていました。現住所に移転してから海が見えないので、とても辛く、海の色のベネチアンガラスを5個と、津軽びいどろを1個持っています。
津軽びいどろは、一輪挿しです。直径7cmほどの大きさのほぼ球形で、上1/3が薄茶、下2/3がブルー、海の泡のような模様があるものです。びいどろは、crystalではないのですが、水晶玉のような形で、職人の結晶でもあるので、このような表現にしてみました。

私は、野の花や鉢植えは大好きですが、切り花や盆栽が苦手なので(花の気持ちになって辛くなってしまう)、花は挿さず、そのままデスク横に、インテリアとして置いておき、ときどき掌に乗せてみます。

そして、花を挿す孔の中に、5mmほどの小人になった自分が入って、周りを見渡したとしたら、と、想像します。きっと海の中にいるようです。
花瓶を外から見れば、中ほどから底までは、さほど違わない青一色です。が、中に入って足元を見れば、底の色は深いのです。これはきっと、同じ青一色ではなく、青から同じ青へのグラデーションに違いありません。同じ色であっても、視点が異なると、深みが感じられるのです。

The fallen leaves tells you sadness
You tells me your hapiness
What a relative world !

枯葉逝く
彩り愛でる
生死かな

枯葉は、枯葉の気持ちになってみれば、これは悲しいのです。もうお役御免であって、あとは土に帰るだけなのです。
ところが、ヒトは勝手なもので、それを見て、赤だ黄色だ紅葉がきれいと言って、喜ぶのです。
私も例外ではなく、勝手なヒトの中の一人です。街路樹の葉の舞う道を歩きながら、遠くの山を見ては、きれいと思い、舞う葉を見ては枯葉の気持ちになるのです。
見る者によって悲しみと喜びが変わる世界に生きているのだなあ、と複雑な気持ちになります。

There is nothing worse
It is living for worth
One step for myself

悲しみは
底をついたり
歩くだけ

私の座右の銘は「何をこれしき」で、悪いことが起こったときは、いつも「何をこれしき」。楽天的な性格なのですが、「何とかなる」とは思いません。「何とかする」と、自分を奮い立たせます。そういう時の気持ちは、The Crusaders の「I'M SO GLAD I'M STANDING HERE TODAY"(邦題:明日への道標)」だったりします(歌詞が好きです)。結果、がんばりすぎてしまいます。

「ガンバレ」という言葉は、そう声掛けしなければ頑張れないタイプの人には有効ですが、言われなくても頑張るタイプの人間には重いです。相手の性格によって、ケースバイケースで使うべき言葉です。
では、常に自発的に頑張る人には、何と言えばいいか。
「すこしずつでも、歩いていければいいね」
というのが、いいのではないかなあ?と思います。

英語俳句では、押韻は意識する必要はないようですが、詩を書く時のクセで、「or」の部分だけ中途半端に同じになってしまいました。

Memory is everywhere
O soul!
I'm just livin'
O earth!

思い出は
いずこにもあり
ああ地球よ!

英語俳句は3行が基本だそうなので、4行が俳句といえるのかどうか分かりません。

引用元をすぐに探し出して提示できないのですが(こういうところが紙の本の不便さ)ペンローズの著作に、分子レベルで同じヒトを構成したら、それは同じヒトたりうるかというのがありました。
同じ時間に同じ空間に構成されれば同じヒトかもしれません。
一意な私は、誰をも占有しない時空にいます。生きていると知覚する時、その足元にある地球のすばらしさを思います。
そのすばらしい地球上に、私の死後も、私を構成していた物質は、拡がっていきます。思い出も一緒に引き連れて拡がるでしょうか。

The stories of the unknown children
Who can never tell
Deep in the ocean, their jewels spell

あったかもしれない過去に
耳澄まし

自分の人生を振り返ってみると、デザイナーや技術者としての自分は、氷山の水面上の部分の、1/5です。あとの4/5は、プライベートで、家族との相互理解をはかるために悪戦苦闘してきた部分です。水面上のことが忙しすぎて、水面下の部分は、まだ、ほとんど手つかずです。

そのような状況で、もし、この世界から切り離されたとしたら?
私には子供がいませんし、兄弟もいません。私が言いたかったことを、伝える人がいません。周りから見れば、XML屋さんで沢山本書いてたよね、デザインもやってたよね、おもしろい人だったよね、それだけです。名残惜しいことこのうえありません。子供のころ二度死にかかったことがありますが、その時に思ったのは「まだすべきことがある」ということだけでした(情けないことに、家族や友人のこととかは考えませんでした)。

しかしながら、まだ、私には、水面下を表現できる可能性があります。

表現手段を獲得した大人とは違い、水面上と水面下の区別さえついておらず、心の中に、伝えたいことを、いっぱいしまい込んでいる子供たち。
しまい込んだまま、眠ってしまった彼らの思いは、彼らの宝物―――おもちゃ箱に大事にしまってあるような―――が、代弁しているのではないかという気がします。

我々は、その声に耳を傾けることを忘れてはならないのだと思います。今の私にできることは、ときどき、スーパーやコンビニの募金箱の前で足をとめることですが、それは生者のための行為です。死者に対して我々は無力です。忙しい日常のなかで足をとめたとき、ふと、彼らのことを思う、それしかできません。

日本語句のほうは何を言いたいのか意味不明ですが、英語句のほうは、受け手によっては辛い気持になるだろうから、詠んだけれども、使いませんでした。が、折に触れて誰かが語る必要があると思ったので、かなり迷ったけれども、このブログには書きました。

Sei

昨日紹介した、国内の旅での出会いを記録できる Windows Phone アプリ「道友日本」を開発する前に、四国遍路に特化した Windows Phone アプリ「道友」を開発していました。

なぜ、国内旅行版よりも先に、四国遍路版のアプリを作ったのか?それは。

四国四県は、2006年に、文化庁に対し、「四国八十八か所霊場と遍路道」を世界遺産にと、共同提案しています。
また、昨年10月1日に「四国活性化フォーラム2011」が開催されました。テーマは「お遍路で結ぶ絆」。
今年5月には、ウド鈴木さん主演の映画「一遍上人」が公開されるようです。
生誕地が松山だったとは(をいをい)

そのようなわけで、先般紹介した俳句アプリ「一日一句」同様、ご当地アプリです。
公開先を、狭い地域から広い地域へ、つまり、四国から日本へ、日本から世界へ、と拡げていきたいという考えがあり、先にご当地版を開発しました。

その昔、XMLの黎明期、日本のXMLコンテンツは世界に通用すると言われていました。XMLの父、John Bosak氏も評価していたようです。
以前「RainMan Toolkit」のプロトタイピングをPROJECT KySSで担当した時も、2005 Conference Proceedings の会場では、そのUIが評価されていたそうです。日本の開発者なら当たり前に作り込む細かな配慮が、他の国では当たり前ではないケースが結構あるのだそうです。
日本の開発者が作るアプリやコンテンツは、もちろん、世界に通用します。

ですので、Windows Phone アプリ開発者は、現在のところ、auのIS12Tしか発売されていないことを、嘆く必要はありません。
世界のWindows Phone ユーザーを対象に、開発すればいいだけのことです。

で、「道友」の紹介です。

Michitomoicon_300

「道友」の概要

道友は、人生という道程―――四国八十八箇所の、へんろみち―――で出会った人々との思い出を、テキストと写真で記録するためのアプリケーションです。
出会った人々の、ハンドル名、居住地、実名、Twitter ID、コメント、写真を記録できます。
記録内容は、札所別のXML形式のファイルとして、Windows Phone の「Michitomo」フォルダ内に保存されます。
それらのファイルは、PC上に移動すれば、Microsoft Excelやテキストエディタなどでそのまま開くことができ、ソーシャルメディアや年賀状による末永い交流、また、旅日記の執筆にも利用できます。

「道友」のダウンロード先

こちらで公開されています。無料です。

「道友」の機能

トップページのタイルをタップした次のページは、bing Mapsになっています。八十八か所の中で、友と出会った寺のピンをホールドします。

Mainpage01

Mainpage02

(1) 入力
友だちの情報を入力します。
ハンドル名、居住地、実名、Twitter ID、コメント、Windows Phone で撮影した写真を記録できます。
個人情報に配慮し、必須項目は、ハンドル名と居住地(地域名、国名だけでも可)だけです。

※データはダミーです。

Datain01

(2) 一覧
登録済みの友だちを一覧表示し、選択により詳細データを表示します。

Datain_menutolist1

Datain_menutolist2

Datain_menutolist3

写真は、90度ずつ回転、拡大縮小、移動、自由回転して確認できます。

Imageshow

(3) 検索
道友には、データベースは搭載していません。選択した寺の情報は、bing で検索できます。

Bingsearch

(4) データを全削除
テスト登録したデータや、再巡礼の際に以前のデータを削除できます。

この「道友」は、PROJECT KySSで開発した、1本目のWindows Phone アプリです。
なにしろ初めてのPhone 開発、また、コラボに連携の不備があり、

・Windows Portrait Pageで作ったほうがよい部分をPivotを採用したために、画面遷移が分かりにくい部分がある(開発者なら、ああPivotね、と思うだけですが)。
・bing Maps上で札所を選択してメニューを表示させる方式だが、Windows Phone(au)では、八十八か所の中で一箇所だけ、電波の届かない場所があるらしい。つまり、その一か所では、このアプリは使用できない可能性がある。
・bing Maps上で、札所をホールドしてメニューを表示する部分が直感的に分かりにくい。
・写真をタップして拡大する画面が別ページで、拡大にもユーザーのピンチ操作が必要(これについては、いろいろな機能を実装したい相方と、シンプル・イズ・ベストという私の間で「何が良いUIか」という考えが異なる)

という4つの問題があります。
まぁ一言で言えば、多少、ユーザインタフェースに、まどろっこしい部分があります。

が、Windows Phone のハードウェアおよび接続におけるメリット、

・軽量で場所をとらない
・紙のノートと違って防水。驟雨に耐える。
・auは比較的接続が良いらしい。四国遍路では山中を歩くが、上記のとおり、1か所を除き、接続可能らしい。
・カーブフリックで日本語入力がしやすい。
・ケータイより大きな画面で、bing検索結果を閲覧できる。

という5つを生かす企画になっており、なにより、

記録が、XMLファイルとして、ローカルフォルダに保存できる

これは、「持ち運び可能なPC」であるWindows Phoneを使う、大きなメリットだと考えています。

なにしろXMLファイルですから、再利用が容易
無償ダウンロード可能なツール「Windows Phone Power Tools」で実機に接続すれば、XMLファイルをPCにコピーでき、Excelやメモ帳で開けます。帰宅後、旅日記が書きやすいです。

ちなみに、この「道友」の菅笠タイルのアイコンも、先日紹介した「道友日本」の富士山タイルのアイコンも、Expression Design で1から描いています。つまりベクトルデータです。

この「道友」は、無料ですので、四国遍路に出かける際には、ぜひ、使ってみてください。
また、ユーザーインタフェースについての改善要求や、機能追加希望などありましたら、コメントをいただければ、今後の開発の参考になりますので、ありがたいです。

Sei

  旅の出会いを記録する、Windows Phone アプリ「道友日本」を公開しました。

人に会い、景色に会い、自分に出会う―――「道友日本」は、旅での出会いを記録するアプリです。
出会った人のハンドル名(これのみ必須)、出会った場所、実名や住所、メールアドレス、コメント、Windows Phone で撮影した写真を記録できます。
記録した内容は、年月別のファイルとして、Windows Phone の「MichitomoJapan」フォルダ内に保存されます。
テキストや写真は保存後すぐにその場で確認でき、また、出会いの場所も、bing Maps の地図上で確認できます。
コメントは、フェイスブックに投稿できます。

Michitomonippon_final_400

■「道友日本」の入手先

[旅行&ガイド / 旅行ツール] カテゴリ、115円。試用版あり。

http://www.windowsphone.com/ja-JP/apps/3b73dbc8-64bd-42b4-aacd-52bb24ad398e

■「道友日本」の機能

(1) 出会った人の情報を記録できます。
登録項目は、ハンドル名、出会った場所、出会った人の実名や住所、メールアドレス、コメント、Windows Phone で撮影した写真です。

Datain

(2) 登録済みの人のハンドル名などを一覧表示します。

Ichiran

(3) 出会った場所を、地図上に表示します。データ保存時の場所に、ピンが表示されます。地図は、道路表示と航空写真を切り替えられます。

Menu

Map1_3

Map2

(4) 入力済みの詳細データを表示します。写真は、90度ずつ回転、拡大縮小、移動、自由回転して確認できます。

Datashow

(5) コメント欄に入力した内容を、フェイスブックに投稿できます。

Facebook1

Facebook2_2

■こんな使い方もできます!

保存済みファイルは、PC上に移動すれば、Microsoft Excelやテキストエディタなどでそのまま開くことができ、帰宅後、旅行記の執筆に役立てることができます。

出会った友が人ではなく、花や鳥や虫であれば、「ハンドル名」欄に俗称を、「実名」欄に学術名を入力して写真を撮影することにより、観察記録を作ることができます。

「ハンドル名」欄に任意の文字を入力し、コメントと写真を記録すれば、景色との出会いを記録するアプリになります。

開発:kuniyasu(プログラミング:薬師寺国安、企画・デザイン:セイザインデザイン)

Sei

読者の皆さま。
昨年はブログを購読いただき、ありがとうございました。
12月はあまり更新できませんでしたが、また徐々に書いていきますので、本年もよろしくお願いいたします。

昨年は、未曾有の大災害で、年賀の言葉も見つかりませんが、梅のつぼみがすこしずつ開いていくように、この国の春の訪れを待つことができればいいなぁと思います。

私個人はといえば、ネットで配信するコンテンツ制作用に商標を取得して7年、ようやく昨年、1st.アルバムの海外配信、Windows Phone Marketplaceでのアプリ公開、と、一歩を踏み出しました。当然のことながら、正月休み返上で、Visual Studio に向かっています。今年は、絵と詩を核に据えた、独自の発信に弾みをつけていきたいと思います。

Sei

Microsoft 系の技術を使った主なWebサイト制作方法には、HTML、ASP.NET、 Silverlight という3つの選択肢があります。
が、Windows 8 の IE10では、デスクトップスタイルの場合は現行通りですが、Metro スタイルでは、Silverlight や Flash のプラグインがサポートされなくなるそうです(資料)。

これからの Web サイトは、直接 HTML 5 で作成するか、あるいは、ASP.NET の Webサイトを開発し、サーバで処理した HTML を出力する方向で進めるとよいかもしれません。

一方、Silverlight は、Windows Phone アプリの開発プラットフォームとして、積極的に採用できそうです。12月9日には、 Silverlight 5 が正式リリースされています。Silverlight のサポートは、2021/10/12 まで続くそうなので、XML 屋の立場から見れば、仕様の固まった技術として安定して採用できる、XSLT 1.0 のような存在になるのでは?という気がします。

では、これからの Web サイトは、どのようにして開発すればいいのでしょうか?
その答えのひとつは、開発ツールで、ASP.NET の Web サイトを作ってしまうことです。
でも、Visual Studio を持っていなければ、作れないのでは?
いえいえそんなことはありません。Web Matrix という方法があります。

Web Matrix を使って、ASP.NET の Webサイトを作成し、レンタルサーバで公開すればよいのです。
今ならデータジャパンさんのキャンペーンを利用すれば、レンタルサーバサービスの ExpressWeb を14 日間無料で試用でき、圧倒的に安価で継続利用できます。
また、特典もあります。

Microsoft のエヴァンジェリスト井上氏のブログに詳細な説明があります。

Webmatrix1_3

私はデータジャパンさんとは10数年来の付き合いです。私の知る限り、その昔、同社以外に、Windows ホスティングに積極的な会社はありませんでしたから、老舗中の老舗です。経験とノウハウがありますから、安心できます。

余談になりますが、Web Matrix といえば、昔、日経ソフトウエアに連載を書いていたときのことを思い出します。
同誌を定期購読していた研究室に伺った時、そこの秘書さんが「わたしも読んだので、教えて」と言うから、おっ、私の記事でプログラミングに関心を持つ人が一人増えたのか?と喜んでいたら、どうも話がかみ合わない。
よくよく聞いてみると、第6回目の記事で、サンプルデータとして使っていた料理が美味しそうなので、レシピを教えて、ということでした。
献立をサンプルDBとして使っているのは、当時から相変わらず。......この連載書いていた8年前と変わらず、今日もこれから買い物に出かけて夕食を作る私です。

Sei


プロフィール

薬師寺 聖

薬師寺 聖

絵を描き、詩を書き、曲を書き、文を書き、企画書と仕様書を書き、コードを書き、思索を続ける、四国の人。

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