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プライベートクラウド

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プライベートクラウドという過渡期の終焉

この記事が投稿されてから1年くらいの年月が経っていますが、プライベートクラウドが終焉をむかえているかどうかは判断が難しいところですが、ソフトウェアというものの根本というか本質を考えれば、やがて終焉を迎えるのは必然のような気がします。

少し話がそれますが、ソフトウェア製品を販売する際にソフトウェアの保守を売るということが過去は非常に難しい状況がありました。

ハードウェアの場合には、構成要素の経年劣化が避けられないので、保守契約が必要というのは理解できるが、ソフトウェアはそもそも経年劣化しないのに何で保守が必要なのかという疑問を抱かれることが多くあったのを記憶しています。

その当時からソフトウェアは自分が経年劣化するのではなく、周りの環境(ハード、ソフト含む)が変化する可能性が大(というか実際絶対に変化すると断言できる)なのでそういう状況に対応するためという説明をしていましたが、今後5年間は、環境は固定するので大丈夫というような反論をされるのが当たり前でした。

その後、環境を固定することは非常に難しいということがだんだん認知され、かつセキュリティに関する関心が高まり、ソフトウェアもどんどん変化せざるを得ない(経年劣化というよりは経年変化)ということの認知も次第に高まったと思います。

ここで議論されているクラウド環境でのシステム構築の話も結局は同じような話のような気がしています。

つまり、そんな過度期の中途半端なものを使ってシステム開発できないという発想は、ハードウェアのものづくりにかなり引きずられたもののように感じます。

ソフトウェアは変化せざるを得ないものと考えれば、永遠に過度期で中途半端なものの上でソフトウェア開発は継続するものでしょう。

ものづくりで大きな成功を収めてきた日本では、この発想の切り替えはなかなか難しいのかもしれませんが、結局は受け入れざるを得ないのではないかと思います。

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