飛行機などの公共交通機関で赤ちゃんが大泣きをしたら。
先だって、飛行機の中で赤ちゃんが大泣きをして大変だった、という趣旨のブログを拝見しました。どうやらこのブログは大いに議論を誘発したらしく、私も何名かの方とお話をしてみました。
議論が発生したということは、記事への批判のみならず、「大泣きをする赤ちゃんを飛行機のような公共交通機関に乗せてほしくない」ということに賛同する方もいるようです。
難しい議論ですが、一つ言えることは、大泣きをする赤ちゃんと同乗したくない方と、赤ちゃんは泣くのが仕事だから温かく見守ってあげるべきだ、という方の価値観は、ねじれの位置のようにまったく異なっているということでした。
つまり、阪神タイガースのファンと、ジャイアンツファンが互いにどちらのチームが素晴らしいかを議論するように。必ず喧嘩になりますし、お互いに説得されるということがありません。
仏教徒とクリスチャンが互いに相手を改宗させようとしてもなかなかうまくいかないように。
民主党支持者と共和党支持者が議論をするときのように。(今の日本の政党だと二元化が難しいので米国のたとえで恐縮)
少々デフォルメしすぎかもしれませんが、子供を愛する大人たちは、子供に対して寛容です。赤ちゃんにはもっと寛容です。なぜかって、特に赤ちゃんは、乱暴に言えば泣くことくらいしか自己表現できないわけですし、大人になって記憶が薄れているかもしれませんが、大抵の人は赤ちゃん時代に大いに泣いてきたからです。
しかし、その己の体験を反芻する間もなく突如至近距離で赤ちゃんが大いに泣いた場合に、例えば、「さてこれから明日の講演資料でも作るか」「次の事業戦略を練らなきゃな」「じっくり本が読みたい」「試験勉強しなきゃ」と、個の世界に浸ろうと思って公共交通機関に乗り込んだ人にとっては、「ヒドイ人だと思われるのが厭なので」なかなか口に出しませんが、喜んで受け入れられる出来事ではないかもしれません。人によっては、そんな飛行機に乗り合わせた自分の運勢を呪うかもしれません。あるいは、目ざましテレビの占いを見てこなかったことを後悔するかもしれません。
私がこれを読んで思ったのは、
「決して誰も悪くない」
ということです。
なので、議論して喧嘩になるのが見えてもいますし、ここはひとつ、冷静に対応策を考えてはいかがでしょう。というものです。
些細なことですが、私は、電車に乗っていて、他の人の話し声が気になるような場合は、すかさず、イヤホンをつけ、適正ボリュームで音楽やニュースを聞いたりします。
また、泣きやまない赤ちゃんを見かねて、「私に任せてください」と、積極的にあやし、赤ちゃんが泣きやんだという体験をお持ちの方もいます。(安全には気をつけてください。念のため。ちなみに、警戒されるので男性はやらない方がいいそうですね。女性陣のご意見でしたが。)
つまり、価値観がまったく異なる同士では、議論しても相入れませんし、否定しても喧嘩になるだけです。
だから、個々に解決するのが望ましいという理解をしています。
100%の解決方法ではありませんが、
1)公共交通機関、特に飛行機では、「子供をあやすエキスパート」を配置する。赤ちゃんなどが大いに泣いた時には、様々なテクニックを駆使してあやす。
2)機内に耳栓などを常備し、少しでも周囲の乗客が気にならないような道具を置く。
こうすると、もともとねじれの位置にある価値観の人たちですから、物理的にもねじれの位置に配置することでお互いに交わらないで済みます。
単純かもしれません。しかし、一つの考え方として、いかがでしょうか。