オルタナティブ・ブログ > 夏目房之介の「で?」 >

夏目房之介の「で?」

三輪健太朗「楳図かずお論 --変容と一回性」(「文学界」2022年4月号)

»
三輪健太朗「楳図かずお論 --変容と一回性」(「文学界」2022年4月号)という論文がある。じつは掲載誌が出た時に買っていたのだが、何となく今まで置いていて、数日前にようやく読んだ。申し訳ない。三輪は学習院大学身体表象文化学専攻で修士~博士課程を修了卒業した気鋭の研究者である。担当教授は私だった。三輪は今回の論文で、何度か私の過去の論を引き、私を含む戦後世代批評の「戦後日本マンガ」発展史観を相対化しようと試み、楳図評価を巡ってこれまでの漫画史観の外へ出ようとする。
「異端」と評される楳図について、〈そのようにして異端の作家に対する価値判断を下すとき、評者は不可避的に正統なるものを擁護し強化することになる。仮想敵が強くなければカウンターは意味をなさないからだ。こうして正統を護持することと異端を賛美することは批評において共犯関係を結び、両者は安定した構図の内に収まることになる。〉(同誌P.153)と説く。ここで、もちろん、私を含む戦後世代の漫画言説が批判され乗り越えられようとしているのだ。
実際、私が経験してきた研究や思想の変転は、まさにこうしたカウンターの取りっこの連続であり、常にその時代の思想的文脈の中で反対側に極端に振れては、また逆に振れてしまうことの繰り返しだった。そのことを、その現象の外に出て記述したいとも思ったが、私の教養と文体では難しかった。だから本当にまったく負け惜しみではなく、自分がこれほど見事に乗り越えられてゆくことが、こんなに喜ばしいのである。その感動を、どうやって伝えてよいのかわからない。私は、少し前に漫画集団を「主流」とみなすことで、手塚治虫や長谷川町子もじつは「異端」であったことを再認識する論文[1]を書いたばかりだ。
19世紀欧州視覚文化の変容をも視野に入れたスケールの大きい三輪の論は、今後の戦後漫画史観の枠組みを再考し、そこから新たに戦前~戦後の連続性・非連続性を問い直す手がかりにもなるだろう。彼はすでにその優秀な修士論文を『マンガと映画―コマと時間の理論』(NTT出版 2014年)[2]として世に出し、博士論文もやがて刊行されるだろう。近代と視覚文化の観点からマンガや映画を理論的に解きほぐす研究である。
 三輪は、東大哲学科を卒業後、私のところを受験し、そのさい、卒論とは別にマンガ論の論文を一本書き上げて提出してくれた。彼が現れた時「これで俺が大学のセンセーになった意味の大半はもうなしとげたも同然だ」と思ったのを、今でも鮮明におぼえている。その後、彼は瞬く間にマンガ研究の尖端を担うようになった。現在は共働きで子育てに奮闘中なので、当分は忙しいだろうが、彼については私は何の心配もしていない。ただ、ご家族とともに健康に気を付けていただきたい。本当に素晴らしい研究をこれからもお願いしたい。
[1] 夏目房之介 第16講「長谷川町子、手塚治虫と戦後の漫画観」 筒井清忠編『昭和史講義 【戦後文化篇】(下)』ちくま新書 2022年所収。
[2] 三輪健太朗著『マンガと映画―コマと時間の理論』(NTT出版、 2014年) (jst.go.jp)
Comment(0)