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夏目房之介の「で?」

久保田文次先生

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4月29日に神奈川近代文学館で漱石関連の講演をしたとき、ずいぶんいろんな知人にきてもらった。長男と孫、姪二人、いとこ、と法事以外で顔を合わせないメンバーが集まり、講演後、久しぶりに中華街でうまい飯を食った。講演後、控室で盛り上がっていたら、ある方が寄ってこられて、にこやかに笑いながら名刺をぐっと前に掲げられた。

「久保田文次」
おお! 青学史学科で中国近代史を専攻したとき、僕は久保田先生のゼミにいた。優秀な学生の多い中、どうしようもない学生だったが、中国共産党初期メンバー李大ショウ(金ヘンにリ、出ない)の評伝を購読しながら、さまざまなことを学ばせてもらった。じつは、このとき生まれて初めて、学問研究って面白いと思ったのだ。それが夢中で卒論を書く貴重な経験につながった。でも、英語の苦手だった僕は、せっかく久保田先生が貸してくれるといってくださった「五四運動」の英語の研究書(分厚い!)を、断ってしまった。今の立場になってみると、まことに先生には申し訳ない気持ちになる。実際、学問の面白さがわかると同時に「こりゃ、僕にはこんな厳密なことはできん。研究者にはなれない!」と認識もしたのだった。それは今でも変わらない。
久保田先生は、本当にいい方で、学生たちにも慕われ、信頼されていた。卒業後も手紙をさしあげたりした記憶がある。はじめて中国に渡航するさいも、お話を伺うために待ち合わせしたが、結局お会いできなかったことをおぼえていてくださった(僕は失礼な話、忘れていた)。四国生まれでお酒が強く、ものすごく強い中国酒を学生たちにふるまわれ、酒の飲めない僕は、においをかいだだけで酔ってしまったりした。
こんな経験があったから、僕は今でも「だめな学生」だったことをときに思い出し、学生たちに接するができる。優秀じゃない、ということもまた貴重なことだ。
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