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「うまくいかないのはあいつのせいだ」のメリットあるいはデメリット

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なにかがうまくいかないことを他人のせいにしているうちはあんま成長しない。

もちろん全ての人が成長しないといけない訳じゃないし、実際に当の他人が酷いケースもたくさんあるのだが、それでも、他人のせいにしているうちは成長しないという事実は揺るがない。

仕事における成長とは、「誰かのために、より役に立てるようになること」なので、他人のせいにすると「より役立つためには?」と考えたり行動するモメンタムが大きく削がれる。これはいかん。
「あいつが酷いからだ」と自分を慰めたり安心したりするより、「この状況で自分にできることはなんだろうか?」「あいつが邪魔をしなかったら何をするだろうか?」「あいつの邪魔を無効化する方法はなんだろうか?」「あの人に関係なく、自分の至らない点はどこだろうか?」と考え、トライし続ける方がいいに決まっている。
何より、まずは自分のパフォーマンスを上げないと話にならない。

それでも多くの人が「今うまくいかないのは、あいつのせいだ」の罠にハマる。もちろん理由がある。
うまくいかないことを他人のせいにするメリットが結構デカいからだ。
まず、スケープゴートを作ることでうまくいかないストレスをいなすことができる。「うまくいかない」は誰にとっても大きなストレスだから。
そして「自分が無能である」「少なくともこの状況では無力である」という事実に、向き合わなくて済む。これは案外大切なことだ。これにずっと向き合って心身が健康でいられるほど、人間は強くない。

「うまくいかないのはあいつのせいだ」とやり過ごし、ストレスや残酷な事実から自分を守っているうちに、時が解決してくれるケースはままある。
「あいつ」がどっかに異動するかもしれない。そしたら幸か不幸か、自分のパフォーマンスと直面することになる。
徐々に仕事に慣れて、自分のパフォーマンスが上がるかもしれない。そしたら大抵は「あいつ問題」の深刻度が下がる。

それか、助けてくれるスーパーマンが現れるかもしれない。

仕事人生なんて、そういう自分ではなんともならない偶然に左右されるものなんだから、「やり過ごす」はあながち間違った戦略ではない。僕を含めてうちの社員にはそういう考え方をする人はほとんどいないが。。


さて。
それでも「あいつのせい」にせず、自分のパフォーマンス向上に集中したいと思うのは、健全なことだろう。どうすればできるだろうか?

一つは、底を知っておくこと。
僕の場合、人生で物事が一番うまくいかなかったのは、学生時代だ。ちなみに、僕はたまに自分の失敗をブログや本に書くが、この頃のことはまだ書けない。向き合えないから。
社会人になってからの失敗や停滞は、その時に比べると大したことがない。それもあって、僕はこれまで仕事をしていて何度も「なるほど、今、この状況で、僕はとても無能である」と認識するところからスタートすることができた。
認識してもしなくても無能なことには変わりないのだが、認識すれば前に歩み出すことができる。
明らかに能力不足が原因でうまくいってないのに、それを受け入れられない人を見ると僕は「プライド高いなぁ」と感心するのだが、こういう人は底を見てないんじゃないかな。まあ人生順調で何よりなことだが、その代わり今、底が見れて良かったね、という意地悪な気持ちにもなる。


もう一つは、真逆の話だが、これまで自分がやってきたことに手応えを持っていること。
手応えは他人から評価されたことでもいいが、僕の場合は大抵は自己評価、もっというと自己満足がベースになっている。
例えば僕はガチで卒論を書いて、その出来に大変満足した。「高尾山に登るよりは、富士山に挑んで4合目辺りで力尽きよう」と思って始めた研究で、9合目まで行けたと思う。ただし9合目というのは自己評価。近い研究領域の他人の修士論文よりずっと出来が良かった(と、僕が自分で判断した)から。
他にも前職で、小さいながらも自主的に学び合い、高品質なモノづくりと会社の利益を両立させるチームを作り上げたことなんかも、自分としては手応えのある成果だった。当時の会社からはほとんど評価されなかったけれども。
今の会社に転職してから5,6年もの間、自分でも満足できる仕事を出来なかった。僕より評価されていた社員もたくさんいた。何回か、自分の無能さに深刻に直面する場面があった。
そういう状況ではあったけれども、腐らずにマインドをキープできたのは、「過去には、自分でも本当に誇れる仕事が出来たじゃないか」という手答えのおかげだ。これがあったからこそ、その時点での自分の無能さを素直に受け入れ、もがくことができた。

・自分はちょくちょく役に立たない人間になりうる。むしろそれがデフォルトかも
・自分は努力して状況が噛み合えば、いい仕事ができる

この二つは一見矛盾しているように見えるが、そんなことはない。現状への冷静な観察と、「例え今はうまくいってなくとも、いつかはいい仕事ができる」という自負。「人生谷も山もあるさ」という単純な話よりは、もう少し深い。
でも、この2つをしっかり持てば、苦しい状況で他人のせいにしなくても済む。


最後に、「自分はいい成果を残したことなんてない。だからムリ」という人へ。
ずっと書いてるように、これって単なる自己評価、自己満足なんですよ。他人に勝った経験でも、何かに合格したでもなくて。だからとりあえずその時点での自己最高記録的な成果を、きちんと噛み締めればいい。「サークルでいい仲間作った」でも「あの報告書に使った図、うまく書けたな」でもいいんじゃないかな。要は自分で納得できた成果なら。
それを何度も反芻して、自分の良いところを言語化する。それで充分役にたつ。
あんまりやり過ぎると「いまは無能である」と認識すべき時にそうは思えず、整合をとるために現状をを歪めて見始めるから、バランスが難しいのだが。

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