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ACCS久保田が著作権ほか普段感じていること

DRMのこと(保護技術と法と教育のバランス)

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前回のブログに、DRMについてのコメントをいただいています。先週、「デジタル時代の著作権協議会(CCD)」のシンポジウムで、「権利問題研究会」の主査として私が発表した「権利者と利用者の望むDRM技術」の報道を見てのご意見です。いい機会なので、ここで改めて、この件についての私の考え方を書いてみます。

まず、EMI Music社が、デジタル音楽の配信をDRMフリーにするというのは権利者としての一つの考え方だと思いますし、私はそれを否定するものではありません。

シンポジウムでも話しましたが、この件で思い出したのが「一太郎」のことです。ジャストシステムは、1987年の「一太郎Ver.3」で、それまで業界の常識だったコピープロテクトを外し、業界とユーザーに衝撃を与えました。当時は、5インチのペラペラのフロッピーディスクをパソコンに入れてガチャガチャとプログラムを実行していた時代で、プログラムのバックアップとしてコピーを取るのが常識でした。それでもフロッピーは壊れやすく、2つめのバックアップを取ろうとすると、コピープロテクトが邪魔だったのです。

その後コピープロテクトを採用しないことが業界の常識になっていく中、ACCSの前身となった「ソフトウェア法的保護監視機構」の活動の比重が高まってきます。それは、正規ユーザーに不便な思いをさせない一方で、違法コピーは許さない、という考え方に因ります。事実、当時のACCSには、正規ユーザーから怒りの告発をよく受けていました。「自分はお金を出してソフトを買っているのに、タダでコピーして使っているヤツがいて許せない。どうにかしろ。」という意見です。そしてまた、特にビジネスソフトの分野では、ユーザーの利用範囲を契約によって担保する方法も一般化していきました。

私は、著作権保護のためには、保護技術、法、教育の3つのバランスが重要だと考えています。保護技術でガチガチに保護するのは現在のところ、コストや使い勝手の点から問題が生じ、かといって法律を厳しくしたり検挙率を上げるだけの方向も正しくない。今は、私的に使うことが目的であっても、DRM(著作権法でいうところの「技術的保護手段」)を意図して外して複製すれば著作権法違反になります。また、デジタルコンテンツに埋め込まれた著作権管理情報を改ざんしても違法となる場合があります。つまり、DRMが付されたコンテンツに対する法の担保は十分できていますので、敢えて言えば、DRMは、正規ユーザーの利便を損なわない程度の緩やかなもので十分で、それを違法コピーのために破る行為は厳しく法で取り締まる。と同時に、教育を含めて、そうしたことを啓発していく。という考え方が理想だと私は思っています。

今回のEMIの場合は音楽についての施策であり、音楽がCDから自由にコピーできることを考えれば、ビジネスソフトと並べて論ずることには無理があるかも知れません。ただ、一般論としては、、コピーフリーにする「代償」として軽微なコピーにまで法的措置を強めるとすれば、それは乱暴だと思いますし、一方で、正規ユーザーがバカを見ても仕方ないとするなら、それも乱暴な考え方だと思います。正規ユーザーに不便をかけないことと違法コピーを防ぐこと、そして法の執行を最小限に止めるというバランスが必要だと思うのです。

今回のシンポジウムでは、DRMに対する考え方は「不正コピー防止」というネガティブな発想から、「利用と流通の促進」、「柔軟な利用形態の提供」「権利者への適切な対価の還元」などの発想に転換してきていることをテーマにしました。その中で、現状見られる、ユーザーの利用範囲をできるだけ狭めるためのDRMではなく、緩やかな許諾契約での利用を認めるための仕組みを整備すべきとも提言しています。例えば、「パソコンでも携帯端末でも再生可能」といった条件を簡易に表現できるようにする「許諾コード」の整備も提言しています。

ここにコメントを寄せてくれる方々は、正規ユーザーとして利便性を高めるべきとのご意見が主だと思いますが、悲しいかな世の中には何でも無料でコピーしたいと考えるユーザーが少なからずいるのも事実です。私たちの仕事は、正規ユーザーのためにも、そういうズルを許さず、法を守り知的財産の秩序を保つ、ということです。もちろん、今あるDRM技術で十分ということはなく、さらに技術の進歩や研究が必要だと思っています。保護技術と法と教育のバランスを、思考を停止させることなくどうとっていくかが課題だと考えています。

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