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商社マンの営業として33年間(うち海外生活21年間)、国内外で様々な体験をした。更に、アイデアマラソンのノートには、思いつきを書き続けて27年間、読者の参考になるエピソードや体験がたくさんある。今まで3年半、ITmediaのビジネスコラム「樋口健夫の笑うアイデア動かす発想」で毎週コラムを書き続けてきたが、私の体験や発想をさらに広く提供することが読者の参考になるはずと思い、ブログを開設することにした。一読されれば「読むワクチン」として、効果があるだろう。

食べて良いのか悪いのか

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飛行機搭乗珍体験 
食べて良いのか悪いのか


 サウジアラビアのラマダンとは、断食の月である。

 ラマダンの月の間は、イスラム教徒は断食をする。ラマダンは、昼間は食事をしないということだ。暗くなったら食事をしてもよい。昼夜逆転の食生活になる。じゃ、いつから昼間で、いつから夜か。
アラビア風に言えば、白い糸と黒い糸の判別が付かなくなれば、食事をして良いとなっている。逆に白い糸と黒い糸の区別が付けば食べてはいけないということだ。実際は、日没と、夜明けの時間が、場所ごとに決まっている。
つまり、正式の夕方食べて良い時間が決まっている。そして、朝の断食の始まりの時間も決まっている。

 昼間食べない間のひもじさが、生きていること、食べることの喜びにつながり、暗くなっての食事がにぎわう。夜中に夕食を取る。ほぼ一晩中、食事をしていることになる。当然ながら、昼間は静かにしていることが多い。この期間は仕事の勤務時間も1日に3時間ほどになる。
商店は昼間は開いていない。もちろんレストランは、すべて閉まっている。逆に夜中じゅうお店が開いていることになる。
サウジアラビア人たちは、ラマダンは、始まった直後は厳しいが、1週間ほどで慣れるという。

 日中は、一切の食事は採らない。水ですら飲まない。極端に暑い砂漠の国での昼間の断食というのがいかに厳しいか、日本人にはとても予想できない。
人によっては、唾も飲みこまない。(私はもともと吸わないが)煙草ですら絶対にだめだ。昼間に、通りで煙草を吸ったり、万が一水を飲んでいるのが見つけられると一般の市民から強烈に抗議される。暴力的に制止されることもある。
悪くすると宗教警察に逮捕される。宗教警察は、手に持った小型のムチで容赦なく叩く。人の前で飲食をすることは、断食をしている人に宗教的戒律を犯すことを誘う悪魔であるとされるからだ。
サウジアラビア全土で、ほぼ完ぺきにラマダンは守られる。

 ラマダンの期間に、官庁を訪問している時に、誰かが隠れてトイレで煙草を吸っていて、煙の臭いでバレて、外から扉をドンドン叩かれているのを見たことがある。外から叩いている人は、怒り狂っていた。トイレの中の人は、ドアを開けさせられ、宗教警察に小型のムチで叩かれながら、しょっぴかれていった。
トイレで煙草を吸って、流そうとしても、フィルター部分が、浮きのようになって、何度流しても流れないらしい。証拠を流せないのだ。
 そんな厳しいラマダンの時にも、コーランには例外規定があるという。
 ラマダンの例外規定とは、「病気の者、幼い子供、旅行中の者などは、食事をして良い」となっていると説明を受けた。コーランの中の合理性である。
 
 ラマダンの最中に、サウジアラビアのジェッダからリヤドまでのフライトに乗った時のことだ。サウジ航空で、ジャンボだった。ほぼ満席のフライトは、夕方の非常に微妙な時間にジェッダを発った。約1時間45分の飛行時間である。
 飛び立って、しばらくすると、機内食の配布が始まった。紙の箱に入ったパンや肉とジュースが入っている。男性のキャビンアテンダントが各人の席のテーブルに載せていく。
 ラマダンの間、外国人である私も、昼間は食事をしていない。レストランが開いていないからだ。座席に配られた機内食の箱をさっそく開けて、パンにかぶりついた。
(あっ、ラマダンはどうなった)と、歯形がついたパンを口から取り出して、周りの乗客を見たら、ほとんどの乗客であるアラビア人たちは、機内食を前に、手を付けないで、箱の蓋を開けないで、じっと背をまっすぐにして眺めている。

 (わーまだ食べてはいけないのか)

 窓の外を見ると西側の空にはまだ夕焼けが見える。そりゃそうだ。飛行機で、10キロも上空に達したら、いつまでも西側の空は明るいままだ。
 見渡すと、乗客の全員がジャンボの席で、機内食の紙箱をじっと眺めおろして、食べていない。
「すごい。この忍耐と連帯感は!」特に、このような誰もが食べていないところでは、アラビア人は絶対に食べない。
 だけど時間的に見ると、ラマダンの夕方の食事をして良い時間を超えているはずだ。下界はもう暗い。しかし食べない。高空の西空の明るさが、飛行機の窓に映っているからだろう。
 飛行機は首都のリヤドの空港に近付きつつある。シートベルトサインの表示が出た。

「あなたは外国人だからもう食べて良いんだよ」と、私の隣に座って(食べていない)アラビア人が私に、笑いながら言う。

「はあ、まあ」と、言っても、私独りとても食べる気にならない。

 もうすでに地上では食事をして良い時間だが、まだ窓の外が少し明るいことを気にしているのだ。そしてお互いがけん制し合っている。

 その時だった。放送があった。

「パーサーです。ただいま、管制塔から食事をしてもよい時間であることを確認いたしました」とアナウンスがされた。

 その瞬間だった。乗客の約半数が、さっと箱を開けた。私も開けた。それまで食べていなかった人も、箱を開けて、がつがつと食べ始めた。着陸直前のジャンボの機内で旺盛な食事会が始まった。驚いたことに、何人かはまだ食べていなかった。外が明るいと食べないのだ。

 リヤドの空港が見えてきた。

 着陸したら、もう真っ暗、当然、全員食べていた。


教訓 私たち日本人は一緒に食事をすることで連帯感、一体感を得られる。イスラムの人たちはラマダンの間、食べないことで、連帯感と一体感を持つ。これは大切なことだ。

ラマダンの応用
 私は日本に帰国後、家族全員で、車に乗って夏にキャンプに出掛けた。その時に、ルールを決めた。お昼はかけそば、かけうどんだけというルールだった。朝から夕方まで、次のキャンプの目的地に向かって、車で走りながら、走るルートにそった鉄道線路の、昼食は駅そばで200円以下のものを一人1杯ノミと規定した。200円以下の駅そば探しで大変だったが、探していると、かけそば、かけうどんを何とか見つけたものだ。
 
 その後、目的地のキャンプ場に到着する夕方まで、何も食べない。要は簡単なラマダンをやったのだ。自然、車内は、子供たちの「腹へった」の大合唱。私だって腹がへって、へって、大変。それを無視して車を走らせ、キャンプ場で必死に設営を子供たちが手伝い、食事が始まったら、もう好き嫌いも、へちまもない。食事の美味しいこと、美味しいこと。 ビールも旨い。アルコール以外は、アラビア人の気持ちが、ほんの少し分かった気がした。

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