オルタナティブ・ブログ > パースペクティブ・アイ >

IT/PCを中心に様々な話題を振り返ることで未来を考える

(遅ればせながら)読売新聞のあまりにヒドイ社説について

»

 個人的に5月と10月は、年間で最も忙しい月だ。この月の20日には、自分が担当する分野のAV機器カテゴリで、それぞれどの製品が勧められると思うかを判断し、点数を付けた上で投票しなければならない。
 多くの方はご存じないだろうが、この投票の仕組みでは投票対象の製品が限定されていない。対象期間に発売されている(購入できる)製品ならば、すべてが対象となるため、可能な限り多くの製品を、少なくとも画質や音質を評価できる環境で、じっくりと評価しなければならないからだ。店頭のような評価に適しない環境で見たり聴いたりするわけにはいかず、メーカーや雑誌社の視聴室で、個々の製品について確認する。
 自分も選評委員になるまで、これほど大変な仕事だとは思わなかった。正直に言えば、製品の点数付けなど、結構いい加減に知っている範囲の中から、好きな製品を選ぶ程度の人が多いのではないか?と、全く無関係な立場にいた頃は、漠然と疑ってかかっていた。ところが実際に中に入ってみると、たぶん、ほとんどの人が想像しているよりも、マジメに評価に取り組んでいることにホッと安堵した。(もちろん、お金を出して購入する製品のお勧めは何か?を投票という形で表現するのだから、きちんと審査するのは人としてアタリマエなのだけど)
 この作業は時間短縮ということができないので、必然的に時間がなくなり、新聞を読む時間さえ減ってしまうのだが、そんな月に限ってブログのネタが次々に落ちてくるものだから、ついついブログ更新の時期を逸してしまう。
 先日、以前からずっと感じていた私的録音録画補償金制度についての疑問を、ここに書いた(掲載は13日だけど、書き上げたのは11日のこと)のだが、実はその前日に、もっと呆れる話が読売新聞に掲載されていたことを読者から教えていただいた。

●ダビング10導入延期へのメーカー批判、なぜ?

 「ダビング10 メーカーの頑固さ、なぜ?」というタイトルで掲載されていた読売新聞の社説である。
 僕は自分自身が記事を書く仕事をしているため、人それぞれに多様な意見があり、記事が書かれた背景も理解しないうちに、他人の記事を批判するということはしないようにしてきた。自分が責められるのが怖いからではなく、多様な意見を受け入れて、新しい議論の発展へと繋がればいいと思っているからだ。
 しかし、この記事はあまりにもひどい。これほど支離滅裂な社説を、しかも日本を代表する大手新聞社が掲載していることに恐怖感さえ感じる。とはいえ、まさか論説委員をつとめる記者が、これまでの経緯を深く理解した上で、こんな記事を書くことはないに違いない。委員会での議論に初めて参加して、周囲の知り合いに適当に聞きかじった程度で記事を書いてしまったのだろう。
 社説を書く論説委員は多数いるのだろうし、たまたま専門外で事情をよく知らないだけなのかもしれない。読売の記事がすべてダメなんてステレオタイプなことは言うつもりはない。だが、経緯も事情も、その背景にある情報も知らないまま……つまり、インターネットで簡単に得られる情報すら調べることなく、無知なままで論説を大手新聞社が行っているという事実に愕然とした。
 と、久々にブログを書き始めていたところ、同じテーマですでに5月10日に、小寺信良氏がブログに記事を書いているのを見つけた。小寺氏は"メーカー以外はダビング10に納得している"、"録画補償金の導入には消費者団体の委員も理解を示している"という、もっとも大きな誤認について書いているが、もっと多くの問題がこの記事にはある。

●事情が分からないなら、書かなきゃいいのに

 まず、読売社説は、ダビング10導入に同意したのであれば、メーカーは積極的に対応すべきであり、それと引き替えに導入が主張されている録画補償金を認めるべきであると論じている。
 まるでダビング10が導入されれば、放送局の著作権は蹂躙されるような書き方だが、ダビング先の録画メディアには、しっかりと補償金が課金されている。たとえば10枚ダビングしたなら10枚分の補償金が発生する。ダビング10ではダビング先のメディアから、さらにダビングすることはムーブを含めて不可能になっているので、それ以上に複製が拡散することはない。
 記事ではメーカーが「10回に増えても制限があるなら補償は不要」という、至極まっとうな主張をしているのに対して、わざわざ消費者団体の委員も賛成サイドであることを書いた上で(<-しかも、これは事実誤認である)、メーカーが社益のために反対をしていると印象づける論旨展開を行っている。
 もうあまりにバカバカしいので、これ以上は書きたくないが、録画対象のメディアごとに課金を行っているのに、なぜ機器ごとに課金することが、ダビング10導入の引き替え条件となるのか、理解できない人も多いことだろう。
 「補償金の額は1台あたり数百円になるという資産もある。価格に転嫁できるのかという、メーカー側の苦しい事情も分かる」とも書いているが、これも思慮が浅すぎる。
 3年をかけて議論している問題に対して、一時的な損益でメーカーが議論していると本気で考えているのだろうか?経済的な観念のある論説者ならば、このようなことは書かないはずだ。補償金は短期的にはメーカーが負担することになろうが、モデルチェンジで新たな価格設定を行う際には、当然、1台あたりに必要なコストとして組み入れざるを得ない。最終的にその金額を負担するのは消費者である。
 その消費者は、ダビングするためにメディアに対しても補償金を科せられている。北京五輪を控えての「商機をみすみす逃がすつもりなのだろうか」という分析も、長い時間をかけて議論を重ねてきた、つまりそれだけ時間とコストを割いてきたメーカー委員が読めば「そんな短絡的な発想しかないのか?」と失笑するに違いない。
 最後に「アナログ放送の方が録画は便利、という印象が強まりかねない」と結んでいるが、これはまさにその通り。だが、認識が甘い。それは"印象"ではない。アナログ放送の方が、遙かに便利で前提知識も必要なく、誰もが安心して放送コンテンツを楽しむことができるのは事実だ。
 しかし、ダビング10が導入されたからといって、その不便さは全く解消されない。不便さを解消するために、私的録画補償金制度を認め、メディアだけでなくハードウェアからも補償金を得ようという読売社説の論旨展開は、ダビング10に関する過去の議論や、録画機ユーザーが求める自由とは何なのかを全く理解していないということだ。さらに追い打ちをかけるなら、社説という新聞にとって重要な記事の執筆において、背景情報の取材を全くしていないことを、自ら告白しているに等しい。

 と、事情を知っている人からすれば、論外のこの社説だが、もちろん、事情を知らない人にとっては、正しいと感じさせる力は持っている。なにしろ読売新聞の社説である。こんなネットの片隅で書いているフリーランスジャーナリストの駄文が及ぶところではないが、それでも一言書きたくなるのは、マジメに記事を書いている人間(おそらく読売新聞にもたくさんの優秀な記者がいるはずだ。そのウチの何人かは知り合いだが、いずれもきちんとした倫理観を備えて真剣に取材をしている)の努力が、こうした記事によって無にされてしまうと感じるからだ。

 ダビング10と私的録音録画補償金制度について、どんな見解を持つのも、人それぞれ自由だ。しかしプロとして社説を書くというのであれば、もっと重い責任を感じて書いて欲しい。

・補足

エントリー中に「すでに録画メディアには補償金が含まれている」と書いたが、これはビデオ用DVDなどについての話であり、実はまだBlu-ray Discには補償金がかかっていない。新しいメディアで最近まで流通量が少なかったため、補償金対象にはなっていなかったからだ。こちらに補償金をかけようというのであれば、筆者は反対意見など述べるつもりはない。

Comment(15)