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開発ツールビジネスの再生に格闘。マーケティングの視点で解説

エンバカデロの今に至る開発ツール部門分離の真実 その5

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Borland Developer Conference 2006で、DevCo(仮称)という新しい組織について語られはしたものの、3月中は、開発ツールだALMだと仕分けはしないで、従来の組織のまま、全社員がこれまでと同じ仕事をしていた。

実際、イベントのレポートや各種資料ダウンロードなどについては、従来からのマーケティング部門ががんばって掲載してくれた。プロダクトマーケティングなども従来の組織でカバーされていた。

現在のエンバカデロの状況を見ると、通常のWebサイトデベロッパーサイトはもちろんだが、ブログTwitterFacebookYouTubeなどなど、ありとあらゆる手段で情報共有が可能になっていて、それが当たり前になっている。しかし、当時はデベロッパーサイト(BDN:当時)ですら、ローカライズされていなくて、情報掲載に対する労力・コストがかかり過ぎていたように思う。情報発信のコストがかかると、頻度も減る。結果、ユーザーの皆さんとの距離も離れがちになっていたわけだ。

今では、数多くの手段を手にしたことで、ユーザーの皆さんとの距離はとても縮まってきた。ただ、手段ばかりでは、やはりダメで、そこでどのような活動をするか、どのようなマインドで接するか、そして、どのようなコンテンツを提供していくかが重要なのは言うまでもない。

さて、話を2006年に戻そう。大きな変化があったのは3月22日。3時頃に緊急召集され、河原さんが代表を退くことが発表された。ボーランドは、一時的にAPAC直轄になり、社内分社していく体制へ大きく舵が切られたのだ。河原さんは、開発ツールもALMも両方に注力し、それぞれにしっかりした布陣をしてビジネスを展開し始めていた。それが、会社の大きな方針変更によって、道半ばで終わってしまったのは残念であった。

Kawahara_photo

河原社長(当時)。キックオフビデオのオープニング用に
吠える顔をしてもらったところ。「ガオ!」

とはいえ、そんな河原さん布陣のスタッフのひとり、八重樫さんが、DevCoの日本での組織化に大きな役割を果たし、エンバカデロ日本法人を設立して軌道に乗せるまでをがんばってくれたわけで、八重樫さんを連れて来てくれた河原さんの功績は大きかったと思う。

3月末に、DevCoに参加するスタッフが発表された。基本的に、チャネル営業にかかわっていた人、開発ツールに関する技術サポートにかかわっていた人が中心だ。バックオフィスについては、元々そういったくくりはなかったのだけれど、チャネルビジネスでの製品出荷や計上に関してノウハウのあるスタッフが選ばれたといっていいと思う。

ただ、発表されたといっても実際に部門の異動が発生したわけではなく、従来の部門、従来の机で、引き続き仕事をしていく体制であった。自分も、3月31日の夕方に、サポートセールス部門上の上司にあたるグラントに、期末のレポートを送るついでに、「来期より、現在の仕事に加えてDevCoのマーケティングを担当することになりました。」と報告している。

当面は兼務、という話をしたけれど、それは6月上旬まで続いた。ただ、実際には、八重樫さんの命を受けて、相当精力的に開発ツール部門のマーケティングの仕事を始めることとなる。

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