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【200勝】 任天堂が初代ファミコンを発売した年に入団した山本昌が200勝

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 名古屋のドラゴンズファンとして、やっぱり山本昌投手の【200勝】達成は嬉しかったです。オルタナのネタ的にはどうかと言われそうですが、一言だけ。

 小学生の頃、少年ドラゴンズという制度があり、700円の入会費を払うと、ドラゴンズブルーの帽子と、中日球場の外野席入場券10枚がもらえました。だから男の子はたいてい入会し、必然的に、帽子の色は青と決まっていました。今でも、もらった外野席券を握りしめて、友だちと電車に乗って、中日球場に出かけた頃のことを思い出します。そんな風に、ドラゴンズの歴史は、自分の歴史と相まっています。山本昌はもうすぐ43歳。ドラゴンズ一筋で25年投げ続けたわけですから、彼の足跡は、自分の歴史ともリンクして記憶に残っています。

 彼が日大藤沢高校から入団したのは、1983年のこと。ドラフト5位と、それほど大きく注目されたわけでもなかったと新聞は伝えています。ちょうどこの年には、任天堂から初代ファミコンが発売されています。ファミコンは、スーパーファミコン、64、Wiiへと進化。日本の家庭用ゲーム機の歴史は、1983年に始まったと言えるでしょう。

 元祖とも言える初代ファミコンが発売された年から投げ続けている山本昌。そう考えると、入団25年・200勝という重みが伝わってきます。史上最後の200勝投手かもしれないとスポーツ新聞は称えていますが、それほどにすごい功績なんでしょう。彼の努力を揶揄する声は、辛口のドラゴンズファンの中でも本当に聞かれません。あらためて、彼の偉大さに敬意を表したいと思います。。。

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