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IT技術者教育に携わって25年が経ちました。その間、変わったことも、変わらなかったこともあります。ここでは、IT業界の現状や昔話やこれから起きそうなこと、エンジニアの仕事や生活について、なるべく「私」の視点で紹介していきます。

【書籍紹介】「雲を掴め―富士通・IBM秘密交渉」「雲の果てに―秘録 富士通・IBM訴訟」

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我々の世代だと「IBM互換機」と言えば、IBM PCアーキテクチャのことではなく、System/370の流れを汲むメインフレーム機(現在の「IBM z System」)を指す。いくつかあった互換機メーカーで最後に残ったのが日立製作所および富士通のMシリーズである。

大学にあったのが日立Mシリーズで、ゼミの最初の課題がなぜかアセンブリ言語だったので(人工知能のゼミなのに)、CPUアーキテクチャはだいたい知っている。CPUは32ビット化されていたが、(当時はまだ)24ビット論理アドレス空間で、スタックポインタは存在しなかった。

互換機を作る場合に問題になるのが知的所有権の扱いである。命令セットに著作権は及ばないが、特許権は設定される場合がある(たとえばスタックポインタを汎用レジスタとして使えるのはVAXプロセッサの特許だった)。また、オペレーティングシステムにはもちろん著作権が適用される。IBM互換機ビジネスが始まった頃はソフトウェアに著作権が認められておらず、IBM自身もOSの情報を無料で公開していたが、1980年代からソフトウェア著作権が成立し、無断利用が厳しく制限されるようになった。

そんな中で起きたのが「IBM産業スパイ事件」である。おとり捜査が使われたこともあって、日本人的にはIBMを非難する声も多かったが、現実の世界が単純な善悪で論じられるわけもない。どちらにもそれぞれの言い分がある。

日立とIBMは現在に至るまで密接な関係を持ち続けている。先日も「日立、IBM z Systemsをベースとした新メインフレーム環境を2018年度から提供」という記事が出た。以前から日立はIBMメインフレーム機のハードウェアを製造しており、特に大きなニュースではないというが、産業スパイ事件を知っているだけに不思議な感じがする。訴訟もビジネス戦略のひとつであり、単純な善悪ではないことは分かっているが、ちょっとした違和感は残る。

今回紹介するのは、IBM産業スパイ事件について、富士通との関わりを中心に記した書籍である。なお、以下の文章は2012年3月12日に公開されたものである。


雲を掴め―富士通・IBM秘密交渉」「雲の果てに―秘録 富士通・IBM訴訟

IBMメインフレームの互換情報を、富士通が不正に入手したとして行なわれた秘密交渉の顛末記である。フィクションの形態を取っているが、ほぼ史実だと思われる。

IBMは、System/360(1964年)およびSystem/370(1970年)でコンピュータ業界の独占的な地位を確立した。System/360は世界で初めて「コンピュータアーキテクチャ」という概念を導入した。狭義には「CPU命令体系」と考えても良い。アーキテクチャを定義することにより、上位モデルであろうと下位モデルだろうと、あるいは将来登場する新しいモデルだろうと、同じプログラムが(基本的には)動作するようになった。

上位機種と下位機種で同じプログラムが動作するのは、今では当たり前の概念である。しかし当時はCPU毎に命令の違うのが普通で、上位モデルに買い換えると最低でもプログラムの再コンパイル、通常はプログラムの再設計が必要だった。しかもハードウェア技術の制約から、事務計算に必要な十進演算命令(BCDあるいはパック化十進数演算命令)と、科学技術計算の浮動小数点数演算の両方を高速に実行することはできなかったため、事務処理用と科学技術計算用のコンピュータの両方がラインナップされていた。

それが、System/360では、事務計算も科学技術計算も高速にこなしたため「汎用機」と呼ばれるようになった。「360」の名称は「360度全方位をカバーする」ことに由来する。基本性能も大幅に改善され、System/360のアーキテクチャに合わせておけば、どんな処理でも行なうことができた。新聞社のシステムがオンライン化できたのもSystem/360が登場したからだ(実用システムは370の性能が必要だったが)。

日立と富士通は、通産省(当時)の指導もあって、IBM互換機「Mシリーズ」を製造・販売していた。どちらもIBM System/370互換機であるが、富士通の方が独自色は強かったそうである。IBMから富士通に移行した顧客は、富士通の便利な独自機能を使うようになる。そうするとIBMにはもう戻れない、というわけだ。

1981年、IBMはアドレスを24ビットから31ビット(32ビットではない)に拡張したアーキテクチャに基づいた新製品3081Kを発表した。少しでも早く最新情報を知りたい日立は、FBIによる「おとり捜査」により逮捕された。富士通もIBMから著作権法違反で訴えられそうになっていたことを察知し、秘密交渉が始まる。

本書の見所は3つある。第1に、経済産業小説としての視点である。実話をもとにしているため、弁護士とのやりとりはリアルである。現場の声と法解釈の差は深刻であるが面白い。知的所有権はこれからさらに重要になる。同じような事件は起きないにしても、似たような事件はきっと起きるだろう。

第2にエンジニアの発想の面白さだ。互換性を維持するために、IBMが利用していたソフトウェア開発ツールまでも実装してしまう。これにより、より簡単に互換機能が実現できる。道具から作るのは遠回りに見えて長期的には有益だ。「楽をするためにはどんな苦労もいとわない」のはエンジニアの習性である。

第3に、当時のコンピュータアーキテクチャに関する考え方である。事件の終盤で、IBMはOSの外部インターフェース「エクスターナル」を公開する。関係者は大喜びするのだが、本書を読む限りこれは「アプリケーションプログラムインターフェース(API)」とほぼ同じだ。そこまで喜ぶ時代背景が面白い。

たとえばWindowsのAPIは、かなりOSに近いところまで公開されているため、ウイルス対策ソフトのような、OSの構造に依存したアプリケーションでも作れる。PCは、ハードウェアとOSとアプリケーションのベンダーが全て別なので、情報を公開しておかないと優秀なソフトウェアが生まれない。一方、メインフレームはハードウェアとOSとアプリケーションが基本的に同じベンダーから提供されるため、公開APIの必要性は小さい。エクスターナルの公開は確かに画期的なのだろうが、PCでは当然のことである。

「IBM互換機」と言えば、「PC/AT互換機」しか思い浮かばない人も多いだろう。いや、それすら死語になっているかもしれない。しかし1970年代の日本のコンピュータ産業を牽引した「IBM互換機」について知っておくことは有意義なはずだ。

2012年1月17日、事件当時富士通の社長だった山本卓眞氏がお亡くなりになった。社長在任期間は1981年から1990年、IBMとの秘密交渉が1982年から1988年だから、在任期間と完全に重なる。富士通の存続に関わる大事件だっただけにご苦労されたことだと思う。ご冥福をお祈りします。

 

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