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ついマウスを振ってボールの位置を調整したくなる。光学マウスでも。

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実は「火」を見るチャンスが今の子供たちには少なくなっているのかも

というエントリを岩永さんが書いておられます。自分が子どもの頃ははボーイスカウトこそやっていませんでしたが毎年夏になると1回か2回はキャンプに行くことをしていましたのでまった火がつけられないということもありません。それで日常役に立つことはありませんが、何か非常事態で火の性質をしっていることが役に立つかもしれません。

さて、このエントリと対極にあるようなエントリに覚えがあります。

小学生に大人の問題解決方法を教える

こちらはけんじろうさんがお子さんとWiiがリモコンに反応しなくなるという現象に対処したエントリです。確かに最近の子どもは自然現象そのものには疎くなっているかもしれませんが、その分だけ自然現象から切り離された何らかの科学技術の吸収は上手であるように思います。特に複数のシステムが協調して動くようなシステムに対する理解度というのは最近の世代には適わないかもしれません。

反対に私は原理が理解できないものを「とりあえず」で操作するということをあまり気持ちよく行うことができません。そういった意味ではプリウスのモニターにエンジンとモーターとがどのように動いているかリアルタイムで表示する画面というのは非常にしっくり来ます。twitterのタイムラインはなんでこんなにシステム的に処理しづらそうな設計なのか、ということが飲み込めないでいたときは気持ち悪さを感じていましたが、こちらの記事で「力技だったのか」ということを理解してからはスッキリ使えるようになりました。

秒間120万つぶやきを処理、Twitterシステムの“今”

私の祖父(大正元年生まれ・文系)が生きていたときは、テレビやラジオの具合が悪くなったときは叩いてみるとか拭いてみるということをしていたように思います。

一方で我が家の3歳児はiPhoneで自分の使いたいアプリが見当たらないとフリックして探しますし、iPodアプリの動画再生で縦横位置の検出がおかしくなったときなど、何か思い通りにならないことがあるとホームボタンを押して解決しているようです。「コンコン」なんて叩いているところは見たことがありません。

私も家電を叩いたりはしないですが、学生くらいのときは携帯電話が圏外になりかかっているときに振ってみるとか髪の毛に突っ込んでみるといったことをやったことがあります。そしてタイトルのとおり、

「光学マウスをたまに振ってしまう」

こればかりはちょっと見逃して欲しいです。マウスカーソルを数千メートル動かしている間に遺伝子に逆転写されてしまったのです。きっと……。

パイロットが空から学んだ危機管理術という本に、第二次大戦時に軍艦が撃沈される場面に3回出くわして3回とも生還したという話が紹介されています。船が沈むとき、前後か左右に大きく傾くことが多いが、ほとんどの人は高いほうに逃げる(海面から距離をとりたいため)。そのため傾きが極大になったときに落下するし、落下しなかった人は船が完全に沈んだときの渦に巻き込まれて窒息する。そのため船が傾いたら下がったほうに行き、近づいた海面に静かに着水してできるだけ風上に離れるのが鉄則だそうです。ちなみに風下に行ってしまうと漏れ出た燃料が引火した際に煙で窒息してしまうとか。映画「タイタニック」でも直立した船尾から次々と人が落下して亡くなっていくシーンがありました。ああいった場面を思い出すとき、岩永さんのこの文はそのとおりだなと思います。鋼船で沈没した(そして生きている)経験のある人なんて今の日本にほとんどいないでしょうが、海でゴムボートをひっくり返したことがあるだけでもかなり違うんではないかと思います。

正直な話、家庭に「火がない」ということが悪い事だとは思いません。火災やガス中毒などといった部分での安全性を考えても多分オール電化というのは正しい方向なのだとは思います。でも、火がどういうもので、どれくらい熱くてっていうところを自分の体験として学んでいるかどうかっていうのは何だかやっぱり違う気がするんですよね。しかもコレは学校で教えるものではなく、生きるための知識として家庭でカバーするべき内容じゃないのかな?とか。

かといって全体を理解してないとうまく振る舞えないというのはこれからの世の中、機械が一層複雑化していく中では厄介な性格になるかもしれません。(特に机上だけでなく目で見て体で感じたいタイプの人)

そもそも科学技術に疎い人(テレビを叩いて直す)、言われるとおりに使う人、マニュアルを読まず直感で使う人、動作原理がわからないと気持ち悪い人、「機能」をベースに理解してなんでも上手に使える人、これからの社会はこれらの人がうまい感じにミックスされていくのではないかと思います。作る側にとっては受難の時代かもしれません。

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