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ITはクローズからオープンへ。自動車はオープンからクローズへ?

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妹尾さんのこちらの記事に疑問を投げかけてみたいと思います。

http://blogs.itmedia.co.jp/usrtodev/2009/11/pc-6a90.html

みんな簡単に自動車製造に参入できるように言ってくれるが、それは、自作でPCが組み立てられたらサーバーメーカーになれる、っていうのと同じでは?:抱き込め!ユーザー、巻き込め... via kwout

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そもそものテーマである「自作でPCが組み立てられたらサーバーメーカーになれる」というのは日本のエンタープライズ用途では非常識と思います。しかしgoogleは大規模にサーバを調達する過程で、自作に用いるようなオープンなパーツを好んで使用しています。(今はオーダーで作らせてもペイするほど巨大になりました)また、下のリンクのように「はてな」も自作のサーバを使っていることで有名です。

[PR]さくらインターネット×はてな、自作サーバを語り合う

自動車業界とIT業界で大きく違うところはこの記事の中からさくらインターネットの田中社長の言葉に言い表されています。

基本的にITというのはモジュラー型が主流で、仕様の多くはオープンになっており、その仕様に合わせた既製品の組み合わせで、高い自由度を安価に実現できます。

「日本のエンタープライズ用途では非常識」ではあるのですが、積極的に取り組んでいる企業は大きな恩恵を受けています。電気自動車も同じではないでしょうか。だとしたら恩恵を受ける(or受けられない)のは自動車メーカーでしょうか。いえ。自動車は輸送というサービスを通して産業全体、暮らし全体に関係するものですから、電気自動車が安くて便利という場合には、取り組まなければ国全単として大損ということになります。

クラウドコンピューティングの基盤となるサーバは大規模調達が基本ですので、自作サーバに近いものになっています。その一方で日本ではITサービスに要求するレベルが非常に高いため、クラウドコンピューティングは受け入れられないものであると判断する企業が少なくありません。この点においては電気自動車の否定とクラウドコンピューティングの否定は近いものがあります。

しかしクラウドコンピューティングにおけるセキュリティやバックアップの問題は技術的に解決しやすい問題です。そのクラウドサービスのサービスレベルに見合った情報だけを任せるようにすればいいわけで、現行で取り組んでいる企業はどこもそういった付き合いをしています。クラウドベンダー自身もオンプレミスとの共生を勧めています。

一方、どこかの誰かさんが作ったような電気自動車は、ガソリン自動車との衝突した際のボデーの安全性、アフターサービス、加速特性などから一般国道を一緒に走れるのか、などなど様々な問題により「導入したくなってもできない」という問題があるのではないかと思います。このことについて考察してみたいと思います。

自動車の黎明期は単一車種に一直線にしてオープンな世界

そもそも自動車はヨーロッパで生まれたもののぱっとせず、モビリティニーズが強いアメリカで花開きました。当初、自動車は富裕層が運転手つきで保有するものであり、運転手は整備士を兼ねていました。20世紀の初頭の頃です。それがヘンリー・フォードの開発したT型フォードの登場により民衆の手に広まります。T型フォードは車体価格の安さもヒットの理由のひとつでしたが、サンデードライバーでも自分で整備できる(そもそも故障が少ない)という点もヒットの要素になりました。

この時代にはエンジンメーカーとコーチビルダーと言われるボデー屋さんの協業で作られるタイプの自動車も残っており、そういった自動車はオープンなものでもありました。ボデー屋といっても黎明期の産業ですので、何らかの技術がある人がそれを応用する、といった形であったようです。

ちなみにT型フォードはほぼすべてをフォード社で生産しました。発電所、溶鉱炉からガラスやタイヤのゴムまで生産したそうです。それが成功の原動力でもあり、成長への急ブレーキにもなったと言われます。このように徹底した大量生産の一環としてバリエーションは少なく抑えられました。そのためサードパーティのコーチビルダーが様々な改造サービスを請け負ったそうです。

カーラインナップ誕生、クローズな世界へ

T型フォードでモデルチェンジが行われなかったという弱点をつき、GMがラインナップを充実させることで反撃を行います。この際、ラインナップを充実させると同時に生産性も向上させるために社内で部品を共通化することが進行しました。GMの経営者であるアルフレッド・スローンの著作「GMとともに」では、多様な車を低コストで作るための努力がたっぷりとつづられています。

ここのところが運命の分かれ目であったと思います。もしこの時代に、T型フォードをベースとしてコーチビルダー(車体屋さん)や改造専門店が拡張パーツを開発し、自動車産業を多様化させていったとしたらどうなっていたでしょうか。妹尾さんの記事で引用されている通り、そのへんの誰もが簡単に部品を組み合わせることで自動車を生産できるようになっっていたのかもしれません。

それがそうならなかったのは、自動車の燃料のガソリンの取り扱いが難しかったことは大きいと思います。サードパーティが改造できるのはせいぜい屋根をつけるとか6人乗りにするといった程度で、エンジンや駆動部品に直結しない部分に限られました。また、このときT型フォードはエンジンが非力でオープンボデー(雨の日は幌をかける)であるなど、安い以外に魅力が少ない車でした。

GMはこのとき、多くの自動車メーカーとその車種を買収して成り立っていました。なかには同じような性能で大きく価格が違ったり、ほとんど同じ性能の車を別々の工場で違う設計に基づき生産するなど非効率なところがありました。しかしその多様性を武器にT型フォードを攻略し、さらに強い企業へ生まれ変わるためにそのラインナップの整理と部品の共通化を進めます。自動車が多様化する過程では、歴史のいたずらにより「社内にありあまる資源が最初にあり、それを効率化していった」という流れがあったと言えます。

陳腐化、誕生

やや計画不足な合併により大きくなったGMは生き残りの道を模索しました。その生産力に見合う市場を作るため、計画的なモデルチェンジを行い、消費者が「飽きる」ように仕向けました。陳腐化させることで車を買い換えさせるという作戦です。

現在の自動車メーカーはどこも多様なラインナップを抱えています。その基礎はすべてGMが作ったと言っても過言ではありません。その過程は上で述べた通りです。単純なものが多様化していったのでなく、たまたま会社がとても複雑になってしまったところでバトンタッチされた天才経営者がその手腕を発揮し、多様さを短所から長所に変換した、というものであると言えます。

「GMとともに」では、陳腐化を進めるために絶え間なく新車の開発計画が進んでいく様子が描かれています。そういった状況ですので、消費者に「新しさ」を感じさせるための仕掛けを開発することに多くの資源が投じられます。企業は独自の「新しさ」を求める道を突き進み、クローズな方向性が定まっていきました。共通の部品メーカから仕入れた部品で「新しさ」を表現することは簡単ではないでしょう。(そう考えると、見える部分に使うパーツをレクサスにもGT-Rにも提供した小糸製作所さんはすごいですね!)

しかしガソリンの安いアメリカではどこまでも娯楽的な車を追求していきました。また国民性もあってか、進化の方向性が良かったとはいえなかった面もあります。そのため映画Back to the futureの1作目に出てくるような巨大で派手な車、いわゆる「アメ車」が生まれるなどしました。

日本スタイル、誕生

日本では外国メーカから部品を輸入して組み立て生産をするところから自動車製造の歴史が始まります。やっているうちに詳しくなり、というありがちなスタートです。ノックダウン生産というやつですね。

国土が狭く比較的モビリティニーズの低い日本では、バスやタクシーはともかく、自家用車はよほど工夫を凝らさないと売れません。そこで品質を高め故障を少なくし、居住性を高め、燃費を向上させ、排気ガスをきれいにする、などの努力をしました。それが適当に進化してしまったアメリカ車を駆逐し、対米輸出で問題になるほどの成功を収めます。

(ヨーロッパも同じく都市部はごちゃごちゃしていますが、都市間の距離が日本とは違います。そのせいか欧州系の車は大衆車でもスピードメーターの最大値が恐ろしいそうで。)

日本では「普通」の車がアメリカでよく売れてお金を稼ぎます。しかし日本に向けては「普通」では売れませんから、「良い」を目指して車を作ります。日本市場に受け入れられる車が完成したらアメリカに投入します。そのお金でまた日本市場に向けた車を開発します。

一方、「楽しい」や「すごい」車の開発は日本がアメリカに適うものではありません。デザインや装備の原案は今でも海外から日本に輸入されてくることが多いように思います。ホンダのS2000や、一説によればビートもピニンファリーナのデザインの影響を強く受けているそうですね。良いところは良い国から学ぶことで、非常に車を売りづらい国=日本で売るための努力を続ける。そうすることで日本車は世界的に指示を得られました。重力3倍でトレーニングしたドラゴンボールのエピソードのような。

このループの中で日本の自動車産業は今のような発展を遂げました。そもそも日本は規格を作るのがうまくないとも言われますし、最初に抱えたラインナップを「もっと良いものに」と各社が研究を進める中で、独自進化が加速していった、という流れは今の携帯電話に通じるものがあります。

また、車が壊れにくくなったことで消費者もメーカーの垣根を越えてエンジンやミッションが交換できるというメリットは意義がなくなります。ガソリンという危険な燃料を扱うという制約上、さまざまなメーカ間で部品を組み合わせた場合も考慮して十分に試験しない危なくて仕方ない、という原因もあったと思います。

電気自動車の未来は

こんな感じで(エンジンの)自動車産業というのは日本でもアメリカでもオープンにしづらく、クローズ化に進みやすい傾向があるようです。今から考えると、オープン化する可能性がどこかにあったようにも思いますが、当時の経済状況や技術の進歩を考えるとその場での最適な判断の結果、クローズな世界にたどり着いた、と言えるでしょう。

その一方で、ガソリンのように勝手に燃えることのない電気自動車はオープンな開発が進めやすく低価格なモデルが生まれやすいのではないか、と言われています。それが日本に持ち込まれるに当たっては、安全性などの厳しい現行試験を通らなくてはならないというような課題が山積しています。

発展途上国にとって電気自動車とは

しかし自家用車がほとんどなく、バスやトラックが中心の発展途上国で考えるとどうでしょうか。車検などの制度が成熟しておらず、安い移動手段が望まれている状態です。道路や駐車場もこれから作っていこうという段階であれば、先進国の失敗を反省し、安い車の規格とそれに合わせたインフラを整備してしまうというのはどうでしょう。各部品が設計レベルで「合格」していれば全体の安全性が保たれるという思想はITの世界ではおおむね現実的なものになっています。(もちろん相性の問題は考えたくもない被害を撒き散らすことがありますが。)

今の日本の2000ccクラスの車種を都内で使う場合、アクセルをぐっと数センチも踏み込める機会は年にどれほどあるでしょうか。それならば都市間の公共交通を充実化し、都心部をコンパクトカーに対応させてみんなでコンパクトカーに乗ったほうが便利ではないでしょうか。(渋滞するほど車があり、やろうと思えばいつでも電車を引けるくらいに日本が豊かになったから言えることですが。)

日本にとって電気自動車とは

途上国で国ぐるみのインフラ整備を伴う電気自動車開発を行った場合、日本では個人が年収の数分の1のお金をを払って自家用車を調達するのに対し、途上国では1ヶ月の収入で買えてしまうという逆転が起きるかもしれません。(現実的にはアメリカで自動車産業の復活策としてガソリンスタンドへの急速充電設備の整備など国を挙げた電気自動車開発が行われるのでは、とも言われていますが。)

日本車が品質を高めてアメリカ市場を侵略していったように、途上国で品質を高められた新しい車が日本市場を目指すかも知れません。しかし狭い日本で生まれた日本車は広いアメリカに受け入れられましたが(エンジンをパワーアップされるくるまもあったようですが)、新しい都市インフラを持つ国で生まれた新しい車を、日本は受け入れることができるでしょうか。

例えば独自進化により日本よりもハイレベルな基準で安全性試験などをパスしたインド製の電気自動車が30万円で販売されたら、渋滞や駐車場の問題が爆発するでしょう。私は「電気自動車に日本の自動車産業が蹂躙されるかもしれない」問題よりも、むしろ「新しい自動車の恩恵を受けられないかもしれない」という問題のほうが深刻ではないかと思っています。

機関車のような自動車

部品の組み合わせでできるから、というのは部分的な見方であると思います。モーターはガソリンエンジンよりもきめ細かな制御がしやすいですので、電車は連結して走ることができますし、1個の大きなモーターでなく、車輪ごとにモーターを4個置くという設計もできます。

そこで、シャーシ、モーター、電源が規格化された「ミニ四駆」のような自動車を想像してみます。どんなボデーも搭載できるので、デザインだけ変えたようなマイナーチェンジという風習は無くなります。むしろ1台1台が違っていて当たり前になるかもしれません。バスやトラックはどうなるでしょうか。新しく規格を作るのであれば、機関車のように駆動用の車体を2個も3個もつけて、バスならば客車、トラックならば貨車を後ろに引くこともできるでしょう。

コンテナの効率性

日本の自動車は輸出に際して専門のドライバーが自動車の運搬船内に自走させて積み込みます。これから作る電気自動車が20フィートコンテナや30フィートコンテナを意識して設計を行ったらどうなるでしょうか。コンピュータ制御で既存の自動車運搬船と比較にならない高速で積み下ろしができ、コストも下がり、コンテナ規格に対応した港湾さえあれば世界中どこにも輸出できることになります。さきほどワゴンRと、プリウスのモデルを作って20フィートコンテナと40フィートコンテナに入れてみましたが、実に中途半端なサイズでした。

もちろんホイールベースなどの物理的な長さを変えることによる挙動の変化の大きさ(敏感さ)を考えれば、コンテナに合わせるということは馬鹿げているようにも思います。しかしながらそれは日本の道路を60キロくらいで走る場合にはそのとおりですが、新しく都市計画をして道路と民家がどれくらい離れており、ミューがどれくらいで、最高時速はどれくらいで、ミリ波により車間距離がどれくらい近づくと警告があり、事故の際は近隣の自動車に情報が配信され、というところまで整備するのであればコンテナに車を合わせていくことも十分メリットがあるのではないかと思います。

系列

生産の面でも、日本の自動車メーカーは多くの系列企業という守るべきものをたくさん持っています。一部の企業は複数の自動車会社とつくあっているものの、やはり系列の下請けというものは根強く残っています。(資本が入っているわけではないが、一社とだけ仕事をする)

そうすると規格を公開して「世界中どこの会社でもこの部品を安く作ってくれたら買うよ」という状態に移行しづらい部分もあるでしょう。もちろん高い生産力を活かして、他社の部品を積極的に受注していくという生き残りはあると思いますが、世界でもっとも社員のクビを切りづらい国で「うちはもう系列の下請けからは部品買いません」ということのインパクトは大きなものであるように思います。

中国産ママチャリに習う

国内の一般向け自転車は今すでに大きく2つの市場に分かれているように思います。1つはママチャリなどの移動手段、1つはロードバイクなどの娯楽用途です。ママチャリは2つに分類できます。1つは中国製の1万円以下のママチャリ。1つは国産の高級ママチャリ。1万円以下のママチャリはあまりに安く、撤去されたとしても撤去費用を払うのが惜しいほどです。修理するよりも買い換えたほうが安く、残念ながら放置自転車の問題は大きなものになっています。

アシストがついたり、アルミで軽くさびないといった高級なママチャリは、中国産ママチャリに押されてできたカテゴリーであると思います。2万円くらいの国産ママチャリは、中国産ママチャリの2倍の性能を証明できずに駆逐されました。壊れたら買い換える、古くなっただけで買い換える、という考え方は、ITでクローズな技術からオープン化が進んだ過程にも通じるものを感じます。

コイン自動車

上で触れた放置自転車の話題ですが、これもリサイクルが高度に進んだとしたらどうでしょうか。自転車は比較的に規格化が進んでいますので、高品質な中古パーツがいつでも手に入れば、自転車を常に良い状態に保つことができて便利そうです。部品を回収・再利用した再生自転車の誕生が平均価格を更に下げるかもしれません。

これを自動車に適用して極端にした例を考えると、自動車の駆動部分は1種類にします。1台では自家用車、複数台組み合わせれば出力が増えて大型輸送に耐えます。外観や用途の問題に対応するため、ボデーを多種多様なものにします。この駆動部分を、今の工業力をもってT型フォード式のごとく大量生産を行ったとしたらいったいどれほどの低コストで生産できるでしょうか。

日本の現状を考えると「そんな馬鹿なことできるか」とも思いますが、それにあわせてこれからインフラを作っていける国ではどうでしょうか。壊れた場合にシャーシを取り替えてもらえれば、「修理工場」という存在がなくなります。そもそも所有という概念が希薄になるかもしれません。そのへんに置いてある自動車にコインを入れるかもしれません。それはいくつかの自治体で行われているような「フリーサイクル」とも似ています。

先見性ってなんだろう

残念ながら日本は既に道路を引いてしまいましたし、既に走っているエンジンの自動車を地デジのように走行禁止にすることは難しいでしょう。もし電気自動車が軽量コンパクトな形に進化したら、日本の道路では現行車両と共存できず、せっかく安い自動車があっても利用できないという問題に直面するかもしれません。ちょっと暗くなっていまいましたが、もしそうなったとしても日本の自動車メーカーはセンシング技術などにより「勝手に避ける」とか「警告を発する」などして共存できるパワーを持っているんじゃないかと思います。「現行規格」「試験」「安全性」などを盾に締め出しを行うのは、長期で見れば得なことではありません。自動車産業は国際的な競争力を失いますし、そのほかの産業も輸送コストの上昇という不利益を蒙ります。

今の日本の自動車業界もこうすればよかったのに。先見の明がないな。というつもりはまったくありません。むしろ振り返ってみると驚くほどの見通しであった場面がいくつもあります。また、電気自動車もまだ乗り越えるべき技術的課題を多く残しているように思います。(環境と資源という壁により進化の袋小路に入ってしまった内燃機関に投じられた労力が最初から電気自動車に向けられていたらどうなっていただろう、とは思いますが。)

しかし巡り合わせというか、潮流というか、化石燃料の枯渇問題に終止符が打たれず、バッテリ容量の増大、モーターの改善など機は熟してきました。反対に内燃機関にあまり良い材料はありません。自動車の産業というのは、これから何年後かわかりませんが電気自動車以降が本番なのではないかと思います。ホンダF1の16戦15勝、1cc1馬力のエンジンは前座だったのです。確かにあの時はエンジンに不可能はないと思いました。(笑)

フォードがGMに、GMがトヨタに引導を渡されたように、まったく新しい環境で生まれたまったく新しい自動車が新しい時代の乗り物にふさわしいといえるのではないでしょうか。

ひとまず、自動車の「オープン」というキーワードで日本がアメリカに徹底的に負けている点を改善するところから始めてみてはどうでしょうか。それは複数企業の新車を一拠点に並べて販売することです。日本でも複数系統のディーラーを経営する地方企業が2つの企業のディーラーを隣り合わせに作ってそれとなく比較できるようにしたら、直営ディーラーで囲まれてその会社がつぶれたという都市伝説を聞いたことがります。わざわざいくつもお店を回るのも楽しいですけれどね。

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