オルタナティブ・ブログ > 加藤順彦|Asian視座で未来予想 >

ニッポンの景気対策の本命、『日本企業のアジア進出・アジア資本化』を支援しています

ブラジルの日本、日本のブラジル (後編)

»

サンパウロの中心リベルダーデはそのまま駅の名称にもなっています。駅構内から地上に上がると提灯の下がった赤い街頭、鳥居が通りを囲っています。ここが東洋人街。

軸となる通りであるガルバオブエ通りには入口から、両脇にずらりと日本テイストの定食屋、お土産や、雑貨、ファッション、ホテル、居酒屋、日本庭園、サブカルチャー(ジャパニメーション/ゲーム/漫画)、ラーメン屋、のお店が並んでいます。

最近では健康志向の反映である日本食の大ブームやジャパニメーション・ブームも相俟って、従来の客層である、サンパウロ州近郊の日系人(日系人180万人のうち約80万人が、サンパウロ州近郊に暮らしている)だけでなく、広く地元ブラジル市民や「OTAKU」目当ての若者も集まるようになったそうです。

ここ数年は特に週末は在ブラジルの幅広いアジア人、そして日本文化にシンパシーやファッションを感じる方々で大賑わいのようです。

世界には日本人街=Japan Townとは呼ばれてはいるものの、実際には既にコリアンタウンやチャイナタウンと化している商店街が幾つかあります。サイパンやサンフランシスコはまさにそうだったと記憶しています。サンパウロにはまだはっきりと日本を感じさせる通りが現存していることは嬉しい限りでした。

しかし状況はもっとヘビーでした。

どうやら最近のリベルダーデのお店は、経営者:中国人、運営/店員:日系人日本人という図式のものが多いようです。
特にここ数年で新たに始まった店の大半が「土地や営業権を中国人≒華人が買って」、従来の日系人の経営する店子に賃貸したり、店子を追い出し、店構えはそのままに、店員だけ日系人に替えて経営したり、という事例が増えている、ということでした。

しかも近年のリベルダーデの盛り上がりは、彼ら新勢力である華人/華僑のお陰で街がまた栄えている、と断言する方もいました。なるほど、それも事実でしょう。

なぜ経営者が華人や韓国の方に替わっても、日本テイストのお店の営業が続いているのでしょうか。それは背景として、ブラジルは日本人・日系人のイメージ・好感度が高いことがあるようです。

前編でも書いたように、第二次世界大戦前から、戦後1953~67年まで続いた日本人の移住者は主に農業に従事するが目的で、移り住んだ方が大半でした。

当初はブラジル名産のコーヒーや綿花の農園が多かったそうですが、やがて日本から新たに入った品種も含め、あらゆる農業・畜産業が全般的に営まれるようになったようです。
(ブラジルでは、非常に多くの野菜果物の名前が日本語と同じ音で呼ばれています)
ですので、ブラジルでは「野菜を創ったのは日本人。」という記憶がたいへん強いのです。

それが故にブラジル全体が親日ムード、誠実で真面目な人(=ガランチードと称されています)なイメージで美化されています。
もちろん戦前戦後と、移住した日本人たちが、ブラジル全体に貢献する社会的な役割を果たしてきたことも大いに奏功しているでしょう。

かたやサンパウロに多くいる韓国や中国からの移住者は、1960年代以降、主に商業(衣料品販売/家電販売/外食店)をやりにきた方が多かったそうで、「地元の産業を潰しにきた」という悪印象をもっているブラジル人が多いそうです。

だから、近年新たにリベルダーデの住民となった韓国や中国の方も、日本の持ついいイメージを上手く利用した「日系風店舗」の運営をしているわけだったのです。

そして実際、いまブラジルは健康=日本食が大ブーム
ここ数年の急成長で、ブラジルにも多くの中間層、新富裕層が生まれました。彼らはリッチになり、毎日ブラジル料理=肉をガンガン食べ続けたことで、体調や容姿に異変を来し、、健康志向=日本食 にたどり着いたのです。

いまや180万日系人のうち80万人が集中するサンパウロ州には、600店舗を超える日本食レストランが出ています。大方は寿司・天ぷら・焼きそば、ということです。あのすき家も既にに2軒オープンしてましたYO!。しかもリベルダーデ近くに。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
一方、前編でも書きましたが、いま移住100年を経たブラジルでは「徐々に第四世代に世代交代が進んで」います。
彼ら新世代は既に日本人としてのアイデンティティを喪失しつつあります。それはある意味で当たり前のことだし、憂うべきことでもないと思います。
(国策で働きかけた当の日本国ですら、四世は日系人として認めていません)

しかし、加藤がサンパウロで、リベルダーデで、お会いした日本人・日系人の皆さんは、そんな彼らの子孫である日系三世・四世世代だけがブラジルの地で活躍していく状況を、ある意味で「もったいない」と考えておられました。

100年もの年月のなかで、我ら日本人の先輩たちが、必死になって残してきたブラジルでの信頼と実績の轍。

その結果としての「ブラジル人が持つ日本人に対するリスペクト」。そのイメージを、ブランドを、いま最高に盛り上がっているブラジルで、南米の地で、上手く利用できないのは惜しい、とおっしゃるのです。

サンパウロの最終日、僕はリベルダーデのブラジル宮城県人会の金曜呑み会で、中沢宏一会長と酒を酌み交わしました。

その場で…「僕は、今回の東日本大震災の被災者のブラジル移住を引き受けるブラジル側の行政窓口を創りたいと思っているんだよ」というお話を伺いました。

おわー!地球の裏側!ブラジルで!被災者の移住!の働きかけを!…
驚きました。そして、日本の現実とのあまりのギャップ※におののきました。相当に困難では。

※それにはサンパウロ出身のスーパースター”キングカズ”三浦知良師匠が「みんなでサンパウロに移ろうぜ」と呼びかけるくらいしか、ないです! と提案しておきました。

日本政府から、震災の被災者に対しブラジルに移住するように働きかけること。
それは現実には、相当にハードルが高いでしょう。

しかしながら日本に対し強いシンパシーを抱く、戦後移住の一世の皆さんや、戦前からの二世三世の皆さんとのコミュニケーションを深めれば深めるほどに、、
僕自身も「このまま経年で、日本人の魂の火が薄く小さくなっていくのは、余りにも惜しい、もったいない」と思うようになりました。

2014年 FIFAワールドカップ、2016 オリンピック、、ここ5年、ブラジルの内需は怒涛の成長が約束されています。
そして今、ブラジルに、サンパウロに、第二の日本人フロンティアの登場が待ち望まれています。出れば、きっとサンパウロの日本人の皆さんは大歓迎してくれることでしょう。

そして僕自身もどうやれば、そのムーブメントを起こせるか、考え行動したいと思っています。

Comment(0)