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「離脱・発言・忠誠」:候補者ってどんなプロセスで決まっていくのだろう?

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1年ほど前でしょうか、ハーシュマンの「離脱・発言・忠誠」を学校の先生に勧められ知る機会を得ました。

この書籍、離脱・発言・忠誠という人間の社会的行為の三種型の別出を通じて、小は町の零細企業から大は巨大企業にいたる組織社会における人間の行為原理を明らかにする現代社会科学の古典とされており、経済学と政治学の生産的対話の試みであり、新古典派の市場主義一辺倒によって切り裂かれつつあるかにみえる公共性の再生・復権の手がかりを与える。としています。

人間社会では非常に厄介な問題であるリーダーシップの継承が、ある種のヒヒの群れでは、円滑に、また効率的に行われているとしており、こんな指摘が、

人間社会では常に、「善」政のあとに「悪」政がきたり、強力なリーダー、賢明なリーダー、良きリーダーの跡目を、虚弱な者、愚か者、法を犯すものが引き継ぐなどということが起こり、激しい起伏があった。

まさに企業や政治の世界でも似たような事象が思い出されるわけですが、つい最近行われた都知事選。山本一郎氏のこちらの記事(政治的に無駄だった都知事選の構図|やまもといちろうコラム(1ページ目) - デイリーニュースオンライン

50億のお金をかけてこういうカビの生えた老害が炙り出された

この指摘に共感される方も多いのでは、と推測します。

こういう方が当選していたらどんな事態になったのだろうと考えつつ、支持政党の候補者だから投票するのが当然というリスクはどう考えるべきなのだろうと思案してしまいました。

「離脱・発言・忠誠」によれば、人間社会においては、生存維持水準を上回る余剰の存在において特徴づけられる。こうした余剰が存在しているからこそ、社会の進歩においてかなりの衰退を甘受できるとしています。

東京都は国家並みの予算規模とか経済規模として例えられる都市です。前述のヒヒのリーダー継承の話ではないですが、予算13兆円、職員16万人のリーダーとしてふさわしい資質をもった人物がそんなに簡単に出てくるとも思えませんし、人材が育つにはそれ相応の時間の経過も不可欠です。

このような観点からも、任期途中で行われる選挙においては、任期満了時と比較して準備不足の候補者が出てくる可能性が高まります。(準備が最適を担保するものではありませんが)

政治組織やそれを成り立たせているさまざまな構成体の衰退をすべで除去できるような社会の仕組みを探し求めることは、最初から不毛らしいのですが、選挙費用だけでなく衰退において我々が負担するコストもかなり大きなものが予想されます。

選挙費用のようなコストの他にも、こんなはずじゃなかった、、、となった場合のコストは甚大な気がするだけに、当選してから後悔しても手遅れなリスクを考えるとともに、やはり人間社会におけるリーダー育成の大切さと難しさを感じずにはいられません。

権力の継承が順当に行われる社会は、変革を伴いながら成長していく可能性においてはあまり期待できない組織体質を持っていると考えることも可能ですが、リーダーシップの継承方法をヒヒから学ぶべき必要があるかもしれません。

敗因について、都政に対する勉強不足があったのかもしれないし、それは検証しようがない、急ごしらえについては心配していなかったとご本人は語っておられますが、都民という位置づけからは簡単に離脱できない立場としては

選挙後にこういう発言をしてしまう人物を、都知事候補として選出~立候補させるまでの選定プロセスがどういうものだったのかの検証~公開してほしいと感じたお盆期間でした。


P.S.

当初このネタでブログ書こうと思い観た「小説吉田学校」。戦後の政治家の経験してきたことのスケールの大きさを感じたり、自分が生まれる前からの政治の流れが、自分が物心ついてからの政治にこういう話としてつながってくるのか、、、、と感じることが多く面白く、ゆでがえる世代の方にはおすすめです。

後から公開されたインタビュー後編のリベラルネタに関連したところですと、

こちらの著者竹内洋氏は、1940年生まれの鳥越氏と同年代の1942年生まれの京都大学出身、「左派にあらざればインテリにあらずという空気はどのように譲されたのか」という本書は様々な意味で参考になります。

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