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オイルショックを日本型経営で乗り切れてしまったのは良かったのか悪かったのか…

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ここ最近、人的資源管理について自習しているのですが、初歩的な段階ながらも感じる事は日米の働くことの意味の違い。

米国では、仕事のなかで自己実現を求める人々の期待にどう応え、人々を組織化するかがマネジメントの重要課題。

日本では組織に強い帰属意識をもつ人々を組織に「依存」させることなく自立的に仕事をしてもらうかがマネジメント課題となる。

ここで、日本では組織に強い帰属意識をもつとありますが、終身雇用や年功序列といった仕組みが日本古来のものかと思うと、どうも明治、大正時代はどちらかというと現在のアメリカ型に近い労働者の流動性が高い社会だったようです。

自分の手元にある書籍ですと、盛田昭夫の「学歴無用論」、野口悠紀雄の「1940年体制」にその当たりの指摘を見ることができ、

盛田昭夫の「学歴無用論」

もはや、かつての転々と職場を変えることを誇りとし、また実際それによって地位も給料もあがっていった職人気質の熟練工は姿を消す趨勢にあったのである。そのかわりに、白紙で雇い入れた行員を着々と訓練し、一つの起業に終生固定させて、”うちの会社”意識を培うという子飼制が主流となった

野口悠紀雄の「1940年体制」

第一次大戦意向、本格的な工業化が進むなかで、徐々に変質てゆく。ホワイトカラーの登場や企業独自の技術を駆使する必要性を反映して、雇用が長期継続化した。また、労働紛争の高まりに対応して、企業経営者は慎重に採用を行い、移動を抑制して勤続を奨励するような報酬体系を導入するようになった。

1960年前後は、戦後復興からの経営者の世代交代、関税引き下げなどによる環境変化などの経営環境の変化があり、そのあたりの流れを汲んでか経営学がブームになったようで、この時期に書かれた著名な経営者の著書は、その後の当該企業がどんな道を歩んだかを考えながら読むと大変味わい深いものがあります。

その当時、これまでのアプローチでまずいと考える経営者はそれなりに居て、この時期「職務給」への転換が試みられたが、労働者からの強い反対があり、結局実現することができなかったと野口悠紀雄の「1940年体制」には記されています。

野口悠紀雄は「共同体としての企業」という表現をし、盛田昭夫は「日本の会社は社会保障団体だ」と過激な表現をしていますが、人的資源管理という側面において冒頭に書いた日米の差に、ドラッカーが驚いたというエピソードがあるのでここに紹介しておきます。

人材に対する評価をなぜしないのかというドラッカーの質問に対して、非常に大きな組織体の上層経営者の答えは以下のようなものだったそうです。

「日本においては、われわれは従業員を首にすることもできなければ、彼らの昇進チャンスを拒むこともでいないので、このような評価はわれわれにはあまり興味がないのです。むしろ、われわれは、従業員の弱みについて知るところが少なければ少ないほど良いのです」

自分が生まれた時期、実は日本の会社組織が大きく変革する可能性があったとというのは驚きでもあるのですが、オイルショックを日本型経営で乗り切ったことで逆にその経営手法が見直されたりした経緯もあり、現在においても雇用の流動性が確立される様子はありません。

会社起業、独立自営、フリーランサーが数年食べていくのは多くの割合で成功すると思うのですが、20才~80才まで下手すると60年近い年月を小規模な経済単位で維持していくのは非常に困難と言わざるえません。

ただ、このような脆弱な組織であっても新たな技術や方策をどんどん取り入れて対応していくことで、事業の継続確立がアップします。

大企業であっても新たなテクノロジーの導入やイノベーションに取り組むには中小零細、フリーランスの知恵や手を借りる必要があるのが現代社会の特徴であり、このような時代においては大企業の担当者もどんどん新しいことに取り組む姿勢が、小さい会社、個人にもチャンスを与えることになり経済活性化に役立ちます。

会社に成果を与えたかより事なかれ主義で強固な系列関係の取引にどっぷり浸かり、問題起こさない=自身の雇用環境安定という状況では、担当者がリスクを取る訳ありませんから、何もしないよりも取り組んだことを評価される仕組みが導入されないことには日本全体が活性化しないはずです。

今学んでいる経営学のテキストの冒頭に、企業の社会的影響力の増大という文節で、雇用の場としてのあり方が記載されているのですが、正直面食らいました。

まず第1に、企業はわれわれに雇用の場を提供する。企業はわれわれが従業員となり、能力を発揮して仕事をする場であり、労働力の見返りとして金銭的報酬を得る場でもある。もしその企業の業績が悪化すれば、雇用の削減という自体を招き、社会全体の失業率を高めることになる。したがって企業には、適切が経営により業績を維持し、雇用量を減らさないように努力する使命がある。

雇用の維持が前提となると、変革の時代にチャレンジできないんじゃないの?これは日本独自の考え方で、ワールドワイドにも通用する概念なのだろうか、、、と。

さらに最近の日本では、経済的に意味があるから大きくなるのではなく「大きすぎて潰せない」状態を目指して行われる大規模化が生き残り戦略になっているような例も見受けられ、これもまた変革にチャレンジしていく姿勢とは違うような気がします。

「1940年体制」にこんな数字が紹介されています。

1990年代の米国では、無数の小規模企業が誕生。1994年から98年の間に従業員20人未満の企業が生み出した新規雇用は約900万人で、これは全米新規雇用の約8割に相当。

先日日本で起業を考えている人の割合が非常に少ないというニュースがありましたけど、日本の公務員や大企業の給与水準や福利厚生は大変魅力的であると思います。ただそこに全員が就職できる訳ありません。また、老後の事を考えれば身分保証がちゃんとされている仕事のほうがそれは安心ですが、それもまた全員がその傘に入ることは困難です。

冒頭に紹介した日米における働くということについての意識の違いですが、日本においても独立自営・フリーの人間は米国型のメンタリティを持たないと食べていけないでしょう。

このような混在型で変化にどんどん対応していくことが求められる時代においては、動きの鈍い大企業崇拝から脱却し、結果を出すために、いろいろな層の人たちが自分達の知識、才能を活かしながら仕事をしていけるような社会認識や基盤整備が必要と考えます。

最後にインスタントラーメンの発明者である安藤百福のこの言葉を書いて今日は終わりたいと思います。

企業が無限に発展しうるとする願望は思い違いである。人の命に限りがあるように、すべてのものは有限である。

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