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怒鳴られるのが好きな人は居ないだろうけど、プロとして出来ない自分を見つめるほうがしんどくないですか?

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ここ最近、怒鳴ったり、怒っても人間は変わらないという話を取り上げている方が多いようで、雑誌だと、クーリエジャポンがこんな特集してたり、

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今夜もこちらの記事がシェアされて目に入ってきました

こちらの「重要なのは人間を変えることではなく、仕組み(システム)を変えること」という指摘も至極まっとうな記事なのですが、この手の話を見聞きしていつもひっかかるのは、怒られる側はまったく落ち度がない前提の話だけなのか?というひっかかりがちょっとあったっりします。

確かに怒鳴られたり、怒られる側の気持ちは良くないですが、これを恥ずかしながら自分の例で紹介すると、そこで弾けなくてはいけないギターがプロのレベルとして演奏できずに怒鳴られたり、怒られる場合はどうでしょう?

相手が気長に待ってくれようが、仕組み(システム)を変えようが、そこで必要とされているスキルが足りない事実に変わりはありません。

有名ミュージシャンのレコーディングで、初見で演奏できないので、その時間は無駄になるから1日時間をくれといって、翌日素晴らしい演奏してレコーディングをこなしたという話をどっかで聞いた覚えがありますが、これも先延ばしが1日出来たから良いものの、その場でキッチリ結果を出さねばいけない場合もプロにはあります。

罵倒したり、怒鳴るのが良いとは言いませんが、それ以前に自分の仕事のレベルがちゃんとしたレベルに到達していなければ、それを仕事として成立するレベルにどうもっていくつもりなのかという事も大切な要素なのではないでしょうか。

奇跡的な確立でメジャーデビューを勝ち取ったアーティストがヒットを出して業界でそれなりの地位を築いていくまでにはデビューから数年の時間が最低でも必要で、その中でライブの積み重ねやアルバムセールスの積み上げをしながらその地位を固めていく訳です。

そういう活動の中で、やはり勘所となるライブやアルバムリリースのようなタイミングがあり、そこで求められた事にミュージシャンである自分の腕が未熟で追いついていけないというのは、怒られるとか怒鳴られるとか、他人からの行為よりも、自分のふがいなさでいたたまれない気分になってしまい、状況的には暖かく見守られるほうがしんどいというケースを自分は嫌というほど体験してきました。

繰り返しになりますが、怒鳴っても変わらないのも事実なんですが、そもそもそこで求められる結果を出していれば怒鳴られることなんて無いだろうという話もあるのではないか?と自分の苦い経験を振り返ると思うのでした。

プレッシャーかけたり、怒るから萎縮するとか、ごもっともな指摘ですがライブでプレッシャーをはねのけて結果を出していくには、そういう場面においても結果は出せると自己暗示掛けられるだけの訓練を積んでいれば、おのずと結果はついてきて、怒鳴られるとか、そういう問題を回避できる場面も多いとは言えないでしょうか?

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