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「非合理なれど、われ信ず」

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哲学的な問いかけをして何かちゃんとした答えが出てくる訳ではないのですが、独立自営という一匹狼的な生き方を選択した手前、自分は何者で、これから何をやるべきなのか…というような事を考える事がしばしばあります。

先日進化論のことに少し触れましたが、2~3年でビジネスモデルが変化する時代において、少数派である独立・自営組の一部が、その変化に追随できずに倒産・廃業したとしても自然淘汰として致し方ないと判断され、規模の論理で救済される巨大企業とは扱いが根本的に違います。

狩猟生活から農耕生活、産業革命、日本の場合には、明治維新に第2次大戦での敗戦から前後復興に大量生産から情報産業時代への変化が訪れ、今もまた変化は続いています。

自分がもって生まれた素養がその時代にマッチするのかは運次第、もしくはその素養を活かすためにどう自分を成長、変化させていけるかという事も含め、前述の問いのところで思案のしどころというか、その後の具体的な行動を含め悩みは尽きません。

敗戦を踏まえ、平和憲法の採択、戦争放棄、軍隊を持たず、徴兵制も捨てるという西洋社会から見たある意味ユートピア的な仕組みを取り入れた日本。

経済的な発展もあり、日本の中で見れば労働環境として改善すべき事はまだ沢山ありますが、グローバル視点で眺めると、貧困問題を抱える国家や、多くの企業の海外移転が究極進んで労働者階級には非常に厳しい労働規則でありながら安価な仕事にしかありつけない現実など、どこの視点で物事考えるかで思考の道筋も大きな違いを生ずることになります。

会社という組織の経営はしていますが、クライアントから制作物を依頼されるときは、ある意味フリーランスの労働者と違いはほとんど無い状態で、この立ち位置のあいまいさは、政治参加の場面においても社会における自分の不安定さを再認識する訳です。

独立自営で生き延びることをまず最優先しなければいけない道を選択した自分ですから、当然そこでうけるプレッシャーに打ち勝たなければ挫折するだけで、そこに病気療養や配置転換、有給での休職というようなセーフティーネットはありません。

紀元前のアテナイの国家や、明治維新、戦後の変遷について書物から知識を得るなかで、脈々と生き続ける社会システムとそこで働く人の存在を知ることができました。

帝国主義、植民地支配、奴隷制など産業革命時期において先進諸国は本来必要となるコストを支払うことなくシステムを作りあげ、21世紀の現在はフェアトレードなりだんだんとその適正コストを支払う方向に向かいつつはありますが、それでもまだ中国やインドなどで先進国の下請け工場で暴動が起きている現実があります。

こうやって海外の人たちが安価に働いてくれることと、IT化の進化により、人々は生活者として安価な製品、サービスを手にすることができるようになりますが、労働者としては、産業空洞化や相対的なギャラの低下とも向き合うこととなります。

生き残る道筋を探すのが最優先ではあるのですが、この社会システムの流れが本当に良いのか?というとそこには何か違うんじゃないか…という漠然とした思いが自分にはあります。

現時点で文章化したりはできませんが、「非合理なれど、われ信ず」この言葉にとても魅力を感じています。

既存のルールを活用して勝ち上がれるならこの発想は必要ないかもしれません。

前述のように脈々と築かれた人間社会の歴史の中で、普段目に見えることはほとんどありませんが、特定の人たちに有利に働くシステムが社会の至るところにあり、虎ノ門という土地はその縮図を感じるには日本で最適な場所だったりします。

規制緩和とか言いつつも、新参者や社会的弱者がその恩恵を手にしようとした場合、だまってルールにしたがっていれば大丈夫なのでしょうか?

自分はある側面においては普通の人では到底で無理であろう仕事体験や自己実現をさせてもらっているので幸せ者だという意識はあるのですが、小学校高学年から、中学、高校時代の過ごし方が現在の自分に大きな影響を与え、その時代にもう少し世の中を見据える力があれば良かったとは思っています。

47才でほぼ人生の半分が終わり、ここから先の人生の生き残りをどう図っていくのか試練が続くのは覚悟を決めねばいけません。

自分の青年時代からの世の中の変化を見返すと、吹けば飛んでしまう個人、零細企業という単位で2~3年でビジネスモデルが変化する時代を乗り切る必要がある人たちが、一例としてですが、未だに多くの人たちが、コツコツとまじめにやっていれば大丈夫式の発想でいることの危険性を感じずに居られません。

そのようなサバイバルを続けなくてはいけない立場であるからこそ、迎合せずに、「非合理なれど、われ信ず」という信条で物事に取り組む必要性を感じています。

参考文献

  • 小田 実:1969年:日本の知識人:筑摩書房
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