自分のやった事に相手が応分の反応をしてくれるだろう、という期待は捨てたほうが楽になる
どっかのタイミングでまとめて書こうと思っているトピックとして自分の感情コントロールの件があります。
つい最近も「あなたはいつも不満を口にしている」と指摘を受け凹みつつも、なんで自分はそういうモードになってしまうんだろうと考え込んでしまいました。
そもそも仕事が順調に進むか、進まないかは悩んで変わるものではなく、体的に行動した結果が跳ね返ってくるものだと、頭では分かるのですが会社の大小問わず、数人とはいえスタッフを抱えて組織を維持しようと思うと悩みからゼロとは行かない筈です。
もっと気楽にとか、力を抜いてというようなアドバイスがこういう場合意味が無いと感じると思います(自分も以前はそう思っていました)が、社会全体から見れば自分がやりたい事はそもそもエゴの一部であり、会社をうまく経営したいというのもエゴだという話になりますから、自分のイライラからとりあえず解放されるだけなら辞めれば良いという話になります。
ただこういう考え方だけでは社会生活成り立たなくなってしまいますので、それぞれの課題に向き合う必要が出てきます。
自分のこれまでの経験や、いまの会社で何を望んでいるのかを少しこの週末に考えてみたのですが、自分が人に対して不満を抱く原因は、自分が期待が過大になっていたり、自分がこうすれば相手はきっとこう返してくれるだろうという自分勝手な想像が空回りして自分の中で不平を抱えてしまっている構図が見えてきました。
- 自分は親にこんな風に強制された、だから自分の子供には自由を与えたつもりなのに、通じない。
- 未経験の人に仕事のチャンスを与えているつもりなのに相手はそのチャンスを活かす気がなさそうだ
- こちらは本来この値段であれば不可能なサービスしているつもりなのに、相手はどんどん好き勝手なオーダーをしてくる
繰り返しとなりますが、これは根本的なところで、自分がこうする事で相手もこんな風に答えてくれるだろうという”自分勝手”な考えが、その通りに進まずに自分がストレスを抱えてしまっている構図で、何故こんな考え方をしているのかをもう少し考えて見ると、自分が小さいときに要求されてきた事や、社会に出て経験してきた事が大きく影響しているのが分かってきます。
世の中には多様な価値観があり、いろいろな生き方があるのは、普通に生活していれば分かりますから、今日取り上げたような課題にうまく対応している人もいるでしょうし、人間関係を上手に維持できる人のやり方を学ぶこともできるだろうとは思うのですが、これを実践する段階で、自分がこれまで受けてきた教育、躾け、経験から自分の行動基準や判断基準を変えていくのは頭で考えるほど簡単な事ではない筈です。
今回考えてみて少し見えてきた事は、これは自分がギャラを貰う立場、払う立場両方で考慮すべき話だと思うのですが、
自分がパフォーマンスを発揮できる事がらをちゃと適正価格で提示でき、そのギャラで求められていることは何かを考え、適切なアウトプットするために行動している段階においては、自分が得意とすることをやらせてもらっている前向きな意識が持続可能でしょうから、良好な結果をもたらす可能性高いと思います。
今日書いた話、目の前の課題山積してはいるのですが気持や思考を整理するというところでは大変役に立ちました。この基本前提の整理から一定レベルのアウトプットを出していくところでどういう工夫や努力が必要なのかも引き続き考え、それがうまく行かない時に自分の感情をコントロールできるかというのが当面の自分の課題だと思っています。