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「カメラは万年筆なり」というテーマからメディアの未来像を考えてみる

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かなり前の話しで恐縮なのですが、昨年11月30日に、新宿・住友ホールで行なわれた、BLOGOS1周年記念シンポジウム『メディアの未来像を考える。進化するネットメディア 変化するマスメディア』の様子を見に行ってきました。

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ここで議論された中味については、Ustの中継だったり、まとめ記事などもあり、多くの方がご覧になっていると思うのですが、ここで議論された中味と関連して、タイミングとしては遅きに失しているところがあるのですけど、どうしてもエントリとして取り上げておきたいことがあり、やっとそれを書く時間が取れたのでアップしておきたいと思います。

昨年起きたニュースとして尖閣ビデオ問題はマスメディアの存在意義という観点からも大きな出来事だった訳ですが、あのニュースソースを送られたメディア側の対応として、そういうモノなのか…と驚いたのはこのソースを送られたCNNの対応で、例の海上保安間から送られた封筒を受け取ったCNN、ウイルス感染の危険があるとして規定に従いSDカードの映像をパソコンなどで確認せずに廃棄したというお話し。

この話しは検索していただくと取り上げているブログとかは多いですから話の流れを把握しやすいと思いますが、BLOGOS1周年記念シンポジウムで紹介された、この問題について一番大胆だったのはNHKだった…という話しはまさに苦笑ものw

 

週刊誌の方面でも記事に対する訴訟の増加で編集部は苦労している…という話しはビジネスメディア誠のほうで数回の連載記事になっていた記憶がありますが、テレビのほうでもコンプライアンス対応しようとすれば、それが自身の報道機関としての能力を弱体化させてしまうというジレンマに陥っているという話しは、もっと多くの人がマスメディアの抱える問題点として認識すべき事だと思います。(少なくともそういう制約の中で報道されている情報なんだよな…というフィルターは絶対必要かと思うわけです)

なんでわざわざこんな事をタイミングも遅れたこの時期に書いているかというと、やはりマスコミは自分の都合の悪いことは報道しませんから、読売新聞なんかは2010年のニュース総まとめの1位としてビデオ流出問題が紹介されたりしている訳ですが、

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そこにはビデオの流出先として自分たちが無視されてしまった事の重大性は一般読者に伝える筈もなく、このあたりのマスコミの抱える課題については是非、BLOGOSさんのまとめ記事を一読いただきたいと思っていた事がまず1点。

それと、このシンポジウムの中ではメディアの有り様についても多くの時間が割かれた訳ですが、ここに年末仕入れた古本で

「大宅壮一のカメラ万年筆―メモを撮る 1954→1961 (1982年)」

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というのがありまして、まだ自分も生まれていない時代に、大宅壮一氏が撮影した写真を紹介している写真集なのですが、そこには文字で伝えるという事が主体だったところに写真・映像というものが進出していく過程でやはりいろいろな軋轢が生じていたことをうかがい知ることが出来る書籍という側面も持っていたりします。

この書籍が発行された1982年は、写真週刊誌が話題非常に注目を浴びていた時代だったような記憶があり、文中では「1億総カメラマン」という表現もされていて、注目すべきは後藤章夫+田原総一郎+筑紫哲也の3氏が

ノンフィクションの方法としての写真

というテーマの対談が掲載されていて、その中でもやはり田原さんは岩波映画時代の頃に触れているのが非常に印象的であったりするのですが、それにも増して報道に関係している人たちにとってペンで伝えていたところに、写真なり映像が加わる事でもこれだけ色々あったのね…と考えてみると、この2011年という時代においてもそう簡単に大手既存メディアがネットという大衆とある意味同位で活動する場所をうまく使いこなすことの難しさを感じてしまうのですが、この対談が行われた1982年にノンフィクション写真について、こんな小見出しが出てきているというのは今日との比較という意味でも大変面白く、

「大宅壮一のカメラ万年筆―メモを撮る 1954→1961 (1982年)」
特別対談:ノンフィクションの方法としての写真

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後藤章夫 「フォーカス」編集長(当時)

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田原総一郎 ノンフィクション作家(当時)

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筑紫哲也 朝日新聞編集委員(当時)

  • 立ち遅れが目立つ報道写真分野
  • 文体ならぬ”写身”を確立できるか
  • 写真はウソをつくメディアだ
  • 何が”真実”を物語るか
  • 写真の読み方・読まれ方
  • カメラマンの眼、書き手の眼
  • 何かモノを見る眼をつくるか
  • ハードの発達がもたらす弊害
  • 報道分野やら逃げる若手カメラマン
  • 層の薄さに隘路がある

この時代から「フォーカス」はすでにその役割を終えてすでに存在していませんが、雑誌フォーカスが新しい形の雑誌を作ろうとして読者がプロであるという考え方からスタートしたというのは非常に興味深いエピソードと言えるでしょう。

振り返って今日では首相や大物政治家が自らネットの生放送でノーカットの放送を行い、タレントが自身の行動のマネタイズという事とは別の次元でTwitterでつぶやく時代に変化した訳で、我々のような世代の人間は写真週刊誌全盛だった20数年前からの時代変化を思い返してもらいつつ、こちらの

まとめ記事を読んでいただくと、昭和初期に大宅壮一氏が書いた「カメラは万年筆なり」というテーマでもある”何を書くか、伝えるかが重要”という根本的なところについて、今の時代なりの気づきがある筈と思うのでした。

P.S.
ふ~~!やっと年末から書きたいと思っていたエントリがアップできてとってもスッキリしましたw

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