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「東洋人は技術者で、西洋人は科学者か」という指摘について考えてみる

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2010年6月18日に読売新聞が掲載した

川端文部科学相は、子どもの学力の伸長が親の所得に左右される可能性があることなどをとりあげ、そのうえで、幼稚園や大学などへの公的財政支出が少ないことを挙げ、「教育に社会全体として資源を振り向けることが喫緊の課題だ」とした。

このニュールを見てから、いろいろ調べ物をしている中でダイヤモンド社から出版されているリチャード・E. ニスベット著「頭のでき」という書籍に出くわしました。

  • 頭のできについて、決めるのは遺伝か、環境か…に始まり、
  • 東洋人と西洋人のどちらが賢いのか?
  • 白人と黒人のIQの違いは何を意味するのか?
  • はたまた、ユダヤ人が知的な活動において飛び抜けて成功しているのはなぜか?

などなど、興味深い話題について様々な調査をもとにしたデータが示されています。

親の年収と子どもの大学進学率などのデータとしてはこんなのがあるのですけど、
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これらの比較などはまた別な機会に紹介させていただくとして、今日はこちらの「頭のでき」の中の「東洋人は技術者で、西洋人は科学者か」という項目について抜粋してご紹介しておこうと思います。

まず、日本人の優れた工学技術は、アメリカ産業界にとって脅威だと前置きした上で、しかし1990年代の10年間にアメリカ在住の44人が科学分野のノーベル賞を受賞したが、その大部分はアメリカ人で、日本人はわずか1人だと。

ちなみに研究資金を事業仕分けでカットされるのは民主党が政権をとった2010年な訳ですが、ここ25年間に日本は基礎研究にアメリカより約38%多くの予算をつぎ込み、その金額は1990年代に5人のノーベル賞を排出したドイツの2倍であるともこ著者リチャード・E. ニスベット氏は指摘しつつ、こんな踏み込んだ持論を展開、

第一に、日本では、多くの面で西洋よりも階層的に組織されていて、また年長者を立てることに大きな価値が置かれているため、年老いて生産性を失った科学者により多くの研究資金が流れる。

第二に、日本や韓国を含め、儒教の伝統がある国では、知識そのものに価値があるという考え方が薄い。何よりも知識を重んじた古代ギリシアの哲学的伝統とは、まったく対照的だ。

第三に、討論のための知的道具である論理を実世界へ当てはめるのは、東洋人より西洋人のほうが得意だ。

そして最後に、理由はどうあれ好奇心が西洋人のほうが強いと断じていて、理由はわからないけれど、親の仕事の関係でアメリカに住んでいる日本人の子供は、アメリカ人教師に、因果モデルを組み立てられないため分析能力が弱いと見なされることが多いと書かれています。

ただ、量子論をもたらした数々の矛盾は、西洋人にとっては悪夢だったが、東洋人の性分には合っていたというニールス・ボーアの言葉を紹介しつつ、こちらの章の最後で現在は西洋人の科学的な考え方が東洋人との友好的な競争の中で切り札として使えているが、その強みがいつまでも通用するとは考えてはならないとまとめられています。

今回紹介した科学方面だけでなく、先日のエントリではマイケル・サンデル氏の講義ネタからジョン・ロールズの考え方とかをちらっと引用したりしましたが、やはり政治哲学のほうにおいても、「哲学的伝統」をどう教育に組み入れているかが重要なポイントな気がする訳で、ここ最近公用語を英語にするという会社のニュースが大きく取り上げられたりしていますが、もしかすると英語での読み書きは確かに重要なのですけど、向こうの方々と対等に渡り合うには、知識に重きを置く「哲学的伝統」をどう我々の中に取り入れるかではないのか…と思うのでした。

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