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今や水を買うより安い音楽、タダ同然のニュース含め産業という観点では考古学的対象に移行しつつある?

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ブライアン・イーノへの特別インタビューについていろいろな方がRTしたり、自分の意見を述べているのをTwitterで眺めていました。

芸術的な分野でクリエイティブを行う人は勿論のこと、様々な実務分野においても示唆に富んだインタビュー記事ではないかと思いますので是非一読をお勧めしたいと思います。

この中で自分がどうしても取り上げて起きたかったのが2点ほどありまして、

特に私の世代で失われたものは顕著だね。なぜなら、私たちにとってレコードは極めて重要なもので、レコードによって文化的なポジションが決められていたし、レコードの嗜好によって人との付き合いも決まった。レコードは文化的な会話の中心を占めていたんだ。その理由の一つは、レコードは金のかかる趣味だったからね。当時は高くてたくさん買えなかったから、それだけお金をかけるならば、真剣になるし情熱も持つようになる。そして、真剣になって情熱を持った分だけ、恩恵も受ける。だが、今や音楽は水のような存在になってしまった。事実、水より若干安くなっているし、音楽に対してはまったく異なる態度が生まれている。この新たな態度の健全な部分としては、さっき説明したように、偏見をまぬがれた差別のないフィールドが生まれたことだね。音楽は以前ほどはイデオロギーの重荷を背負わされなくなった。例えば、ABBAを好きな人は政治的に格好悪いとされたり、ベルベット・アンダーグラウンドを称賛するのが不可欠だとされていた頃のことを思い出すよ。そういった多くのものは過ぎ去ったし、過ぎ去って良かったと思う。

王道ロック、パンクだヘビメタ、ハードロックにニューウェーブってジャンル別けが比較的容易だった時代を10代に経験している人たちにはこの辺の主張はとっても理解できるのではないでしょうか?

そして、デジタル化によりここでは音楽が水よりも安くなったとありますが、新聞や雑誌メディアにおいては記事が水より安いどころかタダになったわけで、これからどうするって事を考えていくうえでこれだけマインド違う世代が同居しているんだから、音楽業界なり新聞、雑誌メディアが収益性を改善していくのはかなり辛い道のりになりそうって事の裏づけみたいになっていますよね…

そして、ここに何かヒントがあるのかも…という指摘が続いてなされています。

いや、他にも引き起こされたことは、音楽が事実上無料になったことで、コピーできない部分に価値が置かれるようになったことだ。例えばパフォーマンスに関して言えば、ここ数年においておそらく今までにないほどイギリスではライブパフォーマンスが盛んになっていて、バンドはパフォーマンスを真剣に受け止めている。彼らはパフォーマンスのプロモーションをするためにレコードを作るんだ。私たちの時代は、レコードのプロモーションをするためにパフォーマンスをしたものだった。再びパフォーマンスが活性化して注目すべきものになり、全てのレベルにおいて重要になった。大物のバンドがやってくるときはサーカスが街にやってくるときみたいだし、実際に彼らがやっていることその通りなんだ。様々なフェスティバルも以前より増えている。そうした場所は若者にとっての一時的な新しいコミュニティを生み出していて、私はそれが好きなんだ。素晴らしいことだと思うよ。

自分は音楽に関してはレコーディングもやってきてはいますが、その大半はライブ演奏で実演家としての活動が多かったわけで、デジタルファイルとして聞くものは水より安くなっているかもしれないけれど、ライブパフォーマンスという点においては、こんな時代だからこそやれる事があったりするのかな…とこのブライアン・イーノのインタビューを読みながら思ったのですけど、もう少し分野を広げて考えてみると

制作会社として「今ブログが流行っています」とか、「CMSなら便利ですよ」的なセールストークを使って売り込みをする事はやはり商売としては当然あって、ただしそのツールを入れただけではドライブする訳は絶対なくって、ツールをどう活用するか?つまり日々の企業活動、つまり企業のライブパフォーマンスの中でどう活用するのかがポイントな訳で、そういう観点で見たときに自分に出来る仕事の新しい分野が少し見えたような気がしたような、しないような…(苦笑)

インタビューの中ではCDを売るのが難しいからパッケージに工夫を凝らすことだ…という流れから「音楽の考古学的な一品」という話と、究極の一言

それはもはやCDのセールスではお金にならないという理由から生まれたものなんだ。

この発言飛び出していますが、音楽については先ほどのパフォーマンスが貴重性を持つという観点においては原点回帰の兆候と、音楽以外にも、新聞、雑誌などの旧来メディアの収益性が極端に悪化している問題については、それらの産業が時代の中で考古学的な位置付けに移行していることだと考える人が出てきてもおかしくないのかな…と思ったのでした。

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