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社会や個別業界におけるヒエラルキーの実態をいつ学びました?

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20歳で音響エンジニアのアシスタントの仕事を得たときは嬉しくしょうがなかったのですが、少なくともTV業界の技術分野においては映像、照明、そして音声というヒエラルキーが存在することを痛感。

万博やモーターショーなどのイベント現場の経験では、技術職はとっても重要ではあるけどやはりプロデュース業務で参画している人たちのポジションのほうが当然上なわけです。

今度はスタッフではなく出演する側になったらどうかってことで、バックバンドのミュージシャンとしてステージに立ってからはアーティスト自身の努力も相当なものですけど舞台監督の存在の大きさを知りましたね。

そしてHP制作とかをやるようになってからは、なにやら上流工程なるところに食い込むことができると仕事環境がそれらりに良さそうだ…とか、キャンペーンサイトやタレントさんを起用したようなサイト制作のほうではイベント関係のときと似たようなヒエラルキーが存在しているな~と感じつつ

さまざまな実地体験から積み上げ方式で、自分が仕事をもらえるポジションとそこで要求される仕事で結果を出せるよう努力をしながら、リピートオーダーと口コミによる紹介をしてもらいながら何とか食べる方策を見つけて来たというのが正直なところ。

こう書き始めるとあくまで上のポジションを狙えって話に聞こえるかもしれませんが、やはりそこはモノ作りの日本というか、それぞれの現場にはそれこそ伝説的な人物が存在していて、その人が首を立てに振らないことには現場が回らないので、管理側もおいそれと命令口調で従わせることができない訳で、この辺のバランス感覚は絶妙なものあるな~と感心しているのですが、果たして自分がこういう人物になりえるか?と考えると全然話にならんって感じ……(苦笑)

日本においては学歴とか仕事上のキャリアがモノを言う場面もそれなりにありますけど、この道一筋●●年とか、取引年数が何年というような継続性を尊重する文化もありますよね。

この辺の実績主義は新規に立ち上がった会社の参入障壁になることもありますけど、地道に続けてきた人が報われるシステムとして機能していると思います。


テクネコ加藤さんが今日のエントリ

この本は、中学生から大人までを対象としている。中学生がこの本を読んで自分で考えるといいと思う。ただ、本の内容が本当に役に立つのは、ニート、非正規雇用で働く人、リストラにあった失業者など、行き詰まりを感じた大人なのではないだろうか。“35歳”にお薦めしたい。

↑ここに触れていて、自分がいつもモヤモヤしてしまうのは、自分ももっと社会の仕組みをもっと早く知るべきだった……と悔やんでいる部分が確かに多く、こういった教育を早期に取り組むのは賛成として、

社会的な地位の高い安定した、いい暮らしがしたければ勝ち抜けってガンガンやる方法もひとつの手段としてアリとして、

出世とか受験競争で最上位から脱落した時点、学歴、資格取得、留学とかにお金をつぎ込めない人がポジション獲得できないからもういいや的あきらめモードの蔓延になってしまっても困るよな…という思考がいつもループしてしまうんですよね。

ただし日本の場合はこれまで地道な継続性を評価する面もある関係で、社会的な地位としては高くはないけれど自分のもっている技術で社会と結びつきを持ち、そこから得た対価で文化的な暮らしができる可能性が高い社会を戦後ここまで作り上げてきたのは前向き評価して良いのではと思います。

このような日本型のシステム維持するのが難しくなっているのは事実と思いますが、極端な変化をしてしまい、ガチガチに学歴や資格によってつけるポジションが厳密に定められた社会になってしまうとほんと35歳から浮かび上がるなんてのは夢また夢みたいな社会になってしまう危険性も忘れてはいけないと思います。

加藤さんが引用されている

仕事っていうのは、そうやって壁にぶつかりながらも、出会った人たちの力を借りて、自分の居場所をつくっていくことでもあると思う。

↑この指摘のほかに、自分達に都合良いようにルール変更してしまうという手段もありますがこれが出来るのはやはり一部の優秀な人たちで、多くの人の場合には、既存ルールの中でどんな生き方があるのか?を思考しつつ、自分の居場所を作っていくことがやはりわたしも大切な事だと思うんです。


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