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貧困、格差社会に最低賃金問題「下向きの平準化」でいいの?

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図書委員だから、、、という理由ではありませんが、今回は読書ネタです(苦笑)

湯浅誠さんという方の「反貧困」という書籍を読んでいろいろと考えを新たにしたというか、

  • 自営業者として考えた場合のセーフティーネットの意味合い
  • 憲法二十五条
  • 最低賃金・最低生活費のそれぞれがナショナル・ミニマムとしての機能を持つということはどういう事なのか?
  • 生活保護の「濫給」と「漏給」
  • 自己責任論の前提

などなど、いろいろと考えさせられる事が沢山ある書籍でした。

生活保護の制度についてはこの書籍を読むまでは我が家においても、「濫給」の事例を引き合いにして批判的に論じることが多かったのですが、もし自分が事業に失敗したりした場合や働けない事情になったときに(そういう状態にはなりたくないですが)憲法で保障している生活保護法の定める基準として支給される生活保護を使っても生活できない、、、という状態はどうなんでしょう?という素朴な疑問が湧いてきたのでした。

ここで最近は生活保護受給金額よりも安い賃金で働いている、、、という人たちとの議論が盛んに行われたりしていますが、ナショナル・ミニマムとしての機能を持つということを考えた場合、どちらかを下げるとかそういう事ではなく、最低賃金と最低生活費は一体として考えていかないと国民としてはいざという時のセーフティーネットとしては困る筈です。生活保護の「濫給」は当然改善されなければいけない問題ですが、ここでの議論が生活保護基準支給金額の切り下げで財政支出を軽減したい政府に上手く利用されているような気がしてきています。

この書籍の中ではいわゆる「貧困ビジネス」と呼ばれるビジネスモデルを展開している日雇い派遣業者や敷金・礼金ゼロなどをうたいながら法律的に問題のある契約を強いる業者の実態が書かれており、このアパート賃貸契約などの問題はまだ多くのメディアで報じるまでは行っていないようですが、今後問題が表面化してくると思います。

士農工商という単語は現在放送禁止用語らしいというのにもビックリですが(驚)、一部の支配階級であるとか、高い社会的地位を持っている人たちには一見無縁な話に見えるかもしれませんが、大多数の平民が働いて生活出来き、自分の子供に適切な教育を受けさせる事ができる国が無ければ、そのピラミッドが崩壊していくのはかなり先としても、、、もう土台がグラグラになっていたりしませんかね?

下手に貧困を認めてしまうと憲法との絡みで保障しなければいけないのでそれを回避したい国、グローバル化や経済状況への生き残り対応策としてしょうがなかったという姿勢の企業、こんな環境下で年収400万~600万の家庭で年収に対する在学費用の割合は187.5万円(37.9%)、600万~800万が206.3万円(30%)にも上るようで、家賃や自宅ローンなどを含めた負担率って物凄い割合になってしまいます。(出典 日本高等学校教職員組合パンフレットとして「反貧困」に掲載されたものを転記)

仮に家庭を持たずに独身で生活したとしても預貯金、資産を持たなければ先日もちょっと触れましたが、アパート・マンションの連帯保証人提供の問題や孤独死などの問題にぶち当たることになるでしょう、、、東京都のサイトには「都内の約6割の大家さんは病気や事故、孤独死が心配等の理由から高齢者の入居に消極的」って明記しているくらいです。

社員にどのような目的や目標を与えるか?という話はよく出てきますけど、国として地道に働いている人たちが将来を描けるような環境整備しないとほんとまずくないですかね、、、それとももう普通に働くだけでは駄目な社会になっしまったとして非正規労働への就労や独立・起業して個人保証などを抱え万が一の場合にセーフティーネットが適切に機能しれくれない可能性のある階層の人間はどのように自己防衛しながら社会人生活をしていけば良いのかなどなど、色々と考えさせられるものがあるのでした。

こちらの「反貧困」で憲法二十五条について解説している一文をご紹介

憲法二十五条で定める「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」は単なるお題目ではない。憲法二十五条の具体化として生活保護法があり、生活保護法にしたがって厚生労働大臣告示で毎年生活保護基準が改訂されている。世帯ごとに、10円単位まで最低生活費が決められている。それが、憲法二十五条に基づいて国が一つ一つの世帯に保障している金額、「これを下回ったら国が責任を持つ」と宣言している金額である。

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