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大学全入時代と学歴による就労機会の与えられ方

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とある会社さんの採用情報ページで学歴で入り口を別けている部分のビジュアル表現が差別では?ということで話題になったりしているようですね。

学歴の無い自分としては、そのページを眺めたときに、大学を出ていないことで一般社会では、そういえばこういう区分けをされてしまうんだったな、、、でもこれって当たり前として受け入れてたよな、、、という感じだったりしますが、子供2人(高2と中3)とこのサイトの中身を見たところ、子供としてショックだったのは高卒のほうに寮生活が紹介されていて、大卒だと自宅から通勤許されるのか?ってことを盛んに気にしていました。(高卒だと強制的に2人部屋での寮生活なのか?、、、にまずは気が行ったみたいです)

ここでの子供の反応を見てサイトの情報掲載の方法についてもネタ出てきたのですが、今回はちょっとそれとは別の話題で書いてみたいと思います。

大学全入時代といわれる時代に突入しつつも、採用側は当然選抜を掛けるので最終学歴にとりあえず大学とついていればOKという事にはならないでしょうが、経済問題などを除く入学選抜のみの点では誰でも入学できる状況においては、学歴で区別してしまう手法よりも他の選抜方法の検討や採用後のチャンスの与え方についても新しい手法がどんどん出てきても良いのでは、、、とちょっと思ったのでした。

ただし、数千、数万の人間が居る大企業、採用の手間やその決定に対して責任を負う人事関係の仕事をされている方には違う意見や、現場としてそれは無理なんだよ、、という事があるかもしれません。

グローバル化だフラット化だと世の中の流れも急激に変化をする時代において、どういう人材が役に立つかはそのときにならないと分からなくなってきており、これを最終学歴で門戸を狭めてしまうのはもったいないのではないかというのが思っているところだったりします。

自分は地方から高校卒業と同時に専門学校という出ても出なくても学歴としてはなんら影響を及ぼさない学校を卒業し、腕だけで食べていく音楽の世界に飛び込みました。(追記:わたしが専門学校で学んだミキシングエンジニアになるための知識・技術は現在でも大変に役立っております)

そこで仕事を得られたはオーディションで未経験のわたしにチャンスをまずは与えてくれたということです。

そこでは中卒、高校、一般大学、音大、バークレーなどの海外で音楽の専門教育を受けた人、ボーヤと呼ばれるミュージシャンのお世話をする仕事の経験があるなど、様々な人と仕事をし、そこで音を出すことにおいては学歴は何の意味も持ちませんでした。

いろいろなところで書かれていることですが、インターネットでは肩書きや権威主義的な物の見方に影響をうけずに「何を言ったのか」を判断基準に評価したり、されたり、そこから議論がスタートするようになるきっかけを個人に与えてくれるようになったと自分も感じます。

そう、わたしにとって音楽以外の分野で仕事をするチャンスを与えてくれたのはこのインターネットであり、そこで会社の規模や学歴とかはまずは気にせず、この人と仕事したら面白そうとか、そういうところでチャンスをくれた人との出会いを積み重ねながら現在の会社を続けてきたのです。

確かに個人の能力差は確かに存在するけれど、何らかの理由で既定路線から外れてはしまった人にもっとチャンスが与えられる社会、仕事させてもらうのにイチイチ条件ばかり気にしているのではなく、まずは結果をださなきゃ始まらん、、ってな感じで仕事する人間には門戸がもっと開かれている社会になってくれるとより良いのにと思うのでした。

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