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やっぱり忘れちゃいけない、と思うから・・・”あの時の”1月17日を振り返る(中編)

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前編の続き。

バイクで向かったのは正解だった。何故ならところどころ道路が通行止めになっており、その通行止めが回避できなくて車が渋滞、というより身動きが取れず停止してしまっていたからだ。そういった障害をかいくぐって、通常250ccのバイクで20分ぐらいで駆け抜ける道のりを約50分かけて会社に到着した。

会社の1Fの、大きな窓ガラスは、やはりテレビで見た日産のディーラーと同様に割れていた。会社に入ると、既に何名かは片付けを行っている。しかし、公共交通機関が利用できなくなっている影響か、普段の2~3割ぐらいしか出勤できていない。地元に住んでいる人も結構多い会社だから、まだ来れたのだろう。

職場のデスクトップパソコンの上に乗っかっていたディスプレイは、ほぼ全数が床に落ちてしまっていた。自分が拾い上げた数台を見る限りブラウン管は割れていない。よく持ったな。でも一番損害が大きかったのは、普段お茶や水を汲むことができる給湯器で、これが倒れていたらしい。その際、給水管が強引に引きちぎられたようになっていたため、そこから水漏れを起こしていたらしい。給湯器はどうやらほぼ全フロアのものが倒れていたらしいが、自分が行った時には既に誰かが引き起こしていた。

同僚の安否を確認している人が、まだ全数の確認が取れていない、と言っていた。

約半日がかりでひとしきり片づけを終えた後、よくよく考えると次の日の出張のための飛行機のチケットを受け取っていないことに気づく。自分の会社の航空券手配部門に電話をしてみると誰も出ない。しつこく鳴らしていると、代理の人が出て、今日は仕事にならないから、と言ってもう帰った、という。なんてこった。どうする?出張?自分の上司への連絡を取ろうとしたのか、取れなかったのか、今は正直覚えていない。でも、まだその時点ではその後何ヶ月も復興が必要なぐらい、関西に大きなダメージを受けていることを知る由も無く、何より他の地域が普通なのであれば行くべきだろう、ということで、出張予定先には連絡の上、後は何より取っているはずのチケットの確保をしよう、とした。結果として、航空会社の人の臨機応変な対応で翌日朝、空港のカウンターで発券してもらえることになった。伊丹-高松便。今は廃止になってしまったらしいが。

夜のニュースでは続々とその後の情報が報道されている。どうやらやはり凄いことが起きているらしいが、まだまだ全貌がわからない。その日何度目かの彼女の家への電話。「ずっとかかりにくくなっています」でつながらなかったが、午後10時頃、やっとつながった。無事らしい。良かった。しかし、水とガスが出ない、とのこと。何か必要なものは無いか?と尋ねてみると、カセットコンロのガスが手に入らない、とのこと。じゃあ近い内にそれを持っていく、と約束する。電話を切った後、しばらくしてからもう一度掛けてみるが、もうつながらない。まだまだ一般人には携帯電話が高嶺の花だった頃の話だから、これらは全部固定電話である。

翌日8時40分発の高松行き。高松空港では先方のご担当者がご厚意で迎えに来てくれるとのことで、9時半の待ち合わせ。でも、8時30分を過ぎても一向に登場手続きができる様子では無い。復興のための支援物資輸送用の特別機の運行に伴い、通常便はいつ出発できるかわからない、とのこと。慌てて先方の会社に連絡をしてみるが、直接空港に向かわれている、とのことで迎えに来てくださるご担当者への連絡が取れない、とのこと。事情を説明し、もしお電話があったらその旨お伝えいただくようお願いし、とにかく待つ。結果として、出発できたのは10時半過ぎ。高松空港には11時20分ぐらいの到着だったと思う。ご担当者は結局2時間待ってくださっていたらしい。丁重にお詫びをして、とりあえず自分の出張でのタスクを実行した・・・(後編に続く)

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