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「東京」と「大阪」で違いを感じること(2)~「笑い」の考察

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自分が見ているテレビ局の中で一番多いのはテレビ東京なんだと思う・・・という話を人にすると、たいてい「え?」とか言われるのだが、事実そうだから仕方が無い。

そうだなぁ、「ワールドビジネスサテライト」、「ガイアの夜明け」、「やりすぎコージー」、「出没!アド街ック天国」などなど・・・。その時間にオンタイムで見ることができる場合はたいてい見ている。録画してまで、という習慣は無いからしてないけど。

そんな中、あまり見ている方とは言えない番組なのだが、先日の「怒りオヤジ3」はついつい見てしまった。番組の主旨についてはリンクから公式ホームページを参照していただく、として、先般のテーマは、素人、という触れ込みの(?)川井満氏と山田花子さんの対決であった。この川井氏と関西お笑い芸人の対決は3人目。で、いつも関西お笑い芸人がディベート負けするのがパターンで、今回も番組上では完全なる敗北である。当然番組なのだから、演出もあれば編集もある、と思うので、どこまでが”本当”なのかはわからないが。

放映を見ていた川井氏自身はブログに”本当に自分はひどい奴だ”系の話を書かれているが、それはそれで良し、なんじゃないか、と思う。

で、それとは別に、その番組の中で川井氏自身が触れていた、何点かの項目について、放映中に「自分ならどう答えるだろう」と思ったりしたので、書いてみたい、と思う。もちろん、お笑い評論家でもなんでもないので、関西出身の一シロウトとして・・・。

設問1:「お笑い芸人だったら僕を笑わせてくれませんか?」

関西の芸人さん、と言われる人達は、非常に大雑把に分けると、漫才師、落語家、喜劇役者、ピン芸人に分かれると思う。ただ、そのピン芸人、という人達も数多くは、何かのギミックを使いつつも起承転結を話していくので事実上、一人漫才のようなものである。

よくよくその4パターンを見ると、全て共通点がある。それは「ストーリー」のある笑い、ということである。喜劇役者さんが行うギャグも、あくまで、そのストーリーや構成に組み込まれることによって引き立ち、直接的にその単品だけ見てどうのこうのするものでも無いのではないか、と思う。

これは「文化」からの影響が先か、培った「生活」からの影響が先か、は、わからないけど、関西の文化は、相手の話を聞く文化で、かつそこにストーリー制を求める文化、のように思える。相手が、「あんな、この前の話やねんけどな・・・」と言われれば、「うん、どしたん?」と合いの手を入れていき、最後相手がオチとなるシュートを決めるまでパスをつなげていくのである。

ちなみに、過去関西に住んでいた時、関東に出て行った人間が「東京の人は反応が悪くて話づらい」とか言っていたが、なんてことはない、(多くの)関東の人はパスをつなげる、という行為をしない。だから、いきなり簡潔にオチを言わないといけないだけだ。そういう意味では極めてビジネス的、というか、欧米のプレゼンテーション的、というか・・・。たぶん起承転結の転に行く前には話を変えられてしまう。周りくどいことが嫌いなんじゃないか、と思う。だから、関西の人が「せっかち」だ、と言われるが、関東の人の方が「せっかち」だ、と思う。コレ、俺の思い込み。

だから、と言ってはなんだが、関西の芸人さんは、一対一で、場所や道具も制限された中で「笑わしてくれ」と言われても、無理なんじゃないか、と思う。だから、番組に真面目な回答はもちろん必要ないが、山田さんの適切な回答は「ごめんなさい。ここではできません。自分のフィールドでは無いから」だったのでは無いか、と思う。

設問2:「どうして関西の芸人さんは東京に出てくるんですか?」

名誉、というか、自分の腕試し、というか・・・。もちろん山田さんが言っていた「ギャラがええからや!」・「待遇がええからや!」っていうのも(番組中のネタとしても発言したんだろうが)事実だと思うが、それよりも日本全国への波及力、自分の実力・ポジションを確認したいからなんだ、と思う。

自分は、一旦転勤で岡山に行くまで、25年もの間大阪に住み続けていた。大阪人が言う、「大阪が最高!」とか妙な(?)東京への対抗心も「そうだそうだ!」という感じだった。ところが岡山に行って、その考え方が崩壊する。

当時の岡山は既に民放5局があり、そういう意味では、東京、大阪と変わらぬ放送局数である。自分の住んでいた所から岡山までは直線距離でたぶん220kmぐらい、という所。東京よりは大阪が近いし、西日本なのだから、テレビは当然大阪の番組がやっているもんだ、と思っていた。

ところが、たぶんその番組構成比は、東京8割、岡山1.5割、大阪0.5割ってなところだったんじゃないか、と思う。あくまで体感的な話だが。

そこで気づくのだ。

「あ、もしかして、関西圏以外はほとんど東京の文化が直接発信されているのでは?」と。

(自分は中部圏・九州圏での居住経験が無いので正確では無いかもしれないが)

結果として、いくら大阪で天下を取っても、収入が増えた、としても、日本で知られる人にはならない。大阪で有名になればなる程、ゲスト的に他の地方に呼ばれる機会も出てくるだろう。でも、その時、自分の知名度の無さを感じてしまうのではないか。「何故こんなに違うのだ」と。これが関西の芸人さんにとってのジレンマになるのではないか、と思う。だからこそ、皆ちゃんと自分の腕が通用するかどうか腕試ししたい、いや、通用させてみせる!と強く思うんだと思う。結果として自分も同じ考えで東京に来てしまったので、それは非常によくわかる。自分も岡山に行っていなかったらその考え方は持たなかっただろう・・・。

設問3:「どうして吉本新喜劇は東京を撤退したんですか?」

必然性が無かったことに気づいたから、だと思う。東京は多くの人が集まる。これは事実。でも、新喜劇も要は人がアクションを起こす演技なのであるから、それをお客さんに感じてもらうためには、どうしても”ハコ”の大きさが制限される。すると、あまりに集客があった所で、一度に見せられる人数には限界がある。東京ドームでは劇団四季の公演が無いのと同じだろう(・・・って書こうと思ったら臨時ではやって無いことは無いのですね・・・)。それはともかく。生身の人がアクションしている所を間近に感じられてこそ劇は楽しいのでは無いか?それができなくて大型モニターとかで見る形を取ると、家でテレビを見ているのと変わらなくなってくる。とくに、誰かの”フリ”があって、誰かの”ギャグ”が生きる吉本新喜劇ならなおさらだ。

また、「”大阪”で見ることのできる吉本新喜劇」を大阪で見ることに人は興味を抱くのであって、それを東京で見ることに意義を感じなかったのではないか?

こうやって考えると、シロウトの自分が思いつきそうなこんなことをあの○○で有名な吉本興業が考えなかったとはとても思えない。あくまで「ルミネ」とか(昔の)「新宿七丁目」や今の「渋谷∞」につなげていく盛り上げを行うための”興業”であり、撤退も何も、元から既定路線で引き揚げたのでは無いか、と思う。

ここからは「怒りオヤジ3」とは全く関係の無い、単にお笑いについての話

ちなみに、「エンタの神様」等に出演してらっしゃる(もちろん全員ではありませんが)最近の多くの関東の芸人さん達のネタを見ていて、気づいたことがある。

あれ、「ブログ」もしくは「まとめサイト」じゃないですかね?

自分の気がついたことを発表してみる、あそこでこんなこと言っていたよ、というのにツッコミを入れてみる、自虐ネタを披露する・・・。

それは良くない、とは思っていない。言う権利も無い。ただ、ちょっと以前で言えば、「コント」が中心だったような気がする。そういう意味では、見る側・聞く側が変化するからか、演じる側が変化するからか、その時の流行に合わせてスタイルが流動し易く、そのパターンでの演者が一気に増えるのが関東のお笑いの特徴なのではないか、と思う。自分はそれはそれで楽しめる方だが。

最後に。

自分は笑いの許容レンジが極端に広いので、たいていどんなお笑いでも受け入れてしまうので、普段はこんなこと気にしながらお笑いを見たりすることは絶対無い。大抵腹を抱えて笑っているだけだ。そういう意味で、自分は笑いに関して超レベルの低い関西人だと思う。

もう一つ。「怒りおやじ3」の制作者や川井氏、山田花子さんも「あれをそんな真面目に語られてもなぁ」と思われるかもしれないが、まぁこれもあくまで個人のブログ、ということでご勘弁願いたい。

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