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自動車が売れない理由に関する私的考察~それは「デザイン」と「塗料」

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昨日で東京モーターショーが閉幕した。

モーターショー開催中に水を差すようなことを書くのはなんなのであえて控えていたが、実はここのところ自動車販売状況がよろしくない。この件については新聞記事では多く取り上げられているが、その他、ブログで書かれている方も多い。

[参考資料]
ちょーちょーちょーいい感じBLOG「車が売れなくなった理由」
http://wkwk.tv/chou/entries/2007/10/post_1097.html

FPN - 車が売れなくなったのは当たり前。
http://www.future-planning.net/x/modules/news/article.php?storyid=2817

事実、統計データでもその数値は表れている。

[参考資料]
社団法人 日本自動車販売協会連合会 統計データ
http://www.jada.or.jp/contents/data/index.html

それでは、自動車に乗る人がどんどん減っているのか?というと、書類上でも公道を走ることのできる第一条件である登録行為を国に対して行っている数(※1)を測る保有統計上で見るとそれ程大きな変化はない。乗用車(軽自動車含む)というカテゴリーで言えば、
平成18年3月末:約5,709万台
平成19年3月末:約5,751万台
平成19年7月末:約5,772万台
平成19年8月末:約5,774万台
となり、むしろ微増している。

[参考資料]
財団法人自動車検査登録情報協会 自動車保有台数
http://www.airia.or.jp/number/index.html

※1:実際には軽自動車の場合は「届出」と言い、軽自動車で無いものと軽自動車によってその申請窓口、税務手続き上の管轄等は異なるのだが、省略させていただいている。

また、普通車の免許保持者も毎年約70万人ぐらいの増加を続けており、決して自動車を運転できる人数が減っている、という訳では無い。

[参考資料]
警察庁 運転免許統計
http://www.npa.go.jp/toukei/menkyo/index.htm

つまり、ここから見出せることは、決して運転可能な人数が減っている訳でも無ければ、自動車そのものの総量が減っている訳では無いので、「車が売れない」と言われながら、実際には日本の自動車メーカーが製造する「新車」だけが売れないだけであり、決して自動車離れが進んでいる、という訳では無い事実である。

それでは、じゃあどうして新車が売れないのか?ということに対しての私的な考察として、妹尾が理由にあげたいのは「デザイン」と「塗料」である。

ここで、「デザイン」?とあげて、もし「ああ、妹尾は日本車のデザインが良くないんだ」と言い出すと思われる方が居たら、それは全く違う、と断言しておきたい。むしろ個人的には日本の自動車メーカーのデザインはそれぞれのメーカーとしてのポリシーや個性的なパッケージをよく実現できていると思う。デザイナー出身でも何でも無い妹尾に評じられたく無いとは思うが。

ではどうしてか?と言うと、むしろ10数年前からデザインがよくなり過ぎて、以前だったら持ち主が何となく時代遅れ感を感じて買い換えしてしまうような車両の年数経過があったとしても、それなりに現在で通用する、むしろ違和感を感じなくなってしまったからではないか、と自分は思っている。

昔、営業をやっていた時、ある店長の指導の中で、「家を新築した、買い換えた人を狙え」というのがあった。自己の所有物でご近所に対して目立つ存在になる「家」と「自動車」という組合せにおいて、「家」だけが新しくなり、「自動車」が明らかに古臭さを感じさせる時、どうしてもそれが持ち主にとっての違和感につながり、もしくは顕示欲をそそり、買い換える傾向にある。だから「家を買った」という大きな買い物をしたから、といって、「車にかけられる費用が無い」という判断をしてはいけない、というのがその店長の理論だった。根拠は?と言っても出てくるような人では無いのであらためて問うことは無かったが、あながち「そんなことは無い」と言い切れるものでは無いだろう、と感じた。

自分が小学校、中学校の頃に出た新製品の自動車は、それから数年経ち、他のライバル車が発売されると、やはり旧型のイメージは否めないところがあり、モデルチェンジにより次の世代が出てくると、否が応でも旧型感を感じさせられたものである。一方、ここ数年のモデルの中で、現在で通じないデザインってあるだろうか?自分は個人的には無い、と思っている。但し、自動車、という製品単体で語ってはいけないこと、として、家具屋さんにしても、雑貨屋さんにしても、飲食店にしても、まぁどんな店舗においても、様々なデザインやカラーが使われるようになり、以前では”浮いて”しまうようなものであっても、それはそれなりに存在感、存在できる要素が得られるようになってきた、というのもある、と思っている。すなわち、多少最新鋭では無いデザインではあった、としても、それはそれなりに同化できる周囲の環境がある、というか。さすがに自分は業界の人なので、それぞれの車両の世代等の認識はできるけれども、一般の人からすれば、自動車の世代を知ることも無ければ、わかりもしないし、意識しよう、としないのでは無いか?と思う。

また、昔で言えば、車両の新旧を見分ける一つ、として、外観の色味、および色の褪せ具合、というのがあった。自分が小学校の頃、事実上”シルバー”の色は存在せず全て”ねずみ色”だった印象がある。もしくはポスターカラーで塗ったような”銀色”というか。それがいつの間にかきちんと”シルバー”の発色をするようになった。白もそう。なんとなくベタっと小学校時代の絵の具で塗ったような白から、”パール”がかったもの、艶のある白、等様々な表現がなされるようになった。イコール今、あちらこちらでできている店舗のファサードと同様、車両自身、そういったファサードに対して違和感があるような古臭い色味の感じ、というものが無くなってしまったのでは無いか、と感じている。色褪せも昔に比べれば随分減り、それ相応に以前の色味を継続している、というか。ここに関しては利用されている地域によっても違う部分はあるのだろうけど。

結果として、デザイン、色味の問題から言えば、最新の車両に乗らなくてはいけない社会的違和感というのは、20数年前に比べて無くなってきているように思う。だからこそ、その本人が気に入りさえすれば「中古車」でも十分だし、そのデザイン如何によっては最新モデルよりも一つ前、もしくは二つ前の車両の方が受ける場合もある。それが「新車」の販売が沈んできた理由だと妹尾は思う。

では、これを本当の”課題”とするならば解消法は一つ。少しでも以前の車は下取りしていく度に壊滅させていき、再流通の道を閉ざすしか無いのだ。でも、これは現実的に不可能である。下取り、という行為によってそれなりに今、車を持っている人の代替時における現物支払を可能にしている訳であり、それを「中古車」として販売することにより、流通業者であるディーラーは単に「新車」販売時に得られるごく少量の利益をカバーし、新たな顧客を捕まえる、といった行為ができ、次に、その「中古車」購入者が車両を欲するときに自社の「新車」を購入してもらえるかもしれない見込客として取り扱うことができる。結果として旧車の流通が自動車販売会社にとっては新たな商売の元ネタ、とすることができる一方で、その流通網を確保したい、と考えている自動車メーカーにとっては邪魔な存在になってきているのである。だから、自動車メーカーが最終的に追い込まれた、としたら、自社が十分再生可能な下取り車であっても買取し、商品としての再生ではなく、リサイクルに回すしか無いのでは無いか、と思う。当然、それを行うと、今までのような利益構造ではなくなるだろう。なぜなら、今までは自分達が加工業としてそれ相応の手間がかかった部分を利益として上乗せできたかもしれないが、リサイクル、として素材で見た時、その利益分はペイできないにも関わらず、下取りと同等の価格で取得する、としたら、そこには赤字しか無いからだ。

これは素人見ながら”真”なのでは無いか、と思っている。でも間違ってもまっとうな分析からはこの原因究明は見出せないだろう。何故なら様々なデザインが受け入れられる外的環境に変化してきたこと、数年前のモデルから今でも通用するデザインである、ということは「解消しようの無い課題」であるからだ。どうしてもPDCA的な分析手法、次に何をするか、といった課題を抽出する中では、自分達で解決できないような”他責”のものは取り上げたところで仕方が無いので無視してしまうことになる。だから、自分達で何とかなりそうな所でこねくりまわさなくてはいけなくなるので、結果として、本質から離れていってしまうことがあるのではないか、と個人的には強く思うのである。

【注記】
自分は広い意味ではマーケティング部門に属している者ではあるが、消費者動向や自社の販売状況分析を行う役割には全く関係しない。タイトルにも書かせてもらったとおり今回のエントリーはあくまで私的考察であり、仮に自分がどこの会社に属しているかご存知な方が居られたとしても、あくまで今回のエントリーの内容が自分の会社の動向には一切影響を与えないことをここで宣言させていただく。

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