"違い" と "間違い" は違う
今週は、DiSC なるものを勉強しています。
DiSCの詳細はこちらをご覧いただくとして、今回は、そのセミナーを受講していてとっても勉強になったことをひとつ。それは、DiSC のコンセプトともいうべき、この言葉です。(注:私が勉強した内容そのままではなく、少しだけアレンジしてあります)
自分にとって「あたりまえ」のことを、「とんでもない」と感じる人がいる。
自分とその人との差を、"違い" という。
しかし多くの人は、自分の「あたりまえ」が通用しない人に出くわすと、戸惑い、葛藤する。
そして自分を守るため、あるいは自分を正当化するために、自分と相手との "違い" を相手の欠点だと定義してしまい、「あいつは "間違って" いる。私は正しい。」と考えようとする。"違い" は、決して "間違い" ではない。"違い" は "違い" でしかないのだ。
自分を正しく知り、他人を正しく知れば、自分と他人との "違い" に気づき、その "違い" を受け入れることができる。そうすれば、その人との最も適切な付き合い方がわかる。
"違い" は "間違い" ではない。正直、耳の痛い言葉でした。私は現代の変化のスピードに即座に対応するため、「70%のデキでいいから、とにかくすぐに決断して、すぐに行動に移す。自分の決断に誤りがあると分かれば、走りながら修正する。完成したときに及第点であればそれでいい」ということをモットーにしています。すると、完璧を求め、十分に準備し、データや根拠を完全に用意してから行動に移す人のことをどうしても「決断が遅い。もっと早く決断し、早く動くほうが、時代に合っている」と判断してしまう傾向にあるのです。これって、上記のような人を暗に "間違っている" と判断してしまっているのですね。
実際には、それは "違い" でしかないのです。求めるものが違う、価値観が違う、自分にとって何が嬉しいかということが違う、自分にとって何が脅威かということが違う、などなど。まずは、その "違い" を認め、いったん受け入れる。その上で、その人の価値観や嬉しいと感じることに合わせたフィードバックを行う(迎合しろ、ということではありません。苦言を呈する必要がある場合もあるし、その人の暴走を止める必要がある場合もあります)。そうしたら、コミュニケーションはもっと円滑にできるはずです。
ああ、今まで私は、このことを知らなかったがためにいくつも損をしてきたような気がします。あ、これを「損」だって感じることも、私の価値観を強烈に表しているのです。