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人を動かすものは何でしょうか?様々な「座右の銘」から、それを探っていきたいと思っています

心にフィルターをかけていませんか?

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先日の出来事です。
私の友人に、大の Apple 信仰者がいます。(ここでは、Apple 信仰者そものの是非、それぞれの機器の機能の優劣はいったん棚上げにします)彼は良くも悪くも Apple 製品が大好きです。

ある機会があって、彼は Android OS 端末を触る機会に恵まれました。そのとき Android OS 端末をさんざん触った挙句に出てきた言葉が、次のようなセリフでした。

Android OS 端末は色々な点で自由度があるけど、あるユーザーインターフェイスを使うことをユーザーに強要しているねぇ。

私はこの感想に、とっても違和感を感じました。「Android OS 端末が特定のユーザーインターフェイスを使うことをユーザーに強要している」ことが事実かどうか、ということではなく、彼が信望するApple 製品こそが、「ある特定のユーザーインターフェイスを使うことを強要している」のではないだろうか、と思ったのです。

そのことを彼に伝えたら、彼はこう言いました。

いや、Apple 製品は、ユーザーインターフェイスを完全に共通化することで使いやすくしているのだ。

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私が感じたことは、「あるユーザーインターフェイスをユーザーに強要する」ことと、「ユーザーインターフェイスを共通化する」ことは完全に表裏一体で、まったく同じことではないだろうか?ということです。例えば自動車の運転という動作は、どの国のどの車でも、基本的な操作(アクセルやブレーキ、ハンドル操作など)のほとんどが共通です。それは「ユーザーに特定のユーザーインターフェイスを強要している」とも取れますし、「ユーザーインターフェイスを共通化して利便性を高めている」とも取れます。あとは、そのことのメリットの部分が強調されて見えるか、デメリットの部分が協調されて見えるかだけの違いなのではないだろうか、と思うのです。メリットとデメリットは、単に「その強要(共通化)されたユーザーインターフェイスを使いやすいと思うかどうか」にかかっているだけではないだろうか?とも思えるのです。

私の友人は、長い間 Apple 製品のユーザーインターフェイスを使い続けてきました。Apple 製品のユーザーインターフェイスが洗練されているのは確かです。しかし「慣れ」に勝るものはありません。Windows ユーザーが突然 MacOS X を使うと、どれだけ洗練されたユーザーインターフェイスでも、戸惑ってしまうのです。彼が「Apple 製品はユーザーインターフェイスを共通化することで利便性を図り、Android OS 端末はユーザーインターフェイスを強要している」と感じたのは、単なる慣れ(=使いやすいと感じたかどうか)の問題ではないか?と思ったのです。

そのことをその友人に言ったら、「いいや、Android OS 端末は、明らかに(使いにくい)ユーザーインターフェイスをユーザーに強要している」と言って譲らなかったのです。それって、彼が心に変なフィルター・・・先入観ともいう・・・をかけてものを見ているように感じたのです。

みなさんは、どう感じますか?あるいは、上記のように感じる私が、心にフィルターを持っているのでしょうかねぇ。

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