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強い理想は凶器になる

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「〇〇になりたい」「〇〇にしたい」――理想があるって、すばらしいね。

動機づけになるし、行動にもつながりやすい。それだけ、形にもなりやすい。理想は、素敵だ。

でも、理想は凶器になることもある。

例えば、すごく健康にこだわる人がいたとしよう。「美しくなりたい」と思っている人がいる。それは、間違いなくすばらしいことである。

けれども、ストイックになりすぎて、「私はこれしか食べません!」という場合、本人がそれを望んでいるのだから、それはそれでよいのだけれども、外から見ていると、「そんなにこだわっていると健康に悪いぞ。まー、ナポリタンやハンバーグも旨いからたまには食え!」と言いたくなる時がある。

また、理想が本人のこだわりならいいのだけれど、それが周りに向けられたとき、「あなたのその食べ方は違う」「もっとストイックにやらなければダメだ」と強要されたとき、理想は凶器になる。

理想の凶器は、結構怖い。

何かしらの理想がある。それに向かっている自分がいる。そして、それに共感した人が手と手を取り合って、その人本人の意思で理想に向かう。それは、本当にすばらしいことである。

けれども、ベクトルがこっちに向けられたとき、理想は凶器になることもある。

昨日書いた、外的動機づけと内的動機づけで言えば、それぞれの内的動機づけによって生じた集合ならばすばらしいし、外的動機づけによって生じた集合だと、ちょっとつらいのかな?という感じ。

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