「どうありたいか」が決まると、自然と行動につながる
「ブログぐらい毎日書けないと・・・」
多くの方がおっしゃっています。
私もそう思って、今までブログを(できるだけ)毎日書いてきました。
おかげで、書くことが習慣化し
いろんなことに気づいたり、機会をいただいたりすることができました。
でも最近、「ブログを毎日書く」に固執しなくなりました。
実は私、昨年末にある気づきを得て
「いつでも受け取ることができる体質づくり」
を意識しています。
「いつでも受け取ることができる体質」とは・・・
- 自分が「やりたい」と思っていることが、「本当にやりたいことなのか」「誰かがやりたいことではないのか」を吟味すること
- 自分から前のめりになって「頑張る」「努力する」ではなく、「機会を受け取る」という姿勢でいること
- 目の前に現れるさまざまな機会に対し、「いい/悪い」「できるか/できないか」「儲かるか/儲からないか」などの判断をできるだけ加えず、受け入れ、行動すること
で、準備が整っていないと、機会も訪れないでしょうし
機会が訪れたときに、すぐに行動できるように
できることは、前倒しでやっておこう
気持ちの上でいつも準備をしておこう
そんなことを意識し、目の前にあることからやることにしています。
そうしたら
- 今まで雑多だったデスク周りがきれいになった
- 仕事は早め早めにやるように意識が向くようになった
日常やるべきことをきちんとやる習慣ができそうです。
といっても、まだ1か月ですけどね。
それでも、今までと比較するとかなり続いているようです。
逆に、ブログは書きたいときだけ書くようになりました
「いつでも受け取ることができる体質づくり」に
ブログを毎日書くことが必要なら、そうするのでしょうけれども
今の私には、他の環境を整えていくことが大切のようです。
そんなことを考えたら
「”何をするか”も大切なのかもしれないけど
何か、1つのことに固執するのではなく
”どうありたいのか”を明確にし
それに応じた行動を取ることが大事なのかもしれないな」
なんて、思うようになりました。
ブログを書くことはできていました。
一方、それ以外のことはできていないことがたくさんありました。
意識が変わったら、できていたことへの行動が減り
できていなかったことへの行動が増えました。
「どうありたいか」が決まると、自然と行動につながるものだなぁと思っています。
そんなことを思っていたら
「ブログぐらい毎日書けないと・・・」とおっしゃっているみなさんも
言葉は「ブログを書く」だけれど
実は、その言葉の背景にある本当の意味は
「向こうからやってくる偶然を受け取るために、準備をしておこうぜ」
ってことなんじゃないかと、思うようになってきました。