意思と行動
これまで私はいろんなことをブログに書いてきました。中には、「行動が重要だ」ということを伝えてきたかもしれません。なぜなら、行動することで様々な考えが生まれ、体験を通じて勇気が湧いてくることがあるからです。
けれども、今回の選挙は違いました。
私は今まで、選挙に行くべきだと考えていました。しかし、今回は誤解を恐れずに正直にお話すれば、私はあまり積極的ではありませんでした。「しぶしぶ」が正直なところです。選挙会場にしぶしぶ行き、白票を投じようと思いましたが、『それもまずいか』と思い、消去法でしぶしぶ候補者と政党を選び、名前をしぶしぶ書きました。改めて『やっぱり白票に!』と思いましたが、投票所に消しゴムがないことを初めて知りました。そして、しぶしぶ投票し、帰ってきてしまいました。
こんな「しぶしぶ感」は今回が初めてです。
選挙があるたびに論じられるのは、「清き一票で意思を反映させましょう」です。「選挙に行くことが正しい。行かないことはけしからん。非国民だ」です。
でも、「選挙に行かない」というと、何も行動していないように思われがちですが、実は、「行動していない」わけではなく、「”選挙に行かない”という行動をした」ということでもあります。何らかの意思表示です。その中には「興味がない」方もいるでしょうし、「候補者の選択肢の中には自分の意思を表示するところがない」方もいるかもしれません。それは、私にはわかりません。
けれども、「周りに流されずにご自身で"行かない"という行動をした方の意思」と、「しぶしぶ投票に行った私の意思」の重さは、どちらが重いのだろう?と考えます。
私は、「自分の意思」はとても重要だと考えています。なぜなら、意思が伴わないところにはどんな行動があったとしても、それはさほど大きな意味を持たないと考えているからです。いや、この言い方は乱暴ですね。実際には、行動を通じて「これでいいな」「これは違うな」という意思を学ぶこともありますから。けれども、最終的には「自分の意思」が重要だと考えています。
例えば、多くのビジネスマンが経験することですが、自分の意思が伴わずに、上司からの命令に従って動いていることは、それがどんな有意義なことであったとしても、それは何の価値をも生み出さないことは、多くのビジネスマンが知っています。なぜなら、それは、ただやらされているだけだから、ただ、小間使いになっているだけだから、ただ、上司の言いなりになっているだけだから。
本当に大切なことは、そこに意思をのせること。自分の意思がのった上で行動を起こす(行動を起こさないという行動も含めて)ことのはず。自分の意思を感じ、それが行動になってはじめて、大きな価値を生み出すんじゃないかなと。
さて・・・
今回のもっとも正しい答えをあげるとしたら、きっと、「投票にいって、白票を投じる」でしょうか。それでも、「"行かない"が自分の意思でもよかったのではないか」とも、正直思います。今後も、そのときそのときで考えていくのでしょう。
「日本人だから」「権利だから」「常識だから」「大切な一票だから」・・・私もそう思います。でも、それに加えて思うんです。「そこに、自分の意思はあるか?」と。
選挙の結果にかかわらず、自分のできることからやっていきます。