文章を書くメリットはこんなところにも!―「思考のクセ」を修正して自分を思い通りに動かす
毎日文章書いていると、自分の「思考のクセ」が見えてきます
文章を書くという作業は
自分の考えを言葉にして、それを自分の目で見て
また、自分の考えを言葉にして、それを自分の目で見て
また・・・
この繰り返しです。
文章を書くことは、思考を可視化し
「自分の考えに、自分自身で触れる」という、強烈な自己対話でもあります。
だから、頭で考えているだけでは気づくことができない
自分の「思考のクセ」に気づくことができるのでしょうね。
「思考のクセ」はなかなか気づけないだけに
気づくことによって、自分を思い通りに動かすことに役立つんじゃないかなぁ。
最近、私が文章を書く中で気づいた「思考のクセ」は
「いかに自分が批判的であるか」ということです。
たとえば・・・
他の方の意見と、自分の意見を比較して言葉にするとき
「○○ではなく、○○のほうがいい」と表現することがあります。
これは、「相手の意見を打ち消して、自分の意見をかぶせる」という表現です。
キーボードをたたきながら言葉にするときは
何気なく、ほぼ無意識に、考えを言葉に置き換えていきます。
ですから、書いている瞬間に
表現が批判的になっているかどうか、気がつくことはあまりありません。
この表現を無意識にしているということは
きっと、私の奥底に、「批判的なわたし」がいるからなのでしょう。
「自分の意見を批判的に表現したくない(肯定的に表現したい)」と
頭のてっぺんで考えている私に
自分で書いた文章が、「いかにお前は批判的であるか」ということを見せつけます。
最近は、文章を書いた後に読み返したり、整えたりしている最中に違和感が芽生え
「思考のクセ」に自然と気づくことができるようになってきて
「おいおい、また比較対象の意見を打ち消して、批判的な表現になっているぞ」
と、もう一人の私が教えてくれるようになってきました。
そして、元々の批判的な表現を
「○○という意見もありますが、私は○○だと思います」
「○○もいいのですが、○○という方法もあるのではないでしょうか」
のように、少しずつ、書き直せるようになってきました。
ちなみに、この、「自分の考えや行動をもう一人の自分が認識する能力」を
心理学用語では「メタ認知能力」などと言います。
「自分の意見を批判的に表現したくない」と
言葉にするのは簡単ですが、実践はまだまだですね。
でも、「あっ、また批判的になっている」と気づき、
修正できるようになったのはちょっとうれしいかな。
これは文章を書いて、考えを可視化しなければなかなか気づけなかったことです。
考えを文章にすることは、「思考のクセ」に気づき、修正できるというメリットもあるのですね。
なお、このようなお話を書くと
「批判的な考えを持つことは悪いことじゃない」
「批判的な考えを持つからこそ、考えるきっかけになるのだ」
という意見をよくいただきます。
私も、その意見に賛成です。
ここに書いたのは、
「思ったことを飲み込む」「思ったことを表現しない」
ということではなく
「思ったことを表現する際は、批判的ではない言葉で表現したい」
という、考えを言葉で表現する際の個人的なポリシーだとご理解いただければ幸いです。