オルタナティブ・ブログ > 竹内義晴の、しごとのみらい >

「しごと」をもっと楽しくしたい!

「正しく答える」よりも「楽しく考える」習慣を

»

A1030_000056

「考える」

この言葉を目にして、あなたはどんなイメージを抱きますか?

手を顎にかけて、ひじを膝に乗せて
うつむき加減で頭を巡りめぐらせている・・・
あの「考える人」の銅像という感じでしょうか。

このように、「考える」には、何か、難しいイメージがありますよね。

見聞きする情報の中にも

「もっと自分と向き合おう」
「答えのない時代だから、自分で答えを出すことが必要だ」

などなど、「考える」には、すごく難しそうな印象があります。
 
 

なぜ「考える」は難しいのだろう?

「何が、『考える』を難しく思わせるのだろう・・・」

そんなことをボンヤリ考えていたら
学生時代に、テストの答案用紙に一生懸命向かっている自分の姿が
目の前に現れました。

そうか!

「考える」=「勉強」
「考える」=「正しい答えを出さなければならない」

そんなイメージが、「考える」を難しくさせているのかもしれません。
 
 

「考える」って、もっと楽しくていいんじゃない?

昨日、新潟市で
トライアングルコミュニケーションモデルイントロ講座を開催したという記事を書きました。

講座に参加していただいたお一人が、帰り際に
このようなことをおっしゃいました。

「今まで、いかに頭を使っていなかったかということがわかりました。
 自分と向き合う時間も少なく、
 自分のことは自分が一番よく分かっていたつもりが
 実は『私って・・・』何も知らなかったことに
 気づかせていただきよかったです」

この言葉を伺って、「あぁ、良かったな~」と思ったと同時に

「『考える』『向き合う』って、何か、難しいイメージがあるよなぁ。
 『考える』が、もっと自由で楽しかったらいいなぁ・・・」

そんな風に思えてきました。

 

「正しく答える」よりも「楽しく考える」習慣を

お腹がすいたとき
「今日、何を食べようかな~?」って考える

親しい人にプレゼントするときに
「何だったら喜んでくれるかな~」って考える

日常の「考える」が
このぐらいシンプルで、楽しいことだったらいいなぁ。

答えは、人それぞれ違ってもいいはず。

「正しい答え」を考えることも大切だけど
「考える」こと自体は、もっと自由でいいんじゃないかなぁ。
「考えるプロセス」を楽しむ感じでしょうか。

私自身、メルマガの記事や講座のコンテンツなど
頭の中でボンヤリ描いていることを
TCMを使って目的を明確にしたり、イメージを具体的にすることが多いのですが

「そうそう、本当はこれを伝えたいんだよね」
「そうか!この目的は○○だったんだな」

など、後になって気がつくことがとても多いです。

そのたびに、自分のことって分かっているようで
意外と分かっていないものだと、最近、つくづく思います。

で、自分なりの答えが見つかったとき
今まで知らない自分と出会えたような気がして
考えることが楽しく思えるようになってきました。

そんな楽しさが、「考える」にあってもいいんじゃないかなぁと思うのです。
 
 

追伸

次回のTCMイントロ講座は、7/18(木)に東京渋谷にて。
8名限定です。お申込みはお早めに。詳しくはこちらをどうぞ。

Comment(0)