「俺に部下はいない。 いるのは仲間だけだ」―目線の変化が生む言葉づかい
「俺に部下はいない。 いるのは仲間だけだ」
先日、録画してあった「踊る大捜査線」を観ました。
冒頭の言葉は、「踊る」の青島刑事の言葉です。、
講演や執筆など、仕事の中で人事や組織に関するお話をさせていただく機会があります。
私も青島刑事のように、「部下」という言葉があまり好きではなくて
「スタッフ」「メンバー」「仲間」などと表現することが多いです。
だからと言って、上司には上司の役割、部下は部下の役割がありますから
「上司と部下はフラットであるべきだ」みたいには思っていませんが
目線的には「フラットな感じがいいのかな?」と思っています。
なぜ、「部下」という言葉に違和感を抱くようになったのか
「部下」という言葉を使わなくなった時期はいつかな?と振り返ってみると
それはリーダー時代ではなく、むしろ独立してからの話でした。
そのきっかけは、以前、本を書かせていただいたのが大きな理由の1つです。
この本は、リーダー層の指南書というよりも
「日常の仕事の中で、本当はリーダーになんとかしてほしい。
けれども、なかなかそれが叶わない。
だけど、こんなツライ職場で働くのは嫌だ。
自分は将来、リーダーになりたいわけじゃないけれど
自分が毎日楽しく働くために、何かできることがあればやってみたい」
というような、現場で困っているスタッフのみなさんに向けた内容です。
でも、いざ言葉に向かうと「リーダーとはこうあるべきだ」のような
上から目線になってしまうことがよくありました。
編集者さんからフィードバックをいただいたおかげで
「これを読む人はどんな人で、何に困っているのだろう?」
「どんな嫌な思いをしているのだろう?」
「本当は、どうしたいのだろう?」
など、考えながら文章を書くようになり
「相手の目線に立つ」ということが体感できたように思います。
目線が合うと、言葉づかいが変わってくる
相手に目線が合うと、相手が本当に困っていること
相手の課題を解決するため必要なことが、よく見えてくるようになりました。
理想や理屈では、確かに「○○すべき」なのですけれど
困っている課題を解決するために本当に必要なことは
「上」司から部「下」へ指示すれば済むことばかりじゃないのが実際ですしね。
それに気が付いたら、あまり「○○すべき」とは言えなくなりました。
「一緒に頑張ろう」「一緒に解決しよう」としか言えない。
だから、使う言葉も
「部下」から、「スタッフ」「メンバー」「仲間」という言葉に変わってきたのかなぁ。
みんな、それぞれの立場で頑張っています。
上司だの、部下だの言っている場合じゃないのかもしれません。
「俺に部下はいない。 いるのは仲間だけだ」
青島刑事の言葉に、そんなことを考えたのでした。