オルタナティブ・ブログ > THE SHOW MUST GO ON >

通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

顔面神経麻痺を患った話 (4/6) 自分の場合どんな症状になったか

»

実は顔面神経麻痺は誰もが発症する可能性がある病気。ただし軽度の場合には比較的短い期間で元通りに回復出来るようです。しかしながら私が2019年の正月明けに発症した状況は症状を判断する専門医による40点満点の機能評価で4点。医師からも余り見ないほどの重症だと言われた状況でした。
そしてそれから足掛け5年も経って症状も随分と落ち着きました。
最初の段階で医師からは「元の顔に戻る可能性は非常に低い」」と言われていたのですが、黙っていればそれとはわからない程度にようやく回復してきた今、今回は4回目です。

 

私の場合こんなことまで影響が

症状の出方は細かくは人それぞれですが、もちろん共通して出るのが麻痺した側の表情筋を動かせなくなることです。麻痺の状態次第で少し垂れ下がって動かなくなるというケースもあるようなのですが、私の場合には顔の左側の筋肉全部が完全に力を失って顔の半分がゾンビみたいに垂れ下がるところまで行ってました。冗談みたいですが、口角でいうと右より左の方が2センチ近く下がったくらいですから。でもどういう症状の出方をするか、これは本当に判らないです。

それも含め、発症当初から半年くらいの間に気が付いたものはこんな感じです。

顔の左側がゾンビになる:

これは外見上最大の影響です。発症した側の顔面の筋肉に対する信号が全断するので、筋肉自体がその形や位置を保持することすらできなくなり、全て重力に従って地面の方向に下がります。立ってるなら足というか下の方向に、横になっても同じように下の方向に流れます。そうなんです。下がるというより流れると表現した方が良いかもしれません。マスクをしていれば外見上はわからない。でも発症当時はコロナ禍前だったこともありインフルエンザの時期などを除きマスクをしていない人が殆どという状況でしたが、自分の気持ちの上で「この状態の顔を人さまの前に晒したくない」という強烈な思いがあり基本はマスク着用。そしてそれは結果的に顔の筋肉が萎縮してしまい動かないけれど元の場所になんとなく戻ってしまった発症後3年目くらいまでは続きました。で、その間どうしていたか。

テーピング用のテープを頬や額にベタベタ貼って引っ張っていました。

流石にその顔で外を歩くのは嫌なので自宅以外では基本マスクで生活していましたが、なにか必要があってマスクを外すと流石にギョッとされる。説明した方が良い状況や説明できる状況があれば説明しましたし、あるいは事情を知ってる人がギョッとしてる人の近くに居れば説明してくれたりしたこともありました。その後たまたまコロナ禍のお蔭で社会的にマスク常時着用という状況になったのはある意味私の気を楽にしてくれたのは事実です。

因みに今現在は委縮している顔の左側は額も頬も比較的すっきりしていて喋らなければ今でも麻痺しているのは殆どバレず、逆に問題ない筈の右の頬が加齢により下がってしまっているという何だかわからない状況に自分的には笑うしかないんですが、笑顔になるのは右側だけで、それでもまぁこっちが動いてりゃ良いんだけどさという感じです。

飲み物はプラスチックのストローからしか飲めない:

口は閉まりません。正確に言うと意志を持って閉じることは出来ません。実は今でも丼の淵から飲むスープなどは口からこぼれてしまうのでレンゲが無いと辛いし、最初の2年くらいの間はそもそも液体を口に含むこと自体が難しかったんです。どうしたかというと、左側の唇をつまんでプラスチックのストローで吸い上げるという方法しか「液体」を飲む方法がありませんでした。

そのストローも最近流行りの紙のストローとかだと固くて、きちんと閉まらない私の口ではストローの根本から漏れてしまいます。そんな口で潰しながら咥えられるプラスチックのストローでないと駄目でなおかげで今でも「意識高い系のカフェ(岩永の分類に基づく)」とかにコールドドリンクを飲みには行けません。

そういえば口で言うと大変なのが歯磨きです。口がきちんと閉まらないので液体を口の中に保持するのが非常に難しい。たとえば歯磨きして口をゆすぐときには上の方を向いてコップから水を含み、口全体を抑えてゆすがないとそもそも全部出てきてしまうという状況、かつ口からぴゅっと水を吹き出すこともできないので口をあけてだあーっと流しだすしかない状態が結局3年くらい続きました。結果的にこの期間を経て歯ブラシ+歯磨き粉ではなく口をゆすぐタイミングだけ水を含めばよい電動歯ブラシ生活になりました。

そんな時期を経たのち、去年の春頃だったと思うのですが、頬をぷっと膨らませることができた=息が漏れないほど口がしまるようになったのに気が付いたときは本当に自分で感動したんです。自分的にやればできるところまで来たぞ感が凄かったです。

塩味と酸味以外の味覚を失う:

後から考えると時々起きていたのですが、発症の当初から数か月は塩味と酸味以外の味を全く感じなくなりました。特に当初は何を食べても砂を噛んでいるような酷い状況で、飲み込むにも強い意志が必要なくらいでした。ある日、ふと「あ、出汁の香りがする」と気が付いたのは多分発症してから4か月くらい経った二回目の手術の頃だったと思います。この時の病院食は何を食べてもおいしかった記憶があるので。
因みに嗅覚も同時期同時に殆ど失っていた可能性があると思っているのですが、でもこれについては記憶が曖昧です。味覚を失っていた期間は舌の上での感覚は確実に麻痺していたのですが、味覚に関して嗅覚と連動した部分がどうだったんだろうかというのは今の自分として興味があるります。でもそれを自分が覚えてなくて、今になって思うと少し残念だったりします。

左目の涙が止まらない:

瞼が下がる眼瞼下垂どころか眼窩周りの筋肉が全て落ちてしまい、目がきちんと閉じれなくなったことで涙腺が涙の回収をできなくなり、結果的に常に涙が流れ出る状態になっていました。今でも涙の回収が上手くできないため時々涙が止まらなくなるのですが、傍から見ると「何泣きながら歩いてるんだろう」とか思われるような状況は割と日常です。酢の物とか酸っぱい系のグミとか大好きなのですが、涙なくして食べることは出来ません。
もう笑うしかないです。
涙はとまりませんが。

鼻の孔がふさがる:

当初は左頬が下がってしまう状況のなかで鼻頭の左側の形が維持できなくなっていました。人間の鼻の孔は左右交互に切り替えて息をしているのですが、左の鼻の孔で息をしているタイミングで身体の右を下にして寝ると鼻の孔がふさがって息が出来なくなり窒息しそうになって飛び起きる状態でした。これが解消しているのに気が付いたのは多分発症から1年くらいたった頃。

左耳の聴力は強烈に低下しているが大きな音が聞こえると耳の中で音が飽和する:

聴力自体は今でも左右差がありますが、発症当初は精密検査の結果20db=100倍くらいの左右聴力差がありました。最早音の鳴る方向は全くわからない状態なのは他の聴力疾患の場合と同じです。
ただし近くを救急車が通ったり騒音の大きな地下鉄車内や鉄道のガード下などで大きな音が聞こえると音が耳の中で飽和してしまいグワーッとなってしまう状況でした。実は人間の鼓膜の周辺の筋肉は過大な音が入った時に鼓膜の動きを抑えるダンパーの役割があるのですが、鼓膜をキチンと保持できていないので聴力が落ちてるのと同時に鼓膜が内耳の許容範囲を超えた音で大きく振動してしまうと鼓膜の過大振動を抑えられなくなって内耳に大きな音として伝わって、結果的に耳の中で音が飽和する状況になるとのこと。
大きな音で耳の中で音が飽和する現象は今でも時々起きます。この音がこっちにくると飽和するぞという前兆は分かっているので、救急車がこっちに向かって走ってきたり大きな音のする地下鉄路線に乗ったり列車が通過中の鉄道のガード下をくぐるときなどでは耳を覆うだけではダメなので左耳の穴に指をいれて塞ぐのですが、周囲の人はなんだこいつとか思ってるかもしれません。自分としてはそうしないと辛いので仕方ないんですけど。

唾液が出ると、同時に涙と鼻水が止まらなくなる:

共同運動と呼ばれる症状で、神経が回復する中で神経自体あるいは神経を流れる信号が何らかの理由で混信してしまい、なんらかの動きと同時に体のどこかが関係ない動きをしてしまう症状です。私の場合に割と初期から明らかに出たのは、この「唾液が出ると左目の涙と鼻の左からの鼻水が止まらなくなる」と言うものでした。そもそも口が大きく開かず、また口から零さずにきれいに食べること自体が難しい時期が3年以上も続いたことは、私の思考から家族および事情を理解していただいている方以外との外食という概念を消し去るに十分でした。ちなみに今でも唾液と涙は割と連動していて、涙を拭いながら何かを食べることはよくあります。外食時に事情を知らない店舗の方が見ると「そんなに喜んでくれてるのか?」あるいは「なにかあったんだろうか?」といった疑惑を呼びそうですが、もう仕方ないです。でも涙が出るほど旨いものを喰った時は両方の目から涙が出ますので、区別はつくと思います。そこまで考えるのは事情を知ってる私の家族位ですが。

左目をでウィンクすると左の口角がぎゅっと上がる:

左目の瞼を動かす信号系統と左の口角を引っ張る信号が混信しているのに気が付いたのは、左の口角や左目の瞼を自分の意志で少しずつ動かせるようになってきた発症3年目くらいの時期です。正直そのころまでは自分の意志で左の瞼や口の左側を動かすことは出来ませんでしたが、ある時自分の意志で左目だけ瞼を閉じたり少しだけ口角を横に引けているのに気が付きました。だた力を入れるために居左の顔全体に気持ちと力を入れる必要があり、ひょっとしたらそれが左目の瞼と左の口角を動かす神経系統との混信につながったのかもしれません。

左の瞼を動かす筋膜が委縮しているが動かないので左の額に皺は無い:

右の額には年齢なりの皺がありますが、左の額には皺はありません。瞼を動かす筋膜が信号が来ないまま伸びた状態で委縮して動きが殆ど無くなったことから、左の額の皺が無くなってしまいました。「それはそれでいいじゃん」と言われたこともあったのですが、皺が無くなったと言っても額の半分だけなので微妙です。

ちょっと疲れてくると眼瞼下垂が酷くなって左目が殆ど閉じてしまう:

これは額の皺が無くなったこととセットの事象で、確実に一生付き合っていくことになる後遺症です。加齢により眼瞼下垂気味になるのはよくある話ですが、私の左目の場合は瞼を引き上げている神経からの信号が弱い事および瞼を動かしている筋膜自体が委縮して固まってしまっていることから動きが非常に悪くなっていることが原因で、それでも何とか一定の位置を保持しているのですが疲れてくると筋膜自体がそれを保持できなくなって下がってきます。それが瞳孔を隠し始めると目に入る光の量が左右で違ってしまい、頭は暗くなったと考えて瞼を引き上げようとするのですが、そんな時反応できるのは問題のない右側だけで、そうなると更に左右の光の量の差ができてしまい、でもそれを脳は処理しきれないので強烈な頭痛を引き起こします。こうなると下がった左の瞼を挙げるしかないのでテーピング用のテープを額に張って強制的に瞼を引き上げます。それを見て「どうしたんですか?」と聞かれることはありますが説明が面倒くさいので「猫に引っかかれたんですよ」とか適当に答えるようにしてます。

 

Quolity of Life =QoL 何それ美味しいの?

今は消えた症状もあれば、今も残る症状もあります。人が抱える体の不具合は人それぞれで、自分の状況は誰と較べてどうだという話ではないと理解しています。ただし自分自身の事と考えた時、元に戻らない「顔の表情と動き」が心理的に最大の壁になって結果的にQuority of Life = QoL と呼ばれるような部分に非常に大きな影響があるのは事実です。実際、家族親族を含む事情を良く知ってる方やご理解いただいてる方以外との会食というのは非常に苦痛です。有象無象が集まるパーティみたいなものでも飲みものはともかく立食で食事というのも一口で食べられる物を選ばない限り実はかなりハードルが高いんです。多分に自分の心理的な問題でもあるんですが、

更には笑うと顔が歪むのも、自分的にはとても辛い。別に顔が命の芸能人でも何でもないんですが、精神的に今でもどうしても受け入れ辛いところがあるんです。元々大したことない顔ですが、それでもどこまで元に戻るかわからず、今でも動きがおかしいのは自分でも分かっていて、かつ事情を知ら無い人からすると「ん?」って思うような感じになる。

気にするな?いや、無理です。それは無理。

自分自身として(病気の結果であるという)事情は完全に受け入れていますが、(顔の半分は外見上マトモに動いていないという)状況を受け入れられるているわけではありません。もっとも、それを踏まえて Blog のタイトルが The Show Must Go On になってるわけでは無く昔からこのタイトルなのでそれはそれ。

次回へ続きます。

Comment(0)