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顔面神経麻痺を患った話 (3/6) 最初の手術の決断

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実は顔面神経麻痺は誰もが発症する可能性がある病気。ただし軽度の場合には比較的短い期間で元通りに回復出来るようです。しかしながら私が2019年の正月明けに発症した状況は症状を判断する専門医による40点満点の機能評価で4点。医師からも余り見ないほどの重症だと言われた状況でした。
そしてそれから足掛け4年も経って症状も随分と落ち着きました。
最初の段階で医師からは「元の顔に戻る可能性は非常に低い」」と言われていたのですが、黙っていればそれとはわからない程度にようやく回復してきた今、今回は3回目です。

 

「状況的にダメですね。開けてください。お願いします」

発症から1か月。回復の兆しは殆どありません。出社しはじめたのですが、当初は体力の問題もあって週の半分くらい。しかも時々全身に強烈な倦怠感が来て椅子に座っていることもできなくなるような状態になり、そうなったら帰宅するしかありません。ちなみに垂れ下がった顔はテーピングのテープをベタベタ貼って持ち上げて、マスクを付けて外にでる状態。顔の半分は動かないので喋ると何だかフガフガしてしまい、滑舌ってなんですか?状態。そして2月初頭の診察で今後の治療方針について話をするなかで、遂に医師に告げました。

「(頭を)開けてください。説明いただいていた腫れた神経の周りをざぐって広げる方法で回復を待ちたいです。お願いします。」

最初の手術をお願いしました。

内容としては耳の後ろを開けて、鼓膜と内耳をつなぐ耳小骨を外し、その下にある神経が出てくる穴を削って広げて神経にかかる圧力を減らしてあげるというもの。朝9時頃に手術室に入ったのですが、麻酔から目覚めた後病室に戻るまで最終的には8時間ほどかかった記憶があります。後から聞くと手術自体6時間近くかかったとのこと。

 

もちろん直ぐに効果がでないのは分かっていたのですが

ドクターから手術後の絶対安静時間後には立てるなら歩いても良いという指示になってるけど、最初は必ず呼んでねと病棟の看護師に言われていました。
ただ流石に起き上がれない(笑)
実際に立ち上がったのは翌日の昼過ぎだった記憶があります。そして鏡を見て... 当然手術前と何も変わって無くて単に左耳を中心に包帯やなんやらでぐるぐる巻きにされている状態。当たり前なんですけど「俺の顔は一体どうなるんだろうか」と流石に不安になったんですが、どうせ何か変わるにしても数か月数年の話だからと思い直してベッドに横になった記憶があります。

 

因みに麻酔から覚める時って人それぞれだとは思うのですが

そもそもおかしいのは顔の神経で痛みもなにも無く、要は首から下は全く健康なので手術室まで自分で歩いて行って、自分で手術台に上り、横になって医療スタッフが体中に管を付け始めるのを眺めながらドクターとずっと話してました。大学病院なので、結構大がかりな手術だということを踏まえ周囲には学生さんも一杯います。

「すごいなぁ。ドラマみたいですね」
「ははは。まぁやってる間は本人は寝てるからわからないけどねぇ」
「腰の部分麻酔で手術とか経験あるんですけど、あの時は途中で起きちゃったんで痛みはないけどずっとドクターと話してたんですよ」
「(笑)じゃぁそろそろ麻酔入れるよ。いいかな?」
「お願いしまーす」 そしてガン!と衝撃が来たあと気が付いたのはリカバリールームでした。この間約8時間。

とりあえず人生最初の全身麻酔について個人的に判ったのは「麻酔をかけてる間に夢など見てないか全く覚えていない」ことと「目が覚める時は今から目が覚める感覚はあって目が覚めたけれど、明らかに鎮痛剤で痛みを抑えてるよなコレってわかるような感覚があり、それやこれやでドラマみたいに静かに穏やかに気が付くとかじゃなかった。でも全身に力が入らないので静かに目が覚めたように見えるんだろうなとは思った」とかでしょうか。ずっと横に居てくれた妻が顔を覗き込んで「おはよう」と言ってくれたのをとてもよく覚えています。

 

勿論全身麻酔での手術なんて経験しない方が良いのは当たり前です。

少なくともこの一連の流れでの手術を含む治療は自分で決めてお願いしたので、何があっても許容しようとは思ってました。勿論妻にも相談しましたが常に私の判断を後押ししてくれましたし、例えばこの発症から今に至るまでも必要あるいは状況に応じて本当にいろんなサポートをしてくれていて、いや、妻との関係でいうと勿論それだけではないですが、今でもずっと感謝しています。不愛想な息子や病院の匂いが少し苦手な娘も入院中は可能な限り毎日5分だけでも顔を出すようにしてくれていました。正直一人では顔が壊れるような病気とは付き合えないです。

でも、手術の後の6時間とかの絶対安静の時間だけはキツかった。正直あの時間の辛さは再び体験したくないとは思いました。ただし2回目の手術のオプションがあることを最初から聞いてましたし、恐らくそのオプションを行使することになるだろうなという予感は最初からありましたし、一応その覚悟も出来ていたのですが。

次回に続きます。

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