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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

ある時点でその30年前に存在していた仕事をしたことが多分無い

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AIが30年後には今存在する仕事の何割を奪うぜ大変だぜ論が叫ばれてるんですけど、少し乱暴ではあるんですがそれに危機感を持つべき人は今携わってる仕事が30年後にそのまま存在してほしい或いは30年後もその仕事をしていたい人だけで良い気がしています。

既に還暦を超えた私の場合はもう30年後に働ける状態でいるとは思えないので非常に無責任ではあるのですが、たとえば余りに狭い私の約40年の社会人人生の経験の中ですら、ある仕事に携わってるその時点の30年前にその仕事自体や仕事の分野、下手すると業界自体が存在してた事はほぼありません。主にITあるいは通信の業界を渡り歩いてきているのですが、広く業界自体は昔から存在していてもそれこそ私が社会人になった1985年の時点では存在すらしていなかった仕事をやってるのが現実です。
そう。30年前なんて今やってる仕事自体が存在してなかったし、想像すらできなかった訳です。

全部が全部そうじゃないのは分かっていますけれど

勿論昔からある仕事が一杯あるのは理解していますし、それこそ永続すべき仕事と言えるものが存在するのは理解しています。でもそうじゃないものは太古の昔からあって、結局のところ世の中常に変化しているわけです。それがたとえ欧州の暗黒の500年の中世の頃でも日本の江戸時代の鎖国の270年でも、変化の速度は別にして実態はずっと変化してきたわけです。
色んな仕事が生まれて消えてと変化はしていますが、事実は変わりません。

とは言え自分はどこまでついて行けるか

幸か不幸か世の中がどんどん変化する中で誰もしたことが無い役割というのをいくつか経験してこれた私ですが、さすがにそればかりと言うのも疲れてきました。まだ色々と動き回りたいことはあるので当分は頑張るのですが、早晩身体も頭も自由に動くことが出来なくなるであろうということは想像に難くありません。というか、間違いなくそんな時期が来ます。
そうなると... 時代の流れについていけなくなったら引退して縁側で昆布茶飲みながら雲を眺めて余生を送るのも、まぁ良いかなとは思ったりする歳になりました。

あ、でも... 我が家に縁側がありません。

あるのはベランダです。
自宅はマンションだし。

こんな未来は嫌だ

因みにベランダがある居住用の建物なんて高度成長直前の1950年代末から大量に作られ始めていて、それ以前の日本には殆ど無かったものですけれどね。
ただし、30年前でも老後にベランダで昆布茶(何故に昆布茶w)飲んで雲の流れを眺めていた人はいたとは思います。
残念ながらこれもAIに置き換えられると嫌なんですけれど。
更に言うと、病院のベッドに寝たきりだけれどARとかVRとか遥か未来の何とかかんとかの技術でゴーグルとか目の前に浮かぶディスプレイみたいな何かを通してベランダから昆布茶の味をバーチャルで感じながら外の映像を眺めるとか世界中の素晴らしい風景の映像を見させられて「ほらこの場所にいて世界中を旅行できるんですよなんでも見れるんですよ感じれるんですよ」と説明されるとか、物理的に目の前は明るいけれど余計なお世話に満ちた精神的には暗黒の未来は楽しくない。

つくづく長生きしたくないなと結構本気で思います。

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