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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

報道の取材という行為への評価のダブルスタンダードの存在を感じるとき

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ちょっと仕事の関係で「報道の現場」という表現に微妙に敏感になっているのですが、そんななか、流れているニュースをつらつらと眺めている時にふと気になったのが「報道の取材という行為への評価ってなんか捻じれてない?」ということ。なんでだろ?と考えて見ました。

 

報道の取材をどこまで規制するかというのは要はイタチごっごな訳で

欧米での存在が有名になった「パパラッチ」と呼ばれるスクープ狙いの取材集団の行為すら報道の取材行為であると認めるというところから、例の記者クラブ制の話にあるような一定の管理下における発表ベースを基本とした取材行為まで、まぁその幅たるやとてつもなく広い訳ですが、いずれにせよあるひとつの報道機関として取材し、それを報道するという行為自体はその機関自体の存在意義にもかかわる話ですから、そのために必要だと思われることは何でもする、というのがそもそもの基本姿勢としてあるべき姿なんじゃないのかな?と思ったりします。

あ、そもそも私自身は報道機関に身を置くわけではありません。その意味で非常に無責任な事を言ってるかもしれませんが、でも、色んな事象の報道を見る場合、やはりそれぞれの媒体ごとの論調や何をどう突っ込んでくるのかというポジションの取り方ってのにはとても関心があります。

 

とりあえず気になったのはこの記事

いや、素直に何で?と思っちゃいました。規制するための法的根拠を出せ!と暴れたりはしませんが、カーテン越しにですら何か撮れると思ったという気持ち自体は報道取材のひとつの姿勢として当然であり、また1社が規制線を越えた瞬間に同じキモチでそこに居る同業他社のスタッフにしても、自分が茫然と見守る中目の前で突っ込んでいった他社が撮った映像が流れるテレビの前で上司に「お前は何をしにそこに行っとったんじゃ!」と怒鳴りまくられるなんてのはあり得ない訳で、他社が突っ込めば当然行く訳です。だって、報道ってそういうことじゃないのかなと思うんです。

もちろん色んな理由があって一定の規制がかかることがある現場が多いのも当然だと思います。ただ、今回のこの市川署における行為を理由に今後取材規制がかかるというのは変だと思います。あ、あくまでも報道の現場に直接携わらない私の、あくまでも私見ですけどね。

さらには、自分が取材対象になったことが無いからそんなこと言うんだろう?って話も聞こえてきそうですが、いや、まさにそうです。別に犯罪でなくても良いのですけれど、自分が何らかの理由で取材陣に追い回される立場になったとすれば多分大声で「こいつらを全員逮捕しろ!規制しろ!」と暴れるとは思います。すいません。あまり主旨が一貫していなくて。

 

ちなみに相変わらずこちらの話も気になるわけですけれど

同じBiz誠の中の記事、しかも連載記事で気になっているのがこちら。やはり報道に関するモノです。

例の記者クラブ開放にまつわる話なのですが、ここで重要なのは実は二面性があるということ。結局多くの物事には良い面と悪い面があり、一概に「こんな障壁無くなってしまえばいいんだよ」とバッサリ切り捨てる訳にもいかない部分もあったりする事かもしれないと思ってみたりします。存在として必要とされる部分があるのは事実。でも何らかの障害になっている部分があるもの事実。四の五の言ったところでいずれにせよ機能的に障害になる部分があるのは事実なんだからそこだけはちゃんと考えて変えようよという気持ちは大事だよなと、この連載を読むたびに考えたりします。

まぁ私が考え込む話ではないと言ってしまうと身も蓋もないのですが、

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