「知識」が「知恵」の邪魔をするのを防ぎ、宗教的な押付にしない方法
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おはようございます。
雨上がりで道がぬれています。
外に出たときの空気が期待よりだいぶ温いです。
通勤途上、軽く雨が降ったり止んだり。
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知識と知恵はどちらも大切だと思います。いわば両輪でしょうか。
知識なくして知恵は出づらいし、知識なくして出てきた知恵も伝えづらいです。
知恵は直感からできるもの。知識は観察と勉強からできるもの。
だから、従来考えていた知恵の出る順番は次のとおりでした。
[混沌の観察]
↓
[データ収集(知識)]
↓
[ロジックの積上]
↓
[議論]
↓
[知恵]
↓
[実践]
一方、偏った知識が正しい知恵を出すことの邪魔をすることもあります。
また、全ての知識を得ることはないです。だから物事が決めづらくなるのです。
知識が知恵の邪魔をするとでもいうのでしょうか。
そこで、今考えている「決め方」への手段は次のように心がけています。
[知恵]
↓
[ロジックへのブレイクダウン]
↓
[議論]
↓
[データ整理(知識)]
↓
[混沌の理解]
↓
[実践]
知恵、つまり「直感」から入っていいのだと考えています。
怖いのは直感の一方的な押し付けです。よくやる間違いですが、それでは宗教団体です。
知恵をちゃんと伝わる言葉へと変質させることは大切です。
論理的にブレイクダウンして、議論して知識を総動員してデータを整理するのです。
このようなプロセスの中で知恵は共有されていきます。
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