自分は人とは違う、特別なんだ
おはようございます。
今朝は「弱点をさらけ出す」ということの考察について。
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「自分は人とは違う、特別なんだ」
人は誰でもそう思うものです。そして、それはそれで悪いことではないです。
生きる上、成長する上での大きなモチベーションになるからです。
実際のところ、一人称で考えられるのは自分しかいません。
だから「自分は違う」でいいのです。
ところが「自分は違う」の、根拠の持ちどころには注意した方がいいです。
「頭がいい」「センスがいい」などの『根拠の無い自信系』から、
「資格がある」「いい会社に勤めている」「有名大学出身だ」などの『スペック系』まで。
人との比較を元に根拠を持つと大きな落とし穴が待っています。
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万能な人などというものはいないです。
全てにおいて何かを極めようとすれば、それ以外のものを捨てるからです。
確かに器用でいくつかの芸に秀でた人もいます。
ただ、人が全てにおいて他人を凌駕することはありません。
これはつまり、人と比較すれば必ず誰かに負けてしまうということです。
でも負けは悔しい。そこで自動的に言い訳が出てきます。
『一人称の自分』がいて、いつもぶつぶつ呟いていることでしょう。
「忙しいんだから仕方ない」
「体調が悪いんだから無理」
「あの人と相性が悪いから力が出せない」
「足が痛いからできない」
弱点をさらけ出して楽になる。
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自分は、弱点はどんどん見せても構わないと考えています。
ただ、そこに一定のルールがあり、それを守らなければいけないとも考えます。
それは何か。
「改善しようとする意志無しで弱点をさらけ出すのはルール違反」です。
単なる弱者であることを表明すること。
それを理由に成長することを諦めていること。
成長することを捨てていること。
弱点をさらけ出して投げ出して、楽をしようとする自分を戒めています。
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「体が硬くて…」と、言いながらテラピスにチャレンジしています。
内心では「年にきっと数ミリずつ改善していはず」と。
「フォービート苦手で…」と言いながらジャズにチャレンジしています。
内心では「少しずつでも上達して周りを驚かせてやるぞ」と。
「まだまだ事業が弱小で…」と言いながら事業にチャレンジしています。
内心では「継続的に成長させて百年後には確固たる会社にするぞ」と。
実際のところはかなりの独りよがりかも知れません。
ただ、その意志を強固に持つこと、持ち続けらること、改善すること。
ライバルは過去の自分。
それを「自分は違う」の、根拠の持ちどころにするのがいいと考えています。
「自分は前の自分から成長している」で充分。
だから、今やっていることを投げ出さないのだ、完成させるのだと、自分を励ましています。