嫌な人をみても心を平和に保つためのこんなテクニック
おはようございます。
今朝も曇り空。冬の安定した晴れ空が懐かしいです。
開業待ちの渋谷ヒカリエを今朝もパチリ。
毎朝エッセーを絞りだそうと頭を無にすると、不思議な考えが降りてくるものです。
今朝もそうでした。
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同じ人が良くも悪くも見えるところが不思議です。
なんとなくその人の悪い面が目に付いたり。
別なときには、同じ人がとてもポジティブに見えたり。
そして人は誰しも、自分にとって都合のいい面と悪い面を同時に持ち合わせています。
普段はそれぞれの面がランダムに出ていると考えるのが正しいのでしょう。
それなのに、違うように見える。なぜなのでしょう。
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気持ちの持ち方で物事の見え方が変わることってありますよね。
いいことだと思えば良く見えるし、悪いことだと思えば悪く思える。
つまり、その人のいい面も悪い面も、自分が解釈しているだけなのかもしれません。
すると一つの仮説が生まれてきました。
「あれ、もしかして、その人を見るときの自分の状態に左右されている?」
そう。自分の気持ちが変われば、その人はいい人にも悪い人にもなってしまうのです。
そして、その人を許容できるかどうかは、自分の状態が決めているのかも知れません。
弱っているときには、許容量が少ないから、悪い面が目に付いてきてその人を避ける。
元気なときには、許容量が大きいから、その人が許せてしまっていい面が目に付く。
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つまり、心を平和に保つにはこんなテクニックがあるのかもしれません。
「嫌だな」と思ったら、「あれ、もしかして自分が弱っている?」
「いい人だな」と感じたら、「これは自分が元気なのかも知れないぞ!」
自分の状態というのは比較的分かりづらいものです。
人の悪い面が気になるようになったら、自分の健康状態を気遣ってあげるのがいいのでしょう。