恐怖には「人工恐怖」と「天然恐怖」の二種類がある
明けましておめでとうございます。
今日から仕事始め。新社名「e-Janネットワークス株式会社」でのオペレーションです。すでに名刺、看板、サイト、ポストなどでの表記は新しいものになっています。あとは電話で噛まずに出ることが課題ですね。(^^)
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2011年は大震災、原発事故、台風、欧米経済不安、記録的円高、そして、いくつかの独裁政権が消えました。つまり「天然恐怖」が拡大して「人工恐怖」が縮小した年だったのかもしれません。
恐怖には大きく分けて「人工恐怖」と「天然恐怖」の二種類があると思います。
「人工恐怖」は人類が長いこと人を動かすために使ってきたものです。人は愛情を裏切ることはできても目の前の恐怖には屈してしまう。そういうものだから恐怖による権威主義は人を動かすのにはかなり効果的です。一方、コントロールしづらい自然災害や経済危機などは「天然恐怖」でしょう。結果的に降ってくる災い。それを心の中で恐れている状態が、天然恐怖なのです。
人工恐怖が縮小した背景には、Twitterなどによる多量の情報伝達があったと言われます。
人々が多く同時に情報伝達できれば、社会での人工恐怖は成り立たなくなるのです。つまりICT(Information and Communication Technology)は元来、人工恐怖による権威主義を否定するツールなのだと考えます。
天然恐怖も的確な情報提供により格段に減ります。ここにもICTの果たす役割は大きいです。特に、即時性があることと、デジタルデータが故の伝達による劣化の少なさが大きな役割を果たします。ICTは天然恐怖を小さくするツールでもあるわけです。
恐怖は元来、心の中での創造物だという考え方もあります。それがスマートフォンやSNSなどで少なくなるのであれば、これらは人類にとっての宝物なのかもしれません。