カンニング受験生を逮捕するよりも社会がすべき議論
おはようございます。
なかなかすっきりと冷え込んでおります。金曜日。あとひと頑張りですね!
今朝は夜明けと金星が見えました。夜明けが早くなってきました。
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カンニング騒ぎの人、逮捕されて身柄拘束されたのですね。ちょっと変です。
自分としてはどちらかというと、ネットを使っての大胆なカンニング手法を考案して実施した、その受験生の能力の高さに興味があるくらいです。カンニングで合格できる試験、それ自体が変だと思いませんか。
そもそも大学入試の目的は、優秀な学生を集めてより高度な教育を施すことにあります。その優秀さを測定してスクリーニングする手段の「一つ」として試験があるのです。
人間の優秀性を試験で測定できることはあるでしょう。ただそれはクモン式の、反射神経型能力を測定しているだけです。物事をパターン化してそれを解く練習をして、如何に早く回答するかという能力です。
現在の入試ではどのような人間特性が測定できるかを並べてみましょう。
・ IQ
・ 暗記力
・ 集中力
・ パターン化力
・ 計算力
・ 論理性
・ 課題解決のスピード
・ 根気
・ 与えられた課題に取り組む力
・ 犠牲精神
・ 正確性
・ ルールを守る
これらは画一的な就労者が大量に必要とされたときには重宝された能力でしょう。そしてその就労者を教育する機関である大学としては目的に合った方法だったのでしょう。
このリスト最後に書いた「ルールを守る」に違反した。これに過剰反応したのが今回のカンニングに対する社会の反応です。枝葉を騒ぐのではなく、社会がこれだけ変質しているのにスクリーニング方法が半世紀以上も変わっていない。このこと自体に目を向けるべきです。
インターネットの検索がある世界では、暗記の意味は殆どありません。如何に嫌でも大量に集まる情報を整理できるか、正しい情報を見分けられるか。そんな能力が大切です。そもそもカンニングなんて、いくらしても仕方のない世界です。暗記能力は人の名前を覚えることに使うくらいでいいのです。
実社会に出た時に求められる能力で、入試が測定できない項目は次のようなものでしょう。
・ 人間的魅力
・ 異性にモテる力
・ 体力
・ 風貌
・ ユーモア
・ 熱意
・ 素直さ
・ まじめさ
・ 明るさ
・ 人間的清潔感
・ 創意工夫の力
・ ストレス耐性
・ 対人力
・ コミュニケーション力「話す力」「聞く力」
・ 情報収集力
・ データからの考察力
・ 美的感覚
・ 哲学
・ 信念
・ 方向感覚
・ 音楽力
・ 美術力
入試のプロセスが、如何に人間の一面しか見ていないかということがわかりますよね。実際、会社に人を受け入れることを考えてみてください。テストの点数だけ見て入れるわけがありません。でも大学入試ではそれがマジョリティなのです。
そもそも大学入試で面接や小論文がないのはおかしいです。大量の受験生から機械的に選抜したいという受け入れ側の手抜きです。
30年前、自分が受験生だった頃、筑波大学の医学部は共通一次試験と、二次試験は小論文と面接だけで入学者を選抜していました。当時は驚きました。今考えると、その先見性と本質を反映していた大学側には頭が下がります。
また、アメリカのMBAの選抜プロセスでも、GMATなどの機械的テストはありますが、それ以上に重視されるのが、自分のことについて書く小論文、実際の面接、学部時代の成績、識者からの推薦状などです。
やればできるのです。やっていないだけです。
今、社会としてやるべきことは、カンニングした受験生を逮捕することではありません。試験のあり方そのものを変質させること、そういったことで議論をすべきです。
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※20110304 13:27 てにをは抜けを修正。反応が繰り返していたので修正。